2016年12月21日

 昨日、デンマークに留学していた娘が帰国したんですが、途上、ベルリンに旅行で立ち寄ったんです。それでクリスマス市のはしごをしていて、トラックが突っ込んできたテロ後の緊迫した場面を経験したとか。ホントに人ごとじゃないですよね。そういう言い方をすると、もともとは人ごとだったんだと言われるかもしれないけれど、切迫感は違います。

 さて、南スーダンへの武器禁輸に関して、アメリカと日本が国連安保理で対立しているとか。ここには武力紛争の解決の仕方をめぐる難しい問題がある。

 この対立、これまでと構図が違うことが複雑さをあらわしている。日本はこれまで武器輸出三原則があったので、武器輸出にはずっと慎重に対応してきた。一方のアメリカは、武器を反政府勢力に援助してでも政権を打倒するようなことをやってきたから、武器禁輸を積極的に提案することなど、これまでまったくなかったと言ってよい。そのアメリカが公然と日本を批判するほど立場が逆転しているわけだから、なかなか珍しいことである。

 一般的に言って、紛争当事国への武器輸出は紛争を助長する可能性があって、それをできるだけ慎もうという流れはある。日本の武器輸出三原則も、三木内閣によって事実上包括的に禁止される前から、「国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合」の武器輸出を禁止していた。

 安倍内閣は武器輸出三原則を廃止し、「防衛装備移転三原則」に変更した。けれども、そこにおいても、「移転(輸出)を禁止する場合の明確化」として、「紛争当事国(武力攻撃が発生し、国際の平和及び安全を維持し又は回復するため、国連安保理がとっている措置の対象国)への移転となる場合。これらが該当する場合、防衛装備の海外移転を認めない」としている。

 まあ、これは常識的な線だと思う。じゃあ、アメリカが常識的な考え方に転換したのかというと、そういうことではなかろう。アメリカにとって南スーダンは人ごとの事態だから、冷静に事態を見られるというか、そんな感じではないだろうか。南スーダンでは政府軍による民間人への虐殺、レイプなどが横行していて、国際人権団体が対処を求めているのであるが、アメリカは南スーダンの事態がどう転んでも(どちらが勝利しても)構わないので、その求めに応じられるということだろう。今後、武器禁輸を基本政策にするようなことはない。 

 一方の日本が武器禁輸に慎重な立場をとるのは、アメリカと違って人ごとではなく、まさに当事者だからだ。反政府勢力は周辺諸国で武器を調達し、政府軍に挑んでくるわけで、政府軍が武器禁輸で弱まってくると、南スーダンの武力衝突がどんどん拡大し、派遣している自衛隊の安全にも影響するからである。これも一面の真理だと思う。

 武器の輸出には慎重さが求められる。しかし、武器がなければ大量虐殺がないかというと、そんなことはない。ルワンダでは、鉈を使って100万人規模の大虐殺があったわけだから。まあ今回、ルワンダと異なり、武力行使権限を与えられたPKOがいるわけだから、武器禁輸で南スーダンに鉈のようなものしかなくなるなら、PKOが対処できるかもしれない。ただ、反政府勢力が周辺諸国で武器を調達するのは止められないから、そういう状態は生まれないだろう。

 だから、武器禁輸は議論すればいいが、そこに中心的な問題があるみたいになると、大事なことを見失うということだ。この人道危機を解決するために国際社会は何をすべきなのか、日本には何ができるかを真剣に考えなければならない。

 まさに、人ごとだと思わずに。自衛隊を活かす会として、この春に何らかの提言を出して、政党や国会議員に議論を呼びかけられればと思っています。

2016年12月20日

 確かにオスプレイの機体に構造的な問題があって、どう操縦しても同種の事故が起きる可能性があるということではないのだろう。だけど、この間の報道で明らかになったことから考えると、機体に問題がないのに同じ事故が起きる可能性があるということのように思え、余計に深刻だと感じる。

 要するに、C130が尾翼から給油ホースを伸ばして、オスプレイの前に出ている給油口と接続し、給油をするわけである。プロペラが回っているヘリコプターに対する給油は、ただでさえホースとプロペラとの接触の危険があるとされるが(ウィキによると2000年の米映画「パーフェクトストーム」ではC130に給油を受けようとして失敗する沿岸警備隊のヘリの話が出て来るが、実話をもとにしているそうである)、飛行中のオスプレイの場合、プロペラ(ローター)はヘリコプターのように上で回っている状態ではなく、前のほうに倒された状態で回っているわけで、その隙間を給油ホースが通っていくわけだ。それをちゃんとやれるように訓練をしているのだと思うが、職人技のような技術が必要で、簡単なものでないことを自覚する必要がある。

 今回、そのC130の給油ホースが、給油口に届くのではなく、何かの拍子にプロペラにぶつかったというわけだ。だから、確かにオスプレイの機体の問題ではないだろう。

 では、なぜそんなことになったのか。米軍の調査結果は報告されていない。本日の朝日新聞に載った防衛省幹部の話によると、「乱気流が原因なのはほぼ間違いないが、他の要素もありうる」とのことだ。

 じゃあ、乱気流のせいだったとして、機体の問題ではないのだから訓練再開ということでいいのだろうか。乱気流が原因だということになると、乱気流が起こらないようにすることは誰にもできないわけで、乱気流のなかを空中給油すれば同じことが起きる可能性があるということである。

 ウィキで調べたばかりで消化していないけれど、「旅客機の場合、ウェザーレーダーと呼ばれる気象レーダーを装備しており、乱気流に遭遇する前にある程度の発見は可能だが、そのレーダーを読み取るためには熟練した技術が必要と言われる」ということだ。C130はどうなんだろうか。

 普通の航空機は乱気流に入らないようにするし、入ってしまえば抜け出すために全力をあげるだろう。C130やオスプレイだって、空中給油をやっているような事態ではない。だから、乱気流下で給油をやったというなら、C130やオスプレイにはウェザーレーダーのようなものは搭載されていないのではないか。搭載されていたのに気づかなかったとすれば熟練度の不足だろうか。

 とりあえず空中給油の訓練はしないということだが、米軍もおそらく、そのあたりの対策をとれずに困っているのではないだろうか。しかし、航続距離の長さが自慢のオスプレイだから、航続距離を伸ばす空中給油は不可欠で、かならず訓練も再開しようとするだろう。

 しかも、このオスプレイは今後、日本全土で低空飛行訓練をすることになっている。低空飛行訓練中にC130からの空中給油の訓練をすることも、いわば常識的なことだ。低空飛行訓練だけでもパイロットに極度の緊張を強いるのに、その上に対策がとれないまま空中給油の訓練をするとなると、いったいどうなるのか。

 稲田さん、機体の問題ではないと説明され、「はい、そうですか」で済ませる問題ではないですよ。自分だけ納得している低空飛行訓練ルートの下にある自治体の連携が急がれる。

2016年12月19日

 昨夜、NHKが今回の北方領土交渉の顛末を特集していましたよね。安倍さんなんかも何回も出てきたわけで、NHKが政府のやり方を批判的に分析した特集ではなく、全体として交渉の意味を論じようとした番組だったと思います。だけど、自民党の二階幹事長までが「がっかり」という結果ですから、政府の意気込みと国民の受けとめに落差があって、なぜこんな特集をしたのか腑に落ちなかったというのが、大方の感想だったのではないでしょうか。

 数日前にも論じましたが、今回、日本政府がアプローチを根本的に変えたところに意味があったんです。だけど、何が変わったのか、その意義はどこにあるのかは論じられなかった。論じられないまま「新しいアプローチ」で何かが変わるという期待感が高まったところに、落差の根源があると思います。

 戦後の日本政府の基本方針は「四島返還」でした。非常に非現実的な方針でしたが、そこに意味があったわけです。それではロシア(当時はソ連)に相手にされないことが分かっていて、相手をひどい国だと糾弾することが目的だったから、解決しないことが大切だったのです。

 ソ連が崩壊して、ロシアを協調相手にすることで、それまでの方針に見直しが求められます。しかし、何十年も「これしかない」と言ってきた「四島返還」方針を根本的に転換するわけにもいかない。ロシアの実効支配が進んで、四島にはロシアの人びとが住み続けている現実もある。そこで、施政権はロシアが行使していいから、四島が日本のものだ、日本に帰属する島々だということだけを確認してくれればいいということになります。ロシアも少し歩み寄ってきて、北方領土問題とは四島の帰属問題だということを合意するに至ります。しかし、そういう問題だというだけであって、ロシアは別に、国後や択捉に対する日本の主権を認めようなんてことは、その後も一貫して言ったことがありません。基本的には解決の展望がないままだったのです。

 今回の政府の「新しいアプローチ」とは、「北方領土問題とは四島の帰属問題」ということを、一切言わなかったことにあるのです(そこはNHKもふれていました)。どちらの国に帰属するのかという問題は決着させずに、特別な制度のもとにおこうということです。おそらく世界のどこにもない場所をつくろうというもので、そこに新しさがあるのです。それは、領土と言えばどこか特定の一国に帰属するものだという固定観念を打ち破るものです。係争地があったとして、その問題を解決するために大事な考え方だと思います。

 しかし、これは非常識な考え方なんです。何世紀も世界で通用してきた考え方を根底からひっくり返すものです。実現可能性は薄いんです。そこを進もうと思えば、この考え方の意義を徹底的に強調し、日本とロシアと世界の世論の支持を得なければならないのです。

 ところが、その意義を強調しようと思えば、四島は日本だけのものだという従来型の方針を放棄したと言わなければならない。世論が反発することは必至です。その反発を打ち消すほど、今回の新しいアプローチの意義を打ち出さなければならないのに、それをやるほど腹が据わっていない。それがいまの政府の現状だということではないでしょうか。

 だから、NHKも、政府と同じ呪縛のなかにあったのだと思います。意義を強調することと、四島の帰属問題は問わないということは一体のものなんだけど、どちらも中途半端に終わったということです。

 安倍さんが本気でやろうとするなら、四島にこだわる世論を「守旧派」と位置づけて攻撃するくらいなことをしないとダメなんだと思うけど、果たしてできるんでしょうか。このままでは無理でしょうね。中途半端さを見透かされて、プーチンさんの「一本勝ち」に終わりそうです。「引き分け」どころか。

2016年12月16日

 昨日、本日と、「自衛隊を活かす会」が関与して来春発行予定の『新・日米安保論』(仮)の編集作業。「会」の3人の呼びかけ人(柳澤協二、伊勢﨑賢治、加藤朗)の8時間に及ぶ鼎談をもとにまとめるものです。かもがわ出版の編集長が、平凡社新書から本を出したり、集英社新書の編集をしたり、違和感を感じる人もおられるでしょうが、まあ面白い内容のはずなので、ご容赦ください。

 ということで、頭がそちらに集中しているので、本日は簡単に。いや、もちろんこの本のことなら書くことがたくさんあるんですが、さすがに自分が執筆者でなく、自分のところで出版するわけでないものは、ネタバレはまずいでしょ。

 やっぱり解散・総選挙はなさそうですね。北方領土では世論が高揚するまでのサプライズはなさそうだしね。それに、いま総選挙をやっても、野党がまとまれば自公で3分の2を維持できないという判断だったとか。

 まあリアルに見ていると思うんですが、私が気になるのは産経新聞の分析です。安倍さんは、いまやれば3分の2を割り込むけれども、時間が経てば経つほど勝利する展望が拓けると思っているとか。

 その判断の根拠が民進党の蓮舫さんにあるというんです。蓮舫さんのさまざまな様子(党首討論だとかカジノの国会対応だとか、その他その他)を見ていると、民進党の支持率はどんどん落ち込んでいくだろうと思えるとか。共産党のいるところに蓮舫さん自身は出ないという態度を貫いているから、野党共闘もうまくいかないとふんでいるのかもしれません。それって、否定しきれないから、つらいですよね。

 ということで、3月のある重要な場所に、蓮舫さんをお呼びして野党がそろい踏みすることを企みました。蓮舫さんとつながりが見えてきたのでね。うまくいかない可能性のほうが高いと思いますが、蓮舫さんがダメな場合も野党のそろい踏みは実現すると思います。

 これ、原発問題で野党が協力しあうことを展望した場なんですが、一人ひとりが考えなければなりませんよね。ある課題があるとして、それを実現するための野党共闘をどうそれぞれが働きかけるのかって。南スーダン問題でも考えていますが、それはもう少し先が見えてからご報告します。

 安倍さんがこの時期に解散しなかったのを、あとで悔やむようにしないとね。では、また来週。

2016年12月15日

 一晩経って、どんなニュースになっているんだろうと朝7時にテレビをつけたら、NHKは扱っていなかった。オスプレイ問題、沖縄問題の宿命か。

 安慶田副知事の抗議に対して、米軍司令官が「パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ」、「(事故を)政治問題にするのか」と怒りをあらわにしたことが報道されている。それがアメリカ側の公式見解ということなら、「植民地意識丸出し」という指摘がズバリ当てはまる。

 ただ、軍人の発言として見ると、そこには真実が含まれている。そして、それこそが深刻なのだと感じる。

 もともとは、C130による空中給油中に燃料ホースがオスプレイのプロペラに当たったということだが、そもそもオスプレイのような巨大なプロペラをもつ航空機への給油というのが、かなり難しい。だけど、オスプレイの使用は政治の決定だから、軍人はその範囲で対処するしかない。安慶田さんがオスプレイの撤去を求めたのに対し、米軍司令官が「(事故を)政治問題にするのか」と怒ったのは、軍人にはそこはどうにもならないからだ。もっとも、その怒りは、沖縄でなく米国政府に向けられるべきものだろうけれど。

 そういう危険性をもつ航空機を押しつけられた軍人としては、危険を最小化するため、訓練を頻繁に実施することになる。以前、低空飛行訓練ルートでのC130による空中給油を論じた米軍文書に目を通したことがあるけれど、こうした訓練というのは間隔が空いてしまうと、次に実施するときにパイロットが恐怖感を覚えることになるため、1週間に何回は実施するみたいなマニュアルが定められている。だから、訓練しないとパイロットにとっての危険性が増すわけだが、訓練をくり返すことによって住民への危険性が増幅するという、抜け出すことのできない袋小路にいるわけだ。

 今回、プロペラに異常を抱えた時点で、パイロットは焦ったのだと思う。そして、住宅が密集する普天間基地に帰還することをあきらめた。そこは米軍司令官が言うように、「住宅、住民に被害を与えない」という使命感が生みだしたもので、評価されるべきだと思う。

 だけど、向かった先がキャンプ・シュワブ。ここだって周辺は民家だらけである。普天間より多いか少ないかという程度の違いだ。

 アメリカだったら、住宅がない場所に基地があり、こんな問題は生じない。ところが沖縄にはそんな場所がない。場所がないのに、政治の決定によって沖縄に米軍が集中的に配備され、そのしわ寄せが沖縄県民に押しつけられる。米兵だって、その政治の決定に翻弄される。

 今回の問題は、やはり、政治をどう変えなければならないのかを問いかけているのだと思う。どうでしょうか。