2017年4月5日

 森友学園をめぐっても、稲田氏の信頼性欠如が問われている。いわゆる虚偽答弁の数々で窮地に立たされているのである。撤回や修正に追い込まれた発言には以下のようなものがある。

・「籠池氏から法律相談を受けたこともなければ、実際に裁判を行ったことはない」、
・「これまで私は、光明会(稲田氏が夫とともに立ち上げた弁護士法人)の代表となったことはない」、
・「(籠池氏とは)ここ10年来はお会いしていない」、
・「夫からは本件土地売却には全く関与していないことをぜひ説明してほしいと言われている」

 国会で問題になっているのは、これらの「虚偽」である。自分の「記憶」がそうだったのだとして稲田氏は合理化したわけだが、友だち同士の会話ではないのだから、「記憶が違っていた」では済まないことは明白だ。

 ただ、私が問題だと感じるのは、稲田氏がウソをついていたかどうかではない。そのウソの付き方である。そこに、人間として、上司としてそれでいいのかという、まさに信頼性に疑問を感じさせるものがあるからだ。

 誰が見ても、稲田氏と籠池氏との間には、イデオロギー上の親密な関係があったことは明らかだ。教育勅語を大事にすることなどで共感し合い、それが稲田氏が弁護士として籠池氏を支援し、籠池氏が政治家である稲田氏を応援する関係を築く基盤となったことは疑いようがない。安倍首相と昭恵夫人に至っては、その親密な籠池氏との関係が最近まで続いていたことも明白である。

 ところが、森友学園のことが政治問題となり、自分の政治家としての立場に悪影響を及ぼすようになると、稲田氏は(安倍氏も)突然、籠池氏との間には何の関係もなかったかのように立場を翻した。人間と人間の関係はそういうものなのだろうか。例え親しくしていても、自分にとって不利な人間になったら即座に切り捨てるというのは、人のありようとしてどうなのだろうか。

 そういう疑念を感じさせることが、私だけでなく、稲田氏に対する世論の冷たい視線の背景になっているように思える(安倍内閣の支持率低下も同じだ)。そしてそれが、「戦闘」や「日報」をめぐって、自衛官から信頼を勝ち得ていないのではないかという危惧と重なってくるのだ。

 稲田氏にとって大事なのは、いったい何なのか。自分の部下、仲間、同志なのか、それとも自分の政治的経歴なのか。そこが問われているだけに、現在の苦境から抜け出すのは簡単ではないだろう。

 憲法九条のもとでの防衛大臣の仕事には特有の難しさがつきまとうが、だからこそ苦労のしがいがあると感じる。防衛大臣たるもの、自分の身を捨ててでも、職務に邁進してほしい。それができないなら、潔く身を引くべきではないか。(了)

 これ、いつもの産経新聞デジタルiRONNAへの投稿だったんですが、私がつけたタイトルは「信頼されない防衛大臣の進退」だったのに、そちらではこんなに過激になっています。右派が画策する稲田追い落としに加担しちゃったかな。
〈自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ〉