2017年3月24日

 安倍首相夫人と籠池理事長婦人のメールのやりとりだけを見ても、相当程度の親密な関係があることがわかります。安倍さんが100万円を出したかどうか分かりませんがが、籠池さんの教育理念に共感した時期があったことは、国会での安倍答弁でも明白です。

 要するに、右派的なイデオロギー、歴史観を教育に持ち込もうという流れがあり、安倍さんが第一次政権で教育基本法を改正し、その期待に応えたわけです。そこに感激した籠池さんが、その線にそって幼稚園での教育内容を考え、小学校までつくろうとしたということです。

 ただ、そのことだけでは、今回ほどの問題にはならなかったでしょう。実際、問題が大きくなったのは、土地の売却をめぐる不透明さが告発されたからでした。教育勅語を教える学校は他にもありますし、それだけで政治問題になるようなことは、いまの日本ではあり得ないのが現状です。

 しかし、その土地売却のことも含め、おそらく今回の問題の背景にあるのは、右派イデオロギーだとは思います。同志となった安倍さんと籠池さんの親密な関係が背景にあって生み出されたものだと言える。

 これまでだったら、土地を安く売ってもらうとか、問題のある学校を認可してもらうとか、それをやってもらおうとしたら、おカネが必要だったわけです。けれども、イデオロギー的な共感による人のつながりが、おカネによる人のつながりの替わりをするようになっているのが、いまの日本政治なのではないでしょうか。

 官僚も、そういうイデオロギーを判断して、土地を高くしたり安くしたりするようになっている。本日の参考人質疑でも高級官僚が出てきて、政治的な働きかけはなかったと断言しましたが、実際にないのでしょう。政治家の働きかけがなくても、イデオロギーに合致しているかどうかを判断基準にすればいいわけですから。

 そして、おカネの受け渡しがあると法律違反になるけれど、イデオロギー的な共感は誰にも罰することができません。「内心の自由」ですからね。

 でも、そう考えてくると、特定のイデオロギーが政治や行政の判断基準になっている社会って、おそろしいことですよね。今回の問題で検察が出てくるような局面は考えられませんが、そういう日本社会のありようを変えていくための努力は、すごい規模で求められていると思います。(了)

2017年3月23日

 生業訴訟のことを書く予定でしたが、本日は籠池さんのことしか話題にならないでしょうから、その問題です。これまで何も書いていませんでしたが、何をどう問題にするべきなのか、考えあぐねていたのです。

 通常、こういう事件が起きると、我々の思考は、これまでの同種の事件に引きずられがちです。大企業や大金持ちがおカネを政治家に渡して、それで政治家が役所を動かし、政治がゆがめられるという、贈収賄型の事件です。今回も鴻池さんの証言があって(小池晃さんの追及もあり)、籠池さんがおカネで政治を動かそうとした事実が明らかになったので、その延長線上で事件を眺めてしまっているのではないでしょうか。

 確かに、昔の自民党政治というのは、そういうものでした。首相になろうというような実力者には、配下の議員や候補者に配るモチ代が必要で、献金を集めることが(その見返りに便宜を図ることも)不可欠だったわけです。でも、この「モチ代」が、かな漢字変換で出てこないほど過去のものになっています。よく言われるように、小選挙区制になって、首相の力の源泉は候補者を公認する権限があることから生まれる構造になっています。おカネも政党に集中するようになっています。おカネがなくても首相が絶大な権力を行使できるようになっているわけです。まあ安倍さんの場合、元からお金持ちなので、疑わしいおカネには見向きもしないこともあるでしょう。

 こうした時代には、何かの目的を達成しようとすると、政権のトップにどう取り入るかということが大事になってきます。籠池さんが首相の名前を冠した学校をつくろうとしたのも、そうした意図があったからでしょう。

 また官僚についてみても、昔なら、ある派閥から別の派閥に権力が移動するということが日常茶飯事だったので、特定派閥とだけ親密にするようなことはしなかったでしょう。だけど現在の権力構造のもとでは、派閥に対して等距離である必要はない。首相による働きかけがあろうがなかろうが、首相の意向に沿った行政ができるかどうかが、官僚の腕の発揮のしどころということになっているように思えます。

 そいうことで、今回の事件は、現在の政治構造が生み出したのだと思います。その意味で「安倍政治型」と名づけました。

 こういう構造で行政がゆがめられたとき、それを法的に裁けるのかというと、なかなか難しいように思えます。たとえ安倍首相から、「学校の認可に便宜を図ってくれ」という働きかけがあり、官僚が強引に認可にもっていったとしても(そこまで証人喚問等で明らかになっても)、安倍さんが「いや、学校の認可なんだから、法令にもとづいてやるのが当然だ。首相が法令を無視してやれと言うはずはない」と開き直ったら、法的責任という問題にはならない。

 我々は、小選挙区制とともに、こういう政治構造を生み出したのだと思います。ただ、この政治構造は、民主党がいったん政権をとったことでも明白なように、政権政党を追い詰めるだけの野党が存在するなら、変化を生み出すことができます。政治的、社会的、道義的な問題として追及し続けることは、その意味で大事です。官僚も、自民党内の派閥争いに気を遣わなくなっても、本来、野党の動きには目配りが必要とされるわけです。あれだけのダンピングを平気でやったのは、政権交代はないという見込みをしているからでしょう。それを覆すだけのものを野党が手に入れられるかが大事です。

 今回の事件を「安倍政治型」と名づけたのは、もう1つの理由があります。それはイデオロギーがからんでいることです。(続)

2017年3月22日

 昨夜、福島から東京経由で京都まで、民族(一人だけど)大移動。1週間の出張の最後だったので、さすがに疲れました。

 生業訴訟に関わりはじめた最初に、傍聴をしたことがあります。しかしその後は、2か月に1度の裁判の度に福島には行きましたが、私の役割は傍聴できない人のために講演会を開催することだったので、その講師のお相手もしなければならず、ずっと傍聴しないで来ました。

 昨日は、最後ということで、私は講演会に責任を持たないでいいように配慮してくださって、傍聴することができました。人前で涙を見せることのない自分ですけど、昨日はさすがに何回も涙ぐんでしまいました。

 服部浩幸事務局長の最後の訴え、かっこよかったです。しびれました。傍聴席から思わず大きな拍手。裁判長も、「静粛に」と言いつつ、「お気持ちは分かりますが」とおっしゃってました。

 3.11のとき妊娠八か月で切迫流産だった方の証言もありました。そういう事態なので避難もできず、出産後9か月ほどの避難生活を経て、現在は福島市内に住んでおられます。その間の気持ちの揺れが切々と伝わってきました。最近の話ですが、福島県外の親戚の家で集まったとき、小学生の子ども同士が楽しい時を過ごし、最後に「今度は○○ちゃんのお家で会いたいね」という話題になったのに、ある小学生のお子さんが「○○ちゃんのお家は福島だから行ってはいけないんだよ」と口にして、ご自分の子どもがうつむいたというお話もされていました。このような話は、まだ日本中に山のようにあるんでしょうね。

 本日は時間がないので、これ以上書けませんが、明日と明後日、生業訴訟について思うことを書いておきたいと思います。なぜ私がこんなに入れ込むことになったのか、分かっていただけるかも。(続)

2017年3月21日

 昨日より福島に来ております。生業訴訟が提起されて今月でちょうど4年、本日が結審なのです。私も傍聴予定です。

 昨日、前夜集会とレセプションがあり、そこでお話ししたことを書いておきます。このタイトルのことです。

 生業訴訟で私が紹介されるとき、毎回の裁判に有名人を呼んできてくれてありがとうという、そんな感謝されている文脈で出てきます。それは事実で、これまで何の結びつきもなかった方々に連絡をとり、生業訴訟について話を聞いてもらい、来ていただくことで合意するというのは、そう簡単なプロセスではありません。

 しかし、私にしてみれば、感謝されると言われても、あまり実感がない。それよりも、私のほうが感謝していますというのが正直な気持ちです。

 だって、普通だったら弊社のような小さな会社が接触し、本を書いてくださいとお願いしても、おそらくそれは実現しないような方々ばかりです。それが、生業訴訟で講演してくださいとお願いしたら快諾してくださり、さらにそれを本にしてくれるわけですから、感謝感謝なのです。

 前回(1月)にお呼びした鳩山由紀夫元総理の話をしておきましょう。鳩山さんに最初にお会いしたのは昨年9月でした。大田昌秀元沖縄県知事などと「沖縄謀反」(仮)のようなタイトルの本をつくろうということで、那覇市で座談会をやったときです。その際、せっかくお会いしたわけだし、生業訴訟には有名人が来ていましたが、政治家は「オール沖縄」の仲里衆議院議員だけだったので、元総理という肩書の方には意味があると思って、お誘いしたのです。快諾していただきました。なぜ菅直人さんではないのかと聞かれましたが、菅さんだと責任追及の対象になるかもしれませんしね。

 それで年末の裁判の時、次にお呼びするのは鳩山さんだと、恒例の裁判所前集会でお伝えしたのです。そうしたら、参加していた原告の方から、「エーっ!」という反応でした。鳩山さんって、普天間基地の県外移設の公約を裏切りましたが、沖縄においては、県外移設に現実味を持たせてくれたし、総理をやめたあとも沖縄行脚をしておられて、好感を持って迎えられていたのです。だけど、それは沖縄止まりで、福島を含む本土の方にはとうてい受け入れられる話ではなかったのでしょう。

 それで1月に福島にお呼びする際、新幹線で一緒にやってきて、お昼ご飯も一緒にして、いろいろお話ししました。要するに、「抑止力のことを学べば学ぶほど…」として県外移設公約を裏切った責任について深く反省的に総括し、それをどう生かすのかについて、まとまった本を書いてほしいということでした。

 普通、4か月前に初めてお会いした方に対して、「反省しろよな」なんて言えないでしょう。元総理大臣なんだし、よけいにです。だけど、少なくとも生業訴訟にいっしょに関わっているという点で、こころざしは共有しているわけです。沖縄と同じく政府の強権と闘っている福島の人が、このままの鳩山さんではダメだと感じていて、私はその気持ちを伝えなければならない。

 その甲斐あって、鳩山さんには、本を書いていただくことになったのです。対談本ですが、対談相手は、鳩山さんの抑止力発言を批判して7年前に論壇デビューした柳澤協二さん。『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも国外」』。

 ということで、鳩山さんがこの本を出すことになったのは、生業訴訟があったからなんです。このブログ記事のタイトルにあるように、生業訴訟には人を連帯させる力があるからなんです。本日結審で、判決は9月頃でしょうか。昨日、結審後の闘いが大事だというお話がありましたので、気を引き締めて臨みたいと思います。

2017年3月17日

 こっちの連載もやっていたんですね。終わらせておきましょう。間隔が空きましたが、なぜこんなタイトルの本を書きたいのかということです。

 だって、護憲って、とっても奥が深いところが好きです。単純化できないところです。
 例えば、護憲派は平和が好きで、改憲派は戦争をめざしているという単純化があります。だけど、改憲派だって、その多くは戦争をしたくないと思っているのが現実でしょう。

 外国軍事基地を日本におかないことを憲法に明記すべきだという改憲派もいます。それって、戦争したくないから、改憲したいと思うわけですよね。事実上の護憲派です。

 あるいは、自衛隊のことを憲法に明記すべきだという人だって、戦争したいからそう思っているわけではありません。全然ありません。やっぱり、自衛隊があるのに、それを憲法で否定している現実って、正常ではないんです。5年とかせいぜい10年で段階的に廃止するというなら、少しくらいは矛盾が放置されていいと思いますが、おそらく現在の世代が生きている間には実現しないわけですから、現実を憲法にあわせるんだといっても、なかなか説明がつかないんです。

 いずれにせよ、こういう改憲を主張する人たちを「戦争大好き人間」だとみなして、そう批判していては、いつまで立っても護憲派に耳を傾けてくれることはないでしょう。どうしたら耳を傾けてもらえて、非現実的なことに納得して護憲派になってもらえるかを考えることって、とってもワクワクしませんか。

 それと、一昨日の夜にNHKで北アイルランドの旅の番組があったそうで、私は見なかったんですが、カトリックとプロテスタントとの激しい抗争があったので、それを分ける「壁」があるんだそうです。その壁、「平和の壁」と呼ばれているとか。そう「平和」のためには対話でなく分断が不可欠。そういう平和の考え方だってあるわけです。

 とりわけ、戦争をしなければ平和を勝ち取れなかった国では、戦争と平和が対義語だという感覚は理解してもらえないでしょう。そういえばいま、再び評判になっているジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読んでいますが、あの国では、党の3つのスローガンがあって、その最初は「戦争は平和なり」なんですね。これは独裁体制への嘲笑でしょうが、それが人々を納得させるものを含むから、体制が継続したということでもあるでしょう。

 護憲派がちゃんと伸びていくには、戦争と平和をめぐるあらゆる問題に関心をもって、これまでの経験のなかでは出会ったことのない人とあって、出会ったことのない考え方と接して、全く新しい考え方を提示していかなければなりません。何かの書物に書いているわけではないものを生み出していかなくてはなりません。

 人生をそういうものに賭けるって、やっぱり楽しいですよね。(了)