2015年12月16日

 『SAPIO』に書いたばかりだけれど、今度は、もっとすごかった。さっき会社に電話がかかってきて、何かと思ったら、iRONNAへの寄稿依頼でした。

 共産党の特集をやろうとしていて、そこで共産党について書いてほしいだって。何を書くんですかと聞いたら、共産党の組織についてって言うんだよね。

 それは無理ですねと、いちおうお断り。その後、テーマが良くないんであって、安全保障論なら書けますよと言ったら、再検討して電話してくるそうです。

 来年、それを扱った本を書くわけなので、準備はできています。共産党の安全保障論を一言でいうと、立憲主義を守るということと、国民の命を守るということの相克のなかにあるということだと思います。

 立憲主義を守るって、戦争法反対の運動のなかでよく使われましたが、立憲主義を守ろうとすると、自衛隊違憲論に立っている限り、自衛隊を廃止しなければならないわけですよ。いまの運動にそういう自覚があるかどうか知りませんけれど。

 それでは国民の命に責任を負えない。政党としては当然ですよね。そこで共産党は、1960年代からの長い間、現行憲法では自衛隊は認められないので廃止するけれども、将来、憲法を改正して自衛組織をつくることを展望していました。

 でも、そこには矛盾があるんです。いくつかありますが、二つだけ。

 一つは、じゃあ、はじめから憲法改正を提起すればいいじゃないかということです。それの方がすっきりするよということです。

 でも、それだと、当時の自民党は、自衛隊のことを憲法で明記するような憲法改正をめざしていたわけで、めざすべき憲法にあまり違いがなくなるのです。それに、自民党が本音で狙っていたのは、現在につながる集団的自衛権の行使できる国づくりだったわけで(自衛隊を憲法で明記してしまえば、個別的か集団的かにかかわらず行使できるようになった)、当面の方針としては、九条を含め憲法改悪阻止ということになります。大きな矛盾ですよね。将来にわたって護憲だという側からも、改憲が必要だという側からも、批判されます。

 もう一つは、自衛組織が存在しない期間が生まれてくる。その期間、攻められたらどうするのかということです。

 しかも、これも立憲主義から来ることですが、それを厳密に解釈すると、政府に憲法改正を提起する権限はないということになりますから、かなり長期間にわたる可能性があります。そこで、昔は、護憲で一致する民主連合政府の間(自衛隊を縮小して廃止する過程でもあります)は憲法改正に手をつけないとしてきましたが、その間にも議論は開始するという提起をしたりします。自衛組織がない期間を最小限にしようとしたわけです。でも、不安は解消しないわけで、やはり大きな矛盾を抱えていました。

 そうした経過をへて、1996年、憲法九条は将来にわたって変えないという方針になります。これで、護憲勢力からの批判はなくなりますが、攻められたらどうするのだという問題では、以前より大きな矛盾を抱え込むことになります。

 右派から見ると、ばかばかしいとか、お笑いだねということになるんでしょう。でも、私に言わせると、立憲主義も国民の命も大事で、その間で苦悩するというところが、共産党のいいところだと思います。律儀なんですね。

 だから、電話をしてこられた産経新聞の方には言ったのですが、そういう矛盾や苦悩は書くけれども、決して揶揄したり批判するという立場ではなく、共感する立場です。それでも良ければ書きますということです。

 担当の○○さん、ブログも読んでいるということでしたが、この記事も判断の基準にしてくださいね。どんな結果になるか楽しみにしています。