2016年6月17日

 相変わらず「野合」批判が根強い。明日の講演の結論部分でもあるのだが、野合が何らかのものを生み出すことへの期待を述べておきたい。

 民進党は安保も自衛隊も当然のこととして堅持である。ただし、ただただ堅持するというのでは、少しも新しいものは生み出せない。いま自衛官の命がかかっている南スーダンへの派遣も民主党政権の決定である。

 共産党は安保廃棄で、自衛隊は段階的解消。それでは多数派になれないということで、国民連合政府では日本防衛のためになら安保も自衛隊も使うという決断を下した。

 野党の共通政策はいろいろの分野で出されているが、防衛政策はまだ見えていない。これまで水と油だったし、ちょっと話し合っただけで、共通の政策が出てくるのは簡単ではないだろう。次の総選挙には間に合ってほしいけれど。

 戦後の日本には、独自の防衛政策というものはなかった。だって、最後はアメリカの核抑止力に頼るということだったから、あまり考えなくて良かったのだ。専守防衛というのも、アメリカの核抑止力の範囲内のことだった。

 いまいろいろ勉強しているけれど、核抑止力依存を日本の政策として決めるかどうかについて、政府部内で真剣な検討がされた形跡がない。NATO諸国の場合、公然と核兵器が配備された上に、その核兵器を使用するという決断をアメリカに任せるのかどうかという死活の問題があったから、いろいろな議論がされたが、日本は特殊だった。

 何が特殊かというと、核兵器の議論が「持ち込み」問題に収斂されたからだ。アメリカが核を持ち込むのは、いざという時は日本を足場にしてそれを使うからであって、日本の支配層が密約で持ち込みを容認したのも、日本防衛のために核兵器の使用が必要だという判断があるからだ。しかし、核兵器の使用という議論以前に、持ち込みさえ許さないという世論の手前、核抑止力に依存するということは日本を拠点として相手国に核兵器を投下することなのだということが、国民にも提起されなかったし、支配層内部でも真剣に議論されなかった。

 だから1966年、外務省の下田武三事務次官が、「大国にあわれみをこうて安全保障をはかるなどということは考えるべきでない」「米国の核のカサには、入っていない」と発言したりもする。あわててアメリカが国務次官補を派遣し、日本側を説得するような場面も生まれた。

 相手がソ連の場合、核抑止力に依存するという考え方もあっただろうし、多くの方が漠然とではあれそう思ったから、防衛政策の不在というものが許された。しかし、抑止力とは本来的には相手を全滅させるような考え方であって、ソ連が崩壊したいまでもその立場で中国に臨むのかという議論がないまま、抑止力を維持するということだけが政策になっている。

 民主党が政権をとったのに、結局、普天間問題で迷走したのも、抑止力に替わってどんな防衛政策があり得るのかという問題意識が欠落していたからである。そういう問題意識をもって、民進党と共産党が防衛政策を話し合えたら、新しい何かが生まれるかもしれない。だから、本当に真剣に話し合ってほしいと思う。