2016年6月21日

 日本がアメリカの核抑止力に依存することは、どのような経過と議論を経て決まったのか。その問題を知りたくて、いろいろ読んできた。だけど、読めば読むほど分からなくなってくる。

 吉田茂が首相の時代は、まだアメリカは核抑止力という考えに立っていなかった。いわゆる封じ込めの時代である。50年代、アイゼンハワーの時代になって、核抑止力が安全保障の基本になってくる。

 そして、鳩山、岸、池田と続いた歴代首相は、アメリカが核抑止力を安全保障の基本に置いていること、日本もまたその「恩恵」を受けていることを自覚していた。しかし、それが日本の政策だというような表明はしていない。

 政府が公式にそういう政策を表明するのは、60年台後半である。沖縄返還をめぐるアメリカとの交渉のなかで、「核抜き・本土並み」での返還を実現しても、有事には沖縄に持ち込むことをアメリカに約束させられる過程で、佐藤首相は、アメリカの核抑止力に頼らないと日本の安全はないということを、日本国民に「理解」させようとした。そのなかで、日本はそういう政策をとるのだと、国会でも明らかにしたわけだ。

 ただ、66年になっても、下田武三外務事務次官が、「大国にあわれみを請うて日本の安全保障を考えるべきではない」「日本は核の傘に入りたい、などと云うべきではない」と発言している。政府部内でも重大な意見の対立があったわけだ。

 一方、防衛政策を立案する側の証言を見ると、アメリカの核の傘に頼るということと、自衛隊は何をやるのかということと、その両者をどう調整するのか、真剣に検討された形跡が見えない。アメリカはどんな場合に核兵器を使用するのか、在日米軍のどの部隊、どの基地がその際に使われるのかという程度のことは知らないと、自衛隊をどこでどう使うのか、ちゃんとした作戦も立てられないだろうに、そういう記録はない(出てこないだけか?)。

 NATO諸国は、核をどう運用するのか、常設の協議機関を持っている。アメリカの核戦略に自国の防衛政策を組み込み、両者の一体性を誇ってきた。そして、冷戦崩壊後、本当に核兵器を使うのかという議論もされている。

 日本の場合、持ち込みさえ国民が拒否していたわけだから、ましてや核使用を前提として日本の防衛政策を考えるなんて、あり得ないことだったわけだろう。だけど、アメリカの核抑止に頼るということは、核兵器を使用して日本を守れということなんだから、そこの議論抜きで防衛政策が語られることは良くない。

 引き続き核抑止に頼るなら、日本はアメリカにどのように核兵器を使ってもらうのか、日本の立場が必要だろう。それ抜きに、すべてアメリカにお任せということになると、いまの従属的状態から抜け出すことはできない。

 核抑止に頼らないなら、ではどんな防衛政策があり得るのか。「核抜き抑止」みたいなものを構想できるのか。真剣な探究が必要な時ですね。