2016年7月22日

 というタイトルの本を8月に出します。サブタイトルは「全共闘・『解同』と対峙した青春」。なんと400ページにもなります。

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 著者の鈴木元さん。その界隈ではよく知られた方ですよね。私も東京で学生運動に参加して全学連の役員になった頃、「東の田熊、西の鈴木」なんて言い伝えを聞きました。

 田熊さんというのは、大学紛争の頃の全学連委員長で、私が同じ全学連委員長になった1979年、80年頃は、共産党の本部で学生担当をしておられました。何と言っていいか、闘い続けることを決めた私の人生にとって必要なことは、すべて田熊さんから教えてもらった、というような方です。

 こういう運動に関わる人は「正しい理想をかかげる」「理論が正しければいいのだ」という感じに陥りがちなのですが、それに縛られてしまうと、複雑で多様な人びとの気持ちと合致しないことがよくあります。田熊さんから教えてもらったのは、一言でいえば、「その現場にいる多数の人の気持ちを捉えない理論、直面している現実を動かさない理論は正しい理論ではない」ということだったと思います。別に、そんな言葉を使って教えてもらったわけではありませんが、いろいろ体験させてもらったことをまとめると、そういうことです。

 現在も共産党本部におられますが、選挙の論戦が担当です。現場では、日本共産党は中国寄りだと問題になることが多いわけですが、噂に聞く話では、「中国を社会主義をめざす国だと規定しているということは、社会主義ではないという認識だということなのだから、「あんな国は日本共産党のめざす共産主義とは何の関係もない」と堂々と訴えればいいのだ」とアジっているとか。まあ、噂なので、これを証拠にとがめられることがないように期待します。

 その田熊さんと並び称されている人って、どんな人なのかなと、学生の頃に思っていました。京都大学に来たときなど、ご挨拶はしたわけですが、まあ儀礼的なものですから、どんな人かまではよく分かりませんでした。

 でも、私がいろいろ悩んでいた11年ほど前、「かもがわ出版で編集長を探しているけど、やってみないか」と声をかけてくださって、それで現在の私があるわけですから、人生の大恩人です。一緒に杯を酌み交わす関係になるとは、思ってもみませんでした。

 いま本の予約を書店から募っていますが、京都では通常の本の10倍ほどあって、うちの若い営業がびっくりしています。それでいろいろ説明したら、「じゃあ、いまでいうシールズの奥田さんのような方だったんですね」と納得していました。まあ、間違いじゃないか。

 そういう鈴木さんが、立命館大学を中心にして、自分の関わった大学紛争をリアルに描ききっていますので、面白くないわけがありません。その立場から、東大闘争、日大闘争、他の京都の大学の闘争も総括しています。

 私が関わった頃は、もう過激派暴力集団の影響力は薄れていたわけですが、そういう状態をつくりだしてきた闘いの記録です。たとえば、暴力に対して正当防衛権を行使して闘っていた場合もあれば、非暴力で闘う場合もあれば、いろいろなわけですが、やはりいつも通用する理論というのは存在しなくて、その時その時、局面を打開するための判断というのがあるのです。リアルです。学生運動経験のまったくない方に組版をしてもらったのですが、ワクワクしながらやってくれたようでした。

 ということで、本日が校了。8月5日にできあがってきます。本日から予約受付を開始しました。書店に並ぶのは18日頃ですし、「赤旗」はできた本の中身を精査しないと広告掲載の是非は判断できないということで、広告がいつになるか分かりませんので、早く読みたい方は弊社のホームページの注文欄へどうぞ。
 

2016年7月21日

 典型的な夏風邪ですね。一昨日からおかしくて、昨日が絶不調だったんですが、本日の午前中の会議が終わるまで休めず、午後から自宅でクタッとしております。

 10年以上前まではインフルエンザでも出張したし(ご迷惑だったですよね)、4年前は骨折直後に松葉杖で東北大震災の被災3県(岩手、宮城、福島)を回ったけど、もう無理。やはり65歳になったら、潔く引退しないと、周りにご迷惑をおかけしますよね。あと4年か。がんばらなくちゃ。

 ということで、おやすみですから、ブログも休みます。明日には回復しているでしょう。

2016年7月20日

 久しぶりに「自衛隊を活かす会」ネタ。5月末にやった企画の文字起こしをしたものをアップしました。ご存じかと思いますが、動画はいち早くアップしますが、テキスト版が正式のものですので、よろしくお願いします。

 ミサイル防衛について、参加者から渡邊隆元陸将に、「本当に必要なものなのか」という質問がありました。渡邊さんが、それに対して、「本音」で答えているのも注目です。以下、関係部分。

 「ご質問ありがとうございます。どちらも非常に答えづらい質問です。
 MD(ミサイルディフェンス)が本当に必要かどうかという問いに対して、もし私が制服を着た現職自衛官であれば、どのような立場であっても、絶対に必要ですとお答えをしただろうと思います。ただ、私は辞めてOBになっておりますので、本音と言いましょうか、それを言わせて頂くと、MDが必要であるかというよりも、MDが本当に具体的に実行出来るのかどうか、実行の信頼性について非常に疑問と言いますか、そこが大事なのではないかと思っております。
 ただ、MDの他に弾道ミサイルに対処する具体的な方策を我が国が持っているかと言われると、実はMD以外に何も持っていません。もし、例えば、我が国が特殊部隊を現地に送り込むことはいつでも出来るであるとか、いつでも爆撃機を飛ばして、相手の基地をすぐに叩いてしまうことが出来る能力を持っているだとか、そういういろいろなオプションの中の一つとして選ぶことが出来るのであれば、MDというのは非常にお金のかかるオプションだろうと思います。ただ、他のオプションが何も無い状況で、そのオプションしか選ぶことができないのであれば、いくら高かろうが、不確実であろうが、とりあえずそれに頼っていくというのが、今の1つのオプションなのかなと思います。
 むしろ、私は国民の前にいろいろなオプションを提示してみせることこそが、政治の役目なのではないかと思ったりもしております。お答えにならなくて大変恐縮です。」

 これで南シナ海、南スーダン、北朝鮮と関係企画は終わったので、11月頃には本にしたいと思っています。今後、秋は戦場におけるドイツ兵の法的地位の研究を進め、何らかの企画をするかもしれません。12月24日に丸一日かけてやる「自衛隊は尖閣を守れるか」もご期待下さい。

 なお、「自衛隊を活かす会」はそれなりに役割を果たしていると思うのですが、これをどうしたらもっと多くの人に知らせていくのかが課題です。そこで今月末、30歳前後(一部40歳台)の方をお招きし、柳澤さん、伊勢崎さん、加藤さん(私もですが)に対して率直にご意見していただく場を設けました。参加ご希望の方は、私にメールください。

2016年7月19日

 秋に出す予定の本(『日米関係の謎──戦後70年以上経ってもなぜ対米従属か』)の補論の部分だが、ようやく書き終えた。そもそも産経新聞デジタルiRONNAに寄稿したものだったが、参議院選挙で論点が明確になったのでそれを新たに丁寧に論じた。すでに書いたものについても、時々に出された政策の背景にある考え方を解説したり、事実関係をかなり詳しく記述した。そうしたら、もともと1万字だったものが、2万字になってしまった。その「はじめに」部分だけ、以下、ご紹介。

 今年(二〇一六年)の夏に行われた参議院選挙は、ここ数回の国政選挙と同様、安倍自民党の圧勝に終わり、いよいよ憲法改正が現実の政治日程にのぼろうとしています。同時に、この選挙は、野党共闘で闘われたことと関係し、安全保障問題での「野合」が争点となったことが特徴的でした。

 いうまでもなく、日本の諸政党のなかでは、通常、自衛隊と安保条約の存在が当然の前提となって安全保障政策が語られるのに、ひとり日本共産党(以下、共産党)だけが安保条約の廃棄と自衛隊の段階的解消を綱領で掲げているので、共産党が他の党と選挙で協力しあおうとする場合、この問題がついて回らざるを得ないのです。とりわけ、この選挙の過程で、共産党の藤野政策委員長が、防衛費を「人殺しのための予算」と発言し、「党の方針に反する」として辞職に追い込まれたことをきっかけに、「では、その共産党の方針とはそもそも何なのか」「藤野発言こそ党の方針、本音ではないのか」という議論も巻き起こりました。

 本稿は、共産党の安全保障政策とはどういうものなのかということを、過去の歴史のさかのぼって解説しようとするものです。私は、一九九四年から二〇〇六年までの一二年間、共産党の政策委員会に勤めており(藤野氏とも数年間、同僚でした)、安保外交部長という肩書を付けていた時期もあります。その経験から感じるのは、共産党の安全保障政策をめぐる現在の議論は、それを批判する側からのものも、支持する側からのものも、十分にものごとの事実関係やその背景にある考え方を正確に把握しないまま行われているということです。これでは生産的な議論になっていきません。

 私は、あとで述べるように、野党共闘が保守の方々も含むかたちでもっと発展してほしいという立場です。なぜかと言えば、本書で論じてきたように、日本が独立国家としてふさわしい国になっていくには、日本型抑止力依存政策に替わって、新たな安全保障政策を確立することが求められているからであり、野党の共闘にはそれを生み出す可能性があると思うからです。一見、本書のタイトルと関係なさそうな補論をここに載せるのも、そういう見地からのものです。

 共産党の安全保障政策は過去も現在も矛盾に満ちています。それを説明しても、ふつうの人にとっては理解を超えているでしょうし、右派に属する人から見ればお笑いの対象になるかもしれません。しかし、矛盾に挟まれて苦闘してきた私にとっては、その矛盾のなかにこそ、新しいものをつくりだす価値がひそんでいるように思えます。共産党の安全保障論が他の考え方とぶつかりあうことによって、新しい安全保障政策が打ち出せるのではないかという期待があるのです。

 共産党をめぐる論考を読むに際しては、批判する側も支持する側も、特定の価値観から自由になるのは簡単ではないでしょう。しかし、私の考え方に問題ありとするのは構いませんので、事実関係だけは間違わずにおさえてほしいことを事前に希望しておきます。

2016年7月15日

 10年ほど前からインクルーシブという言葉が社会保障その他でよく使われるようになった。子どもが友だちの遊びに「入れてよ!(インクルード ミー!)」と使うような日常用語なのに、「包摂型」なんて訳されて、よく意味が伝わらないなと思っていた。

 本日の朝日新聞を見ると、この言葉、軍事演習にも使われるようになっているんだね。現在、いわゆるリムパック、環太平洋合同演習がやられているが、2回目の参加となる中国をめぐって、この言葉が使われていた。

 使ったのは、アメリカのカーター国防長官。6月に開かれた国際会議で、中国の行為に警告を与えつつも、「インクルーシブ」な安全保障ネットワークをつくりたいと強調したらしい。朝日はこれを「誰でも参加できる」と訳していて、「包摂型」よりずっと分かりやすい。

 リムパックといえば、とっても懐かしいというか、昔は、平和運動のなかで、時海上自衛隊がこれに参加することを「集団的自衛権だ!」なんて批判していたよね。中国も参加するようになると、武力行使をする相手がいないということになっていくわけだから、集団的自衛権という言葉は使えなくなっていくかなあ。

 もちろん、これは言い過ぎで、リムパックでも中国が参加を許されるるのは、いわゆる人道支援・災害復旧訓練の部分だけだ。「敵と味方に別れた演習からは排除」されているそうで、記事は「関与か対立か、難しいさじ加減を強いられている」と結んでいる。

 でも、方向性はこれしかないわけだ。「敵と味方に別れた」演習を、たとえ段階的にではあっても、どうやったら一緒にやれるようになっていくのか、知恵を絞ることが求められる。

 ただ、こうやって米中の協力関係は軍事面でも拡大しているが、この26か国もが参加する演習で、中国軍と日本の自衛隊が協力しあう場面はないらしい。だから、段階的に軍事協力を拡大するといっても、日中間ではそう簡単ではない。

 だけどね、日中が他国と無縁に日中だけで軍事協力するとなると、もっとハードルが高いだろう。やはりこのリムパックのように多国間の枠組みを重視し、アメリカの仲介を得ながら、少しずつやっていくのがいいのかもしれない。

 そのうち、左翼政党の側から、「リムパック全体を全員参加型のものにせよ」なんて政策が打ち出される日が来たりして。どうでしょうか。