2017年2月6日

 一昨日、兵庫県の西脇九条の会に招かれ、「日本会議」についてお話ししてきました(2.11の「建国記念日」は福井県の集いでお話しします)。せっかく西脇まで来たので、お化粧直し後はじめて姫路城を見学するため、夜は姫路泊まり。

 で、その夜、姫路在住のトモダチが、私が来るならと飲み会を開いてくれたんです。参加したのは変わった人ばかりで、例えば一人は共産党を除名され、再入党を求めているが拒否され続けていて、それでも「赤旗」は配り続けているという方でした。いや、いろんな人がいるよね。

 それと、西脇に向かう途上、共産党員のトモダチから「昨日、共産党を除籍になりました。お祝いをしてほしい」とのメールがあり、姫路でやるならできるよと返信したら、姫路城見学後のお昼に、なんと合計で8名も集まりました。

 いやあ、何と言ったらいいのか、濃い2日間でした。変わった2日間(こんな日ばかりを続けていると思われないようにしなきゃ)でもありました。

 そのトモダチは、除籍されるにあたって、共産党とかなり議論したそうで、いろんなことを明かしてくれました。もう党員ではないから、外にしゃべっても規約違反にならないということで。

 例えば、特定の問題で共産党と異なる意見を持っていたとしても、それを留保して行動するのということが規約に定められています。では、ちゃんと統一した行動をとっているとして(選挙の支持拡大などで共産党の政策はこうですと、自分の見解とは違っていてもちゃんと説明するなど)、留保した見解をどこかで個人の見解として明らかにするのはどうなのか。民主集中性に反していて処分の対象になるというのが、除籍を通告してきた共産党地区委員会の見解だそうです。

 いやあ、ホントかなあ。そんなことになると、中国研究者の学者の党員が自分の見解を学会誌で公表するのも(共産党の中国論と少しでも異なっていたら)、処分の対象になるよね。しかも、共産党の中国論もどんどん変わっているわけだから、それにあわせて変えていかないとダメだということになってしまいます。事実上、学問研究の自由はなくなるし、学者であることとは両立できないですよね。

 それに、そういうことになると、共産党員は全員が、共産党中央委員会が言っていることを、いつもどこでもオウム返しに言っている人、でなければならないことになります。内心の自由しか認めないということです。そんな組織に魅力を感じる人がいるんでしょうか。

 私は、先日「存在する多様性を紙面で見せるのが大切」というタイトルで書いたように、多様性が見えているが行動は統一されていることが大事だと思います。多様性が見えることと民主集中制は相容れると思っているんです。これは、その問題を本格的に、学問的にも研究する本を出さなければなりませんね。

 それにしても、そのトモダチはばく大な党費を払っていて、配達もたくさんしていて、所属する支部でも「除籍しないで」と要望していたというんですよ。難しい問題ですね。

2017年2月3日

 「サンデー毎日」の日米安保問題の根源的見直しを探る連載、次回(7日発売)は、共産党の志位さんと自由党の小沢さんの対談だそうです。対談後の雑談では私の名前も出たとか(反応までは聞いていませんが)。それにしても、柳澤協二さんから始まり(昨年12月14日号)、寺島実郎さんを経て、石破さん、鳩山さん、そして私、さらに志位さん、小沢さんとつながる顔ぶれを現時点で見てみると、安倍政権の安全保障政策に替わる選択肢をどう提示していくのか、どんな枠組みが求められるのかについて、倉重篤郎さんの戦略があらわれていて興味深いですね。石破さんを仲間に入れるための出版も考えなくちゃいけません。ということで、私の連載は最後です。

 前々回、野党共闘政権として新安保法制以前の自民党の防衛政策を丸呑みし、安全保障政策では新安保法制の廃止か継続かだけを選挙の争点にする選択肢を提示した。というか、そうすれば自民党としても野党の政策を批判しにくいので、格差とかを焦点にして選挙を闘えるという考え方だ。防衛政策を豊かにする作業は、政権獲得後に後回しするということだ。

 一方、かつての自民党の政策の丸呑みではあまりに寂しいだろうし、日米安保には手をつけないのだが、安倍政権の政策に替わるそれなりに魅力的な防衛政策をつくるという選択肢もある。政権獲得後ではなく、いまその作業をするということだ。

 民進党はそういう問題意識をもっているようで、すでに「自衛隊を活かす会」としても意見交換をしたし、今後も関係を持っていこうとしている。トランプ政権下で安全保障問題は激動することが予想されるし、「かつての政策に逆戻り」というのでは国民の気持ち的に受け入れにくいかもしれないよね。「こうするんだ」という積極的なものが求められる。

 で、民進党がそういう道を進んでいくとして、共産党はどうするんだろう。「自衛隊を活かす会」にでも接触し、協力していこうというなら、民進党が進もうとしている道との接点が生まれて、防衛政策での野党合意の可能性も広がるかもしれない。

 そうではなくて、これまでと同じように、防衛政策をつくるのに安全保障問題の専門家の意見を聞かず、憲法論の専門家だけでつくるようなら、なかなか共通政策での合意は難しいと思う。合意したとしても、抽象的なものにとどまるのではないか。

 安全保障問題でのガラス細工のような合意は、中国なんかが少し挑発的な動きをしただけで、容易に崩壊する。民主党政権で閣僚を出した社民党が、普天間基地問題で閣外協力に転じ、野党に下って、結局、民主党政権も終末を迎え、社民党も凋落したのはつい数年前のことだ。

 強力な野党共闘政権ができるかどうかは、共産党の決断にかかっていると言っても過言ではない。どうでしょう。

2017年2月2日

 「安保と自衛隊に関する独自の立場は野党共闘に持ち込まない」。またまた引用する。大会の決定なので、この文言が変わることもないだろう。しかし、「持ち込まない」という点では同じであっても、安保と自衛隊それぞれに対する共産党の立場は全然違うのだということは常に明確にした上でのことでないと、きっとうまくいかなくなるだろう。

 いや、野党共闘は、うまくいくかもしれない。だって、そこには持ち込まないのだから。だけど、野党共闘において、侵略には自衛隊で対処するという考え方にもとづく政策が合意したとして、それを国民がどう受けとめるかが問題だ。「持ち込まない」ことだけが強調されると、侵略に自衛隊で対処しない!のが共産党の基本政策なのに、その立場を「持ち込まない」から合意ができたのだということにならないだろうか。

 自衛隊を嫌う多くの共産党員は、それで自分を納得させるのかもしれない。「イヤイヤ合意したのだ」と。しかし、国民の多数は、その「イヤイヤ」という気分を感じ取って、侵略されても自衛措置をとらないのが共産党だという、現在のイメージをさらに強めていくことになるだろう。

 日米安保をなくすのが基本政策だというのは構わないのだ。安保がなくても自衛隊があれば侵略には対処できると言うことができる。あるいは、安保がないほうが日本の平和と安全につながると強調することもできる。しかし、要するに、両方ともなくすのが基本政策だということになると、たとえ野党共闘でこの分野の政策協議が進んでも(合意ができても)、侵略への対処手段を考えない政党だというイメージだけが残るだろう。それでいいなら仕方ないけれど。

 社会党が「非武装中立」というリアルではない政策を掲げていたとき、敢然と「中立自衛」政策を貫いたのが共産党である。いま「中立自衛」と言わないのは、侵略された時に「自衛」もしないという立場に転換したからではない。当時、不破さんから伺ったことだが、かつての「中立自衛」政策というのが、憲法9条を改正する(自衛組織を保有すると明記する)という立場と密接に結びついた概念だったので、9条を将来にわたって守り抜くという90年台後半に確立した立場からすると、ふさわしい言葉ではなくかったからだ。「中立自衛」というと、9条を変えるのかと誤解されると思われたからだ。中立自衛という政策自体を転換したからではなかったのだ。

 そして現在、当時と異なり、共産党が9条護憲の立場だということは知れ渡ってきた。「中立自衛」が政策だと言っても、改憲派だと誤解されるおそれはない。だから、「中立自衛」が共産党のいまの基本政策だと(自衛隊がずっとあとの将来になくなったとしても「中立自衛」は基本政策であり続けるだろうし)、あらためて打ち出してもいいと感じる。

 いかがでしょうか。続けるといつまでも論じることがあるので、とりあえず、明日で終わりにします。

2017年2月1日

 昨日、共産党中央委員会の建物の中では、「サンデー毎日」がかなりコピーして出回ったとか。中には、コピーを配りながら、「松竹が共産党との対決姿勢に転じた」などと煽るヒマ人もいたみたいですね。そんな底の浅い人(一部だと信じますが)に支えられる中央委員会の将来って、大丈夫なんでしょうか。ま、私が心配することではないので、気にせず、連載に戻ります。

 「安保と自衛隊に対する共産党の独自の立場を野党共闘に持ち込まない」。何回も引用したが、実際の場面のことを想定すると、そう簡単ではないことだ。

 野党の実務者による政策協議が始まってるが、まだ安全保障政策までは行き着いていないようである。そこには、原発その他、大事な問題の協議を先行させる必要があるという事情があるのだろうと思う。それは当然だろう。

 同時に、安保と自衛隊をどう協議していくのか、あまりにも横たわる違いが大きすぎて、どの野党にも見えていないこともあるのではないか。どう手をつけていいか分からないということだ。

 ただ、「独自の立場を持ち込まない」とすでに宣言していることは、とっても重たい意味を持つ。安保や自衛隊に関して何かを主張すれば、「それは独自の立場ではないか」「持ち込まないと言ったではないか」と反論されるわけだから。

 だからというわけでもないが、究極の選択肢としては、独自の主張をせずに(したとしてもうまくまとまらなければ引っ込めて)、民進党の政策を丸呑みすることだって考えなくてはいけない。まあ、その民進党の安全保障政策は何かが、そもそもまとまっていないから困難も増幅するのだが。

 その場合、安全保障政策における自民党と野党共闘の違いは何かという問題が大事になる。「違う」ものを提示しないかぎり、選挙にならないからね。

 おそらく、自民党の政策は、新安保法制に代表されるように集団的自衛権の方向だという位置づけになる。そして、野党共闘の安全保障政策は、新安保法制を廃止し、それ以前の自民党の政策水準に戻すという位置づけになる。

 これはこれで、大事な対決点になると感じる。自民党から「野合」批判があっても、「あなたがたの何十年にわたる政策と同じだ。どこが問題なのだ」と開き直ることができる。

 そうやって、うまくいけば、新安保法制をどうするかということ以外では、安全保障政策の対立点をなくすわけだ。そして、選挙の争点を経済と貧困・格差にシフトさせるわけだ。

 その上で、野党間で、安全保障政策をどうするのか、ちゃんと腰を据えて議論すればいいのではないだろうか。まあ、一つの選択肢に過ぎないが。