2015年12月5日

 NEWSポストセブンというサイトがあります。小学館が発行する「週刊ポスト」とか「女性セブン」など4誌が共同で運営しているものです。そこに本日から3回連載で私のインタビューが載ります。

 題して、「元共産党外交部長 日韓関係改善には「左翼が妥協を」。このサイト、4誌の紙面に載ったのを再掲する場合が多いようですが、私のは独自記事となります。

 先日、東京に行ったとき、インタビューを受けたんです。歯茎がはれていて、それが写真でも分かりますが、ご容赦を。

 実際にお話ししたことが、少し柔らかめに編集されているでしょうか。慰安婦問題を解決しようとする運動のなかで、「妥協」をめざす人々に対して投げかけられる批判に対して、かなり強い言葉で問題にしました。

 河野談話も、この談話にもとづくアジア女性基金も、いわば妥協の産物でした。理想をめざすけれども、とりあえずここで妥協しようというものでした。

 けれど、それに満足しないというだけならいいのですが、その妥協に対して、「敵」に浴びせかけるような批判をした人たちもいました。国の法的責任の回避であり、それをごまかす点では、敵よりもっと悪質だという感じで。

 言葉としては、「社民主要打撃論」って聞いたことがありました。共産主義運動内部の用語で、敵を倒す上では、まず社会民主主義勢力を倒さなければならないというもので、昔はそんなことがあったのだなあと、いわば「歴史の一部」として知っていたのです。

 けれど、河野談話とアジア女性基金をめぐって、運動が分裂し、お互いの批判が飛び交う中で、社民主要打撃論的な思想が、過去のものではないことを思い知らされました。目の前で、敵と闘うのではなく、仲間内を攻撃し、それが現実的な影響力を及ぼすのを見たのですから。

 それから20年が経ち、少しはその傷が修復されたかなと思っていました。実際、挺対協の側にも歩み寄る姿勢があるし、安倍さんだって、何とかしようとしたわけです。

 けれど、朴裕河さんの著作『帝国の慰安婦』をめぐる言論を眺めていると、「いや、少しも変わってないな」と感じます。慰安婦問題の解決に努力すべき運動の側は、あまり変わっていない人が多すぎる。

 慰安婦問題をリードしてきたある有名な歴史学者は、私に対して、朴裕河さんはきわめて悪質で、歴史修正主義者の方がマシだとまで言い放ちました。歴史修正主義者は「敵」なわけですから、その敵より悪質だという位置づけです。

 日韓首脳会談で、慰安婦問題で何らかの合意を達成しようという意思が表明され、努力が開始されています。それが実を結ぶことを願い、努力したいと思いますが、運動の側がこれでは、河野談話とアジア女性基金のときの再来ということになりかねません。

 それって、悲劇だと思いませんか。私は二度と見たくありません。慰安婦の生あるうちに何らかの合意を達成し、安らかな日々をと思う人は、是非、声をあげてほしいと思います。