2016年6月14日

 昨日は記事をさぼって申し訳ありませんでした。週末の講演準備というか、講演と同じタイトルで本を書くので、どうせなら講演までに本を書き上げようと思って必死でした。もちろん全部は書けないのですが、一番難しいところを書いてしまったら、余裕を持って講演もできるので、そこだけはとがんばったのです。

 アメリカの対日占領の独自性(ドイツとの比較)とか(第一章)、旧安保条約下の「独立」のごまかし(第二章)とかは簡単です(だからまだ書いていない)。難しい所は二箇所あって、昨日書いていたのは、新安保条約になっても続く「対米従属の仕組み」の部分です(第三章)。本日から書くのが「対米従属の思想」の部分(第四章)。

 この「仕組み」って、2009年の民主党内閣で明らかにされたいわゆる核密約とも関係するんですが、その経過のなかで出てきたある文書を読んだとき、私には納得できるものがあったんです。「日本と琉球諸島における合衆国の基地権の比較」という膨大なもので、1966年、アメリカの国防総省と国務省が作成したものです。沖縄返還が提起されたので、返還して日米安保と地位協定が沖縄に適用されるようになっても大丈夫だろうか、そんな問題意識でつくられた文書です。

 そこには、なぜ「事前協議」が制度として存在しても、実際には協議がされないのか、その仕組みが書かれていました。たとえば、以下のようなものです。

 「核兵器積載の米艦船が日本の港湾に寄港する慣行は、一九六〇年以前に確立されたものであった。合衆国の条約交渉担当者たちは、日本のトップの政府関係者たちが米艦船によってときおり核兵器が日本の領海に持ち込まれていることにうすうす気づいていながら問題の真相をつきとめようとはしないことを、強く印象づけられた。その後、ワシントンの合衆国当局者たちは、『現行の手続き』には装備にかんする慣行が含まれるものと解釈し、岸首相はこの解釈を無言のうちに受け入れているものと受けとめた」

 そうなんですね。アメリカがまずある行為を行う。日本は気づいていても黙認する。それが続くうちに、それが「慣行」になってしまうというわけです。

 この「日本と琉球諸島における合衆国の基地権の比較」という文書には、その仕組みと具体例が満載されているんです。ここの出てくるのは66年までの事例ですが、この時期に確立した「慣行」がいまもそのまま続いているんでしょうね。

 たとえば、日本が戦後一度もアメリカの戦争に反対したことがないというのも同じ仕組みで、アメリカの違法な戦争を支持してしまったら(たとえばベトナム戦争)、そしてそれをくり返していたら、それが「慣行」になってしまう。違法な戦争を支持したという前例がくり返されるので、次の違法な戦争にも反対できなくなるという仕組みです。

 戦後何十年も経っているのだから、少しは日本も自主性を発揮できるだろうって、よくいわれます。でも逆なんですね。従属が慣行になっていくので、初期にはイヤだと思っていた従属が、時間が経てば経つほど身についていくんです。

 この部分は、いわばこの文書を整理すればいいので(その整理の仕方が難しかった)、そうはいっても一日で書けました。次の「思想」の部分を、土曜日までに書けるかなあ。