2017年7月7日

 本日(日本時間では明日未明)採択予定ですね。どうなるでしょうか。

 ところで、すでに現時点で、採択される最終のものの英文と邦訳を、対訳のきれいなかたちで作り終えました。そんなもの、まだどこの大新聞も大政党もやっていないと思います。

 かっこつけていうと「使命感」。自虐的にいうと「株式会社というもうけ本位の資本主義の宿痾の象徴」。

 その対訳のPDFファイルをほしいと言ってくる人がいるんですけど、商売でやっていることは否定できないんですよね。ただで差し上げると本が売れなくなるわけで、何百部か売るのに協力していただけるならいいですよ、と返事しています。

 当初のものから1.8倍くらいに増えましたし、中身も変わりました。当初は禁止事項になかった「威嚇の禁止」が入ったことは大きな変化です。

 本日の「赤旗」に掲載された会議の模様に関する池田晋記者の記事、とっても良かったです。何が良かったかというと、条約に参加する国々が一枚岩でないことがわかるからです。

 NATOの一員として「核の傘」のもとにある(したがって「威嚇」が禁止されると困る)オランダの苦悩も書かれています。主張したことが明示的に載らなかったけど、解釈で含まれると表明したエクアドルのことも紹介されています。しかし、それでも団結してつくろうとしていることが、とっても大事だと思います。記事では次のように書かれていました。

 「多くの国は、自国の主張と完全に一致しない点を認めつつ、「一国の優先事項を越える必要がある」(キューバ)として最終案を受け入れる考えを表明しました」

 そうなんですよね。一致しないことを問題にすると、核兵器の違法化が遠のくわけですから、みんなで譲り合ったわけです。この精神が、世界でも日本でも求められていますよね。

 明日の朝を楽しみにして迎えたいと思います。でも、一つだけ、大きな仕事が残っているんです。

 本日、最後の修正が提示されて、それは組み入れました。ところが、それは内容的な修正であって、文法上の問題から修正された箇所があるらしいんです。膨大な条約のなかから、それを特定しないと間違った英文ということになるわけです(内容上の修正ではないので、邦訳を変える必要はないでしょうけど)。

 それを週末にトライします。って、読み合わせするだけですけど。では、来週、またお会いしましょう。

2017年7月6日

 先日、『若者よ、マルクスを読もう』の著者である内田樹さん、石川康宏さんを、ご両人の住居の中間地点である芦屋にお招きし、暑気払いをしてきました。前日まで兵庫県知事選挙で頑張っておられたお二人なので、その慰労も兼ねてということで。

 まあ、本心は、「若マル」の今後です。ⅠとⅡを刊行し、その次に昨年9月、番外編として『マルクスの心を聴く旅』をだしましたが、その次をどうするかでご相談があったわけです。

 当初、エンゲルスの著作に挑もうとしていたんですが、ちょっと軌道修正をしたいと思ったのです。なぜかと言えば、来年がマルクス生誕200年になり、その話題で盛り上がることになるので、やはりマルクスの著作を論じ合うのがいいんじゃないかということです。

 マルクスの著作で残っているのは、パリ・コミューンを扱った『フランスにおける内乱』と『資本論』。それだけでは1冊にならないので、200年を記念した対談を来年の5月5日(マルクスの誕生日)までにどこかで実施し、それをあわせて1冊にしようという野望を抱きました。

 で、その対談をする場所は京都が第一候補なんですが、もしどうせならベルリンとかでやろうとなったときのため、『マルクスの心を聴く旅』を主宰してもらった旅行社にも声をかけておきました。結果は野望通りということでしょうか。

 来年3月26日(月)から4月1日(日)の日程で、マルクス生誕200年のツアーをやります。行き先は、なんとアメリカです。

 アメリカを訪れるという、旅行社提案の意外性が良かったかもしれません。何と言っても、マルクス200年のツアーですからね。

 でも、私としては、なかなか気に入っています。マルクスが変革しようとした資本主義が一番発達している国ですからね。トランプを誕生させたラストベルト地帯を見てくるのにも意味を感じます。

 同時に、サンダース現象が起こりましたが、彼が提唱した「社会主義」を考えるツアーにもなればと思います。日本の社会主義者にとっては、アメリカで社会主義を唱える人がいても、「何をたわけた言っているのか」という感じではないでしょうか。ヨーロッパの水準にも達していないのに、社会主義が問題になるわけがないだろうという感じです。

 だけど、本当にそうなんでしょうか。これまで、資本主義の発達が遅れた国が社会主義をめざす革命をやったことで、さんざんそのツケを後世の世代が払わされてきたわけですが、やはり社会主義というのは、資本主義が成熟し尽くしたところで見えてくるのかもしれません。そうなら、やはりアメリカで議論されている社会主義を知るのは、不可欠なことのように思います。

2017年7月5日

 9月末に沖縄でいろいろ計画していることは、すでに何回か書きました。すごく盛りだくさんなのですが、それらに一括して参加しようという方々のため、ツアーを計画しました。

 「伊勢﨑賢治と語り尽くす沖縄4日間──初の沖縄ライブ、辺野古での交流、新安全保障論の議論」というんですが、どうでしょうか(添付)。ご希望の方は、チラシにある旅行社に申し込んでください。

伊勢﨑沖縄ツアー

 伊勢崎さんとバンドの方が同行します。羽田発の場合ですけど。

 28日はまず対馬丸記念館を訪れたあと、沖縄タイムス社に行きます。そこで編集幹部の方に沖縄の現状について説明をうけ、懇談したいと思います。

 29日。伊勢崎さん、鳩山友起夫さんとともに、まず普天間基地に行き、琉球新報記者に案内してもらいます。基地のある宜野湾市出身の方で、リアルなお話が聞けるでしょう。

 その後、辺野古へ。バスのなかで伊勢崎さん、鳩山さんと、そして現地で市民の方々と交流。その後、嘉手納基地とか、一昨年、米軍属に女性が殺された現場などを経て、再び那覇へ。

 夜は、『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも国外」』の著者である鳩山さん、柳澤協二さんの対談に参加します。あるいは、この翌日にも実施される伊勢崎さんのジャズに参加することも可能です(こっちはオプション)。

 30日。午前は自由行動。午後は、自衛隊を活かす会のシンポジウム「沖縄から模索する日本の新しい安全保障」に参加します。沖縄からは糸数慶子さん、伊波洋一さんが、本土からは元陸将の渡邊隆さんと、「会」の3人が参加します。先日、沖縄に行ったときに新聞社の幹部の方々に説明してきましたが、みなさんすごく刺激を受けたようです。沖縄は米軍基地に反対しているだけでなく、安倍さんよりずっと真剣に日本の安全保障考えていることを伝えるための、最初の一歩になると思っています。

 そして夜。伊勢崎さんのジャズです。テーマは「主権なき平和」(仮題)。これって、その9月に出る伊勢崎さんの新著(集英社、布施祐仁さんとの共著)の本のタイトルと同じです。世界の地位協定を比較して日本の問題点を鋭く突いた本になるということで、その気持ちがライブににじみ出てくるんじゃないでしょうか。

 最後の日、10月1日。オプションで南部戦跡巡りがあります。参加しない方は、国際通りでお買い物でしょうか。

 ということで、すごく豪華でしょ。是非是非、ご参加下さい。私は伊丹空港から乗ります。

2017年7月4日

 週末は選挙で盛り上がっていたけれど、どのテレビ局も、香港返還20年の話題は欠かさなかったようだ。当然だろうね。

 論調はどれも同じ。1国2制度で半世紀は高度な自治を保障するということで出発したはずなのに、いまや中国の干渉が激しく、1国ばかりが強調され、2制度のほうが崩壊寸前というものだった。

 20年前、多少は希望があった。共産主義と資本主義が出会うことで、何か新しいものが生まれるのではと期待した人もいた。時間が経過することで(半世紀のうちには)、中国も少しは民主主義に向かうだろうと考える人もいた。

 しかし、現実は正反対の方向に進んでいる。自由の抑圧だ。

 そして、その推進力になっているのは、中国が圧倒的に経済力をつけてきたことである。当初、香港には経済力があるので、その意思を中国も尊重するだろうと思われていたわけである。しかし、経済力において中国が逆転したことにより、香港が依存するようになり、「自由や民主主義よりも経済」みたいになっているのだろう。

 しかも、その経済というのが、まさに中国流である。強いもののための経済だ。テレビでは、一部屋5億円のマンションがある一方(外国人や中国の富裕層向け)、青年が狭い部屋に何人もクラス様子が映っていた。

 そう、共産中国が、抑圧と格差を香港にもたらしているのである。中国とは付き合わなければならないが、ケンカしながら付き合う手法を早く身につけるべきだろう。

 それなりに立派だと思ったのは、返還20年をテーマにした、日本共産党の「赤旗」の連載である(2日から本日までの上中下)。

 香港の10年後を描いた映画「十年」の監督などに取材し、1国2制度の崩壊などを声として紹介している。記者の言葉としても「見る人に香港が徐々に浸食される恐怖感を与える」と書いている。中国からの留学生が香港の自由にふれて、それを大切なものとするようなことも指摘される。

 選挙結果に酔いしれて、この記事、読まれていないかもしれないけど、こういう見方をしているということを、街中でも堂々と言ってほしいよね。「赤旗」も中国を等身大に描けるようになったわけだから。まさか「社会主義をめざしている」なんて時代に戻らないでほしい。期待します。

2017年7月3日

 「『小池都政の是非』とみられていた選挙戦の争点は、日増しに『安倍政権の是非』に色合いを変えた」

 毎日新聞の第一社会面の「解説」の冒頭部分だ。この評価に得心した。ここまで変わることは私の想像をはるかに超えていたけれど。

 それにしても、最終盤に自衛隊問題で間違いを犯すと、とんでもないしっぺ返しを食らうんだね。前回の参議院選挙の共産党もそうだった。

 護憲勢力としては、審判の結果をふまえ秋の臨時国会への改憲提案などするな、というのが本道なのだろう。だけど私としては、何としてでも国民投票をやって、この問題での歴史的な決着をつけたいという気持ちが強い。結果はどうなるのであれ、9条は国民が選んだということを、名実ともにはっきりさせるようにしたい。それが日本の安全保障の議論を本格的に進める上で、欠かすことができないと感じる。

 その点では、怒られるかもしれないけれど、安倍さんに退いてほしくないのである。これまでと同じく、9条を曖昧にする路線は、もうゴメンである。

 さらに、もっと怒られるかもしれないけれど、防衛大臣は稲田さんのままではどうだろうか。評価の難しい安倍さんの加憲案の本質が見やすくなるし。まあ、これはほとんど悪い冗談ですが。

 いずれにせよ、安倍さんが退くのは、その政策、政治路線、国家像をめぐって本格的な論戦があり、その結果、国民多数がこれではダメだと判断した時であってほしい。民主党政権の誕生は、国民は自民党政権に愛想を尽かしていたけれど、日米安保堅持に代表されるように、どこまで国の在り方を変えていくかの覚悟は国民のなかで醸成されていなかった時点でのものだった。その結果、何も変わらなかったわけだ。

 政治を変えるのは、国民の覚悟が必要である。9条国民投票は、そのための絶好の機会ではないだろうか。