2016年6月27日

 共産党の藤野政策委員長の発言、大問題になっていますね。当然でしょう。

 こういう発言が出てくる背景には根深いものがあって、自分の個人的な体験からも、想像できるところがあります。その場で撤回して帰ってきたらどうなるか、藤野さんも想像できたんでしょうね。

 いずれにせよ、昨年の国民連合政府の提唱以来、いろいろ共産党が努力してきたものは、これでかなりの程度、元の木阿弥みたいになりますよね。民進党などとの共闘を進める上で、最大の障害は安保・自衛隊問題であって、国民連合政府の提唱直後、日本防衛のためには安保も自衛隊も使うんだと共産党が明言したことによって、ようやく野党共闘が実を結んだわけですが、その明言のウラで、実は自衛隊のことを心のなかではどう思っていたのか、藤野発言で問題になってくるわけですからね。撤回したから収まるという性格の問題ではないでしょう。

 共産党がこの逆風を10分の1でも乗り切れるとしたら、共産党関係者が藤野発言を怒っているということが、国民にリアルに伝わるときだけでしょう。理解してもらえますかね。

 藤野発言について、おそらく「よく言ってくれた」という共産党関係者も少しいるでしょう。そういう人は仕方ないんです。

 でも、「これでは国民から見捨てられるよ」とびっくりした関係者のほうが多いと思うんです。希望的観測かもしれませんが。

 問題は、そういう関係者が、妙に大人になって、「撤回したんだからいいよ」と黙ってしまうと、国民の多数は「ああ、藤野発言が本音なんだな」と感じてしまいませんかということなんです。だって、藤野発言を自分の周りの共産党関係者は批判しないんだ、そう受け取るわけですから。

 だから、この事態を打開しようと思えば、共産党関係者は、藤野発言を許さないという気持ちを、有権者に分かるように大声で発信しないとダメだと思います。共産党を愛するなら、そうすべきだと思います。

 まあ、この問題は、藤野さん個人の問題ではないんです。そういう発言が生まれる根源の問題があって、そこを克服しないと、同じようなことがくり返される可能性があります。それは、あまりにも大きな問題なので、このブログの続きにはふさわしくないかな。

 本日は、昼間に九条の会で講演して、夜は伊勢崎賢治さんのジャズを聴きに行って、気持ちよく寝ようとしていたんですが、寝不足になりそうです。