2015年12月14日

 本日、病院で治療を受け、その後は安静。ということで、ブログも控えめに。

 『自虐も栄光も超えて──安倍晋三氏への手紙』は、年末から書き始める予定だったけど、一年で書き終わらないようなものなら、『対米従属の謎』の方を先行させようと思い、昨日、第一信(まえがき)を5000字だけ書いてみた。何とか数カ月で書き終わるかなあという感じ。やはり、こちらを先にしよう。

 それを書きながら思ったのは、村山談話と安倍談話って、比べて論じられることが多いし、そういう手法は間違いではないが、比べられないことも少なくないということだ。そもそも性格が異なるのではないか。

 だって、村山談話というのは、戦後50年を前にして、日本の侵略と植民地支配がアジアから改めて問題とされ、それに対応することを目的にしてつくられたものだ。ことの性格上、侵略と植民地支配にどういう態度をとるかが迫られ、それが論じられることになった。

 つまり、日本近現代史のうち、侵略と植民地支配にかかわる部分についての、国家としての評価だったわけである。日本近現代史の全体像を描き、評価したものではないのだ。

 日本近現代史の全体像ということになれば、光の部分も当然ある。欧米の抑圧の中で独立を守り抜いたことの誇りとか、経済的にもそれなりの成功を収めたこととか、戦後は殺し、殺されることがなかったこととか、その他。安倍談話は、その全体像を描こうとしているわけで、そこが村山談話と違うのだ。

 ところが、村山談話について、それを日本近現代史の全体像の基本的評価であるかのように捉える考え方があった。そういう人たちは、光の部分を重視しようとする試みに対して、侵略と植民地支配の悪行を対置して否定することになる。

 けれど、光があることは事実であって、それまで否定するとなると、いわゆる歴史修正主義者が批判するというだけでなく、ふつうの国民にも受け入れがたいだろう。この20年、いわゆる自虐史観派と歴史修正主義者の争いがあって、学問の世界でどちらが優位だったかは別にして、世論のレベルで歴史修正主義が圧勝したのは、ふつうの国民を味方につけたからだと思う。

 だから、日本近現代史の全体像をどう評価するかが、左翼にもいま求められていると思う。安倍談話の個々の部分を批判するというのではなく、光と影の双方の区別と関連を捉え、本質的に超えるものが打ち出せるかどうかだ。成功するか失敗するかわからないけれど、挑戦してみようと思った。