2016年6月22日

 選挙が始まりましたね。少し気持ちが昂ぶっているかな。

 先日、「ザ・思いやり」の映画を見て、講演もしたことは書きましたが、その後も別の取り組みに参加したんです。その参加者を中心に、参議院選挙に向けて、京都の平和・友好団体関係の共産党後援会の会議があったたので、私も出席させてもらいました(その後の懇親会にも)。共産党代表の若い方の報告が、久しぶりに聴く「硬い」調子のものだったので、かえって新鮮でした。

 そこでも発言したんですが、今度の選挙って、普通の選挙ではない特別な意味があると思います。成立した悪法をひっくり返すということを掲げた選挙というだけなら、これまでも消費税導入時とか、いろいろあったと思います。だけど、新安保法制が成立し、それを覆そうとする取り組みのなかで、反政権の側が試行錯誤しながら成長していることを実感できる選挙って、これまでなかったのではないでしょうか。

 そうだと思うんです。基本的に同じ枠組みで取り組んでいる限り、人の思考はその枠組みから抜け出ることができません。その日の講演会の主催者との関係でいえば、安保条約は諸悪の根源であって、即時に廃棄すべき対象だったわけですが、その枠内で思考する限り、自分の安保廃棄の主張にどう説得力を持たせるのかというところしか、思考のしようがないわけです。

 ところが今回、安保条約を支持する人たちと一緒になり、そういう人を選挙でも応援することになった。「安保を支持する人を当選させてくれ」と言わなければならない。

 そこで求められる新しい思考って、半端なものじゃないでしょう。イヤだけど仕方なく投票するという程度では、相手は強大な安倍政権ですから、選挙に勝つことはできません。これまでの「敵」を当選させるため、これまで以上に選挙に力を入れるには、どれほどの知的な格闘と成長が必要か、想像もつかない。

 だけど、ここまで来ただけでも、1年前には誰も想像できないことだったと思います。想像できないことが起こってきたということは、これからだって想像もできないことが起きる可能性があるということです。

 もちろん、「一歩前進二歩後退」なんて局面も生まれるでしょう。だけど、もう後戻りはあり得ない。いやあ、毎日考えることが多すぎて、とっても幸せです。