2017年7月12日

 本日から東京。いろいろな方にお会いして、いろいろな分野で議論する。憲法改正国民投票までの1年半、どうやって勝負していくのかを、いまどき100万を超える読者を持つ雑誌の責任者と話し合う。某大メディアの編集幹部とは、それも含め政治全般の議論になるかな。いま書いている本のために、自衛隊違憲判決が下された長沼訴訟を勉強したくて、15万円で売られている全資料集を貸してもらうため、その弁護団の責任者だった方にお会いし、いろいろ伺うつもりもある。「広島の被爆と福島の被曝」の3回目の講座もあるし、来年のマルクス生誕200年ツアー関係もあるし、会議にも出る。来週も水曜日から東京出張だし、その後は原水爆禁止世界大会に突っ込んで行くし、余裕のない日々が続くことになる。

 で、本日の仕事のメインは、ロシア革命100年論をどう本にするかの議論だ。これが難しい。

 そもそも、ロシア革命100年が近づいているのに、何の議論にもならない。ソ連崩壊までは、それを肯定するにせよ否定するにせよ、議論があった。ソ連崩壊後は、それを全否定する立場からの議論が、ずっと続くことになった。だけどいまでは、メディアの主流からは「もう取り上げる価値もないずいぶん古い過去の歴史」になってしまっているし、社会主義をめざす潮流のなかでも、「学ぶべき価値のないできごと」とか「ロシア革命さえなかったら社会主義の価値はまだ輝いていたのに」で終わるようになっている。

 私が手にしているのは、なかなか斬新なロシア革命論である。是非、世に問いたい。しかし、現在の流れのなかでは、どんなに斬新なロシア革命論であっても、なかなか受け入れられることにならないと思われる。

 斬新というだけでは、おそらく読者は手にしない。いまでは、相手が社会主義に関心を持つ人であっても、ロシア革命を語る言葉は他人事に聞こえるのだから、相手に通用する言葉にしなければならない。

 そこが難しいわけだ。あと2〜3か月で完成させようとして無理すると、うまくいかないかもしれない。どうせなら、ロシア革命101年論のほうが、耳目を惹きやすいかもしれないと思うほどだ。

 ということで、悩みながら新幹線の乗ります。行ってきます。