2017年4月4日

 そういう稲田氏と自衛官の間には緊張関係が存在していると思われ、「日報」をめぐる問題も、そこから生まれているように見える。自衛隊の隠ぺい体質その他いろいろあるのだろうが、本質的なことは稲田氏と自衛隊の間の信頼関係の欠如にあるのではないか。

 よく知られていることだが、南スーダンの自衛隊が「日報」を作成し、報告していることをつかんだジャーナリストの布施祐仁氏が、昨年9月30日、防衛省にその情報公開請求を行った。直前の7月に首都のジュバで150人以上が死亡する大規模な戦闘が発生していたので、現地の自衛隊は事態をどう見ており、どう動いたのかを知りたいと思ったわけだ。

 情報公開請求を行うと、通常は30日以内に、その情報を開示するかしないかが通知される。ところが、30日を経た10月30日に布施氏のもとに届いたのは、「開示決定にかかわる事務処理や調整に時間を要する」ので、期限を延長するというものだった。そしてようやく12月2日になって連絡が来てみたら、「日報はすでに廃棄しており不存在」、すなわち廃棄したので公開しようがないというものだったのだ。しかしその後、統合幕僚監部のコンピューター内に保管されているのが見つかり、今年2月7日に発表されたというのが経過である。

 驚くべきは、統合幕僚監部が「日報」を発見したのが昨年12月26日だとされるのに、1か月も経った今年1月27日まで稲田氏に報告されなかったということである。南スーダンで大規模な戦闘が起きている中で、現地の部隊が事態をどう見ているかは、決定的に重要な情報である。「戦闘」の二文字が入った「日報」を見せたら、稲田氏が撤退を言いだすのを心配したのか、それとも国会答弁にブレが出るのを心配したのか、それは分からない。しかし、統合幕僚監部は、いま自衛官がおかれているもっともシビアーな問題をめぐって、情報を真っ先に共有する相手として防衛大臣を位置づけていなかったということである。

 しかも、2月15日になると、この「日報」は陸上自衛隊にも保管されており、統合幕僚監部の幹部の指示で消去していたことなどが次々に報道されることになる。これも自衛隊内部からの情報だとされている。大臣を信頼しなかった統合幕僚監部も、現場の自衛官から信頼されていなかったということだ。

 さらにこの3月17日、陸上自衛隊の3等陸佐が「身に覚えのない内部文書の漏えいを疑われ、省内で違法な捜査を受けた」として、国に慰謝料500万円を求める国家賠償請求訴訟を起こした。河野克俊統合幕僚長が2014年に訪米した際、「安保法制は15年夏までに成立する」と米軍首脳に約束していたとする内部文書を共産党が入手し、新安保法制を審議していた国会(2015年)で政府を追及したのだが、その文書をめぐる問題である。当時、防衛省は、そういう文書は存在しないと言い張っていたが、訴状によると、文書が国会で暴露された翌日、統合幕僚監部がその文書を秘密指定し、各職員に削除を命じたとされる。それと平行して、その3等陸佐を存在しないはずの文書を流出させた犯人扱いし、厳しく責任を追及するとともに、高度な情報を扱う部署から閑職へ異動させたという。

 現職の自衛官が国を訴えるのは異例である。「日報」問題も含めて考えると、稲田大臣のもとで、防衛省・自衛隊の間で信頼関係が揺らぐ事態が生まれ、実力組織である自衛隊の統制上、深刻な問題が起きていると言わざるを得ない。