2013年9月30日

 神戸の元町商店街に「海文堂」はある。来年で創業100周年を迎えるところであった。名前の通り、もともと「海」に関係する本を中心に置いてきたが、人文・社会の本を積極的に展開していて、うちのような出版社にとっては得がたい本屋だった。

 その海文堂が、本日、閉店である。もちろん、いま、本屋の閉店はめずらしくないし、どんな出版社もいつ倒産してもおかしくない。だけど、海文堂の閉店は、うちにとって大きいというだけでなく、元町に本屋がなくなるということだから、神戸の人びとにとっても影響が甚大だと感じる。

 実は昨日、海文堂のある元町商店街の「神戸まちづくり会館」というところで、非核神戸港方式にちなんだ集いがあり、講演を頼まれていた。海文堂がなくなることは聞いていたから、訪ねる予定があった。そうしたら、その前日に海文堂に立ち寄ったお玉おばさんから連絡があり、すごいことになっているから是非行きなさいと言われたのだ。

 いや、ホントだった。この写真、レジなのだ。そこに私の本と、講演会のチラシが置いてあった。爆発的に売れている岸惠子さんの「わりなき恋」の横だよ。しかも、私の本の最後の1冊、目の前で売れてしまった。
海文堂
 店長の福岡さんにご挨拶したら、毎年おこなわれるこの講演会、福岡さんも参加しているそうだ。だからいつも、チラシをこうやって目立つところに並べてくれるんだね。実際、チラシを見て来たという方が、講演をとっても熱心に聞いてくださった。福岡さん、「今後は一人の読者として貢献させていただきます」と言っておられたが、本当に打撃は大きいよね。でも、長い間、ご苦労様でした。ありがとうございました。

 で、私は、昨日だけでなく、一昨日も講演会。この秋の土日は講演会だらけです。うれしいのは、「九条の会」などを中心にして、「憲法九条の軍事戦略をベースに話してほしい」という依頼が多いことだ。

 まあ、一人で毎週講演したからといって、影響力は限られているけれど、九条の会のなかに、軍事戦略というものを考えなければならないという動きが出ていることは、私としてはうれしい。本気で九条を守ろうとか、九条を実現しようとか思えば、そこをくぐり抜けないとダメだと思うしね。だから、今年の秋は、多少は無理してもがんばります。

2013年9月27日

 昨晩、改憲派とつながりを持つ知人と久しぶりにお会いし、いろいろ話を伺った。本人は改憲派というわけではないが、産経新聞の「国民の憲法」などにも意見を求められている方だ。

 その方が、自分が招かれた改憲派の討論会、集会などの様子をリアルに語ってくれた。一言で言えば「前のめり」になっているという印象だそうだ。

 天皇の元首化問題なども、改憲派のなかにも慎重論は多いのだ。だって、本当に権力をもつ元首にしてしまえば、戦争だって天皇の名でやることになるし、そんな戦争で負けたら「退位」とか「廃止」なんてことになりかねない。それだったら、「象徴」のままにしておいて、「世界に類例のない地位」を誇った方がいいという考え方の方も多い。ところがいまや、そういう意見さえ言いにくい雰囲気があるという。政府の安保法制懇で集団的自衛権の議論をリードしているある学者も、元首化問題では別の見解を持っているようなのだが、集会ではもごもご言うにとどめるという感じだそうだ。

 あるいは、その集団的自衛権。日米共同訓練中に米艦船が攻撃されても自衛隊が反撃できないから集団的自衛権が必要だというが、共同訓練中に片方だけをねらって攻撃するなんて現実味のある想定ではない。だけど一方で、日本の平和に関係のある事態のように見せかけないと、世論の離反が起こるので「共同」訓練といわざるを得ない。でも、あまりに「共同」を強調しすぎると、「それって個別的自衛権の話でしょ」となっていく。そういうことも含め、改憲派の集会で集団的自衛権の言葉は飛び交うが、そもそも集団的自衛権とは何かを理解している人は、ほとんど存在しない印象だという。

 「地球の裏側」問題も同じだ。理論的に言えば、集団的自衛権を認めれば、「地球の裏側」まで自衛隊が行くのは当然のこと。だけど、それでは理解されないだろうということで、日本の平和に関係しそうな事態に見せかける。だけどそうなると、集団的自衛権の問題ではなくなってくるというわけだ。

 参議院選挙の結果、改憲が現実味を帯びてきて、改憲派は本当に高揚しているのだと思う。それで、あれもこれもこの機会に、という感じなのだろう。

 だけど、だからこそ、改憲派のなかにもいろいろな意見の違いがあるのに、それを深く議論して、調整して一本化して、「ここで突破しよう」というふうになりにくい。まあ、そこの矛盾をどう突いて、亀裂を拡大させるかというのも、考えないとダメなところだと感じた。
 

2013年9月26日

 安倍さんがアメリカに行って、いろいろ発言している。そのなかに、日本は積極平和主義の国になるのだという言葉があった。

 これって、基本的な概念は、90年代以降、改憲派から持ち出されたものと同じである。日本周辺にも世界にも不埒ものがたくさんいて、ただ日本だけが攻められなければいいという立場は間違いだ、世界の紛争の解決のため日本は積極的な役割を果たすべきだというのが、この概念の出発点だろう。そこから、1国平和主義の憲法を変えようという結論になるわけだ。

 怒られるかもしれないが、私も、以上にまとめたような範囲でいえば、あまり立場は変わらない。結論は違うのだけれどね。

 実際、世界では、戦争によって毎年50万の命が奪われていて、そのうちの9割が女性と子どもだと聞けば、誰だってほおかむりすることはできないだろう。侵略して他国の人の命を奪う国があれば、それを諫めるために何らかの行動をとらなければならないというのが、普通の感覚だと思う。

 そして、日本国憲法は、まさにそういう立場に立っている。前文の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という願い、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という宣言などはその象徴である。そして前文は、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」としているのであるから、世界の平和、専制の除去等のために力を尽くすのが憲法の立場であることは、あまりにも明らかである。

 ところが、安倍さんの「積極平和主義」なるものは、こういうものとはまったく異なる。いや、軍事力中心か軍事力否定か、というレベルの話ではない。軍事力による平和ということを批判しないという立場から見ても、安倍さんの立場は異なる。

 だって、集団的自衛権の議論でも分かるように、安倍さんが積極性を発揮しているのは、アメリカの艦船が攻撃されたときにどうするとか、アメリカに向かうミサイルを撃ち落とすべきかどうかとか、要するにアメリカだけは守りたいということなのである。

 いま焦点のシリア問題をみても、シリアの人びとが苦悩のただ中にいるもとで、それをどう助けるのかという視点で、多くの国が努力している。軍事力を使うかどうかについていろいろな議論はあるが、少なくとも現在、別の方法で化学兵器の使用を止めさせられるのではないかと、議論がされている。米ロ間での交渉もあるし、国連安保理での議論もある。

 冷戦が終わり、その後、戦争と平和をめぐって、国際社会はいろいろな体験をしてきた。ソマリア問題をはじめ国連の失敗もあったし、現在のアフガニスタンにみるアメリカの失敗もあった。そういう経験を通じて、安全保障をどういう枠組みで議論するのかということでは、昔といまは大きく変わっているのである。

 ところが安倍さんの頭のなかには、そういう多様性は存在しない。存在するのはアメリカだけなのだ。われわれは、毎日、とっても古くさい思想を見せられている。

 一国平和主義って、改憲派が護憲派を攻撃する言葉だった。だけど、安倍さんは「積極平和主義」というのでなく、せいぜい「二国平和主義」なのだ。一国が二国へと倍になっただけで、質的には同じものだと考える。

2013年9月25日

 本日は宣伝のみ。先週末、私の本を大きく扱っているという、ブックファースト野田アプラ店に行ってきたので、その報告です。

 野田アプラ店というのは、阪神野田駅にあります。梅田から二つ目。近いですね。

 で、店に入ると、目の前に大きな棚があります。まあ、自分の本ですから、一目で、最上段に何列か並んでいることが分かりました。いや、すごいなあ。
野田アプラ1

 で、近づいてみて、びっくり。店の方がわざわざ作ってくださったポップが、本の横に置いているではありませんか。過去、集団的自衛権を行使したのは、たったの四カ国だと書いていて、「ああ、ちゃんと読んだうえで作成してくれたのだ」と、感激しちゃいました。
野田アプラ2
 それに、ここに映っているように、東野圭吾さんなどと同じ棚なんですよ。隣には池井戸潤さんも並んでいました。お二人の本は、文庫本になったものはすべて読んでいるはずなので、そのあこがれの方と並べていただいて、とってもうれしいです。

 その帰りに阪急梅田駅に寄りました。そこには小さなブックファーストがあるんです。ここでは、『憲法九条の軍事戦略』と並べておいてありました。『集団的自衛権の深層』を出したことで、前著が再び注目されるということを期待していたんですが、思惑通りです。
BK1阪急梅田

 同じようなことが、高知の書店でもやられているようです。がんばって売っていかなくっちゃ。

2013年9月24日

 ドイツの総選挙の結果が報じられている。メルケル与党の大勝だ。

 ただ、日本の選挙制度と異なり、得票数が議席に反映する仕組みのため、与党は42%の得票でも、総議席630の過半数を取ることはできない(311議席)。しかも、よく知られた5%条項により、ふたつの政党が議席を得ることができなくなり、その結果、微妙な議席の配分となっている。

 そう、社会民主党(192)、左翼党(64)、緑の党(63)の左翼3党を合計すると319議席となり、過半数を占める結果となったのだ。これまで、社会民主党と緑の党で過半数を占め、政権を担ったことはあったが、左翼党も含めて過半数という事態は歴史上初めてのことである。

 左翼党は、東ドイツの政権党の流れを汲むので拒否反応は強く、社会民主党、緑の党が連立相手とすることは考えられないというのが、一般的な見方である。私もそう感じる。

 しかし、そういう左翼党が、ふたつの総選挙で連続して、議席の1割を超えているわけだ。しかも、州政府に目を転じると、社会民主党と連立を組んでいる場合も少なくない。

 なぜ、そういう変化が生まれたかといえば、やはり東ドイツ時代の過去を真摯に精算したからである。「自分たちには関係がない」とか「あれは社会主義ではなかった」とか逃げるのではなく、なぜ間違いを犯したのかを徹底的に議論し、究明した結果、現在のドイツ左翼党の路線と組織ができあがっている。それをそれなりの国民が目の前で見てきた結果が、現在にいたっているわけだ。

 客観的に見れば、現在、政策の似通った左翼3党が連立できる状況にある。いや、もっといえば、メルケル与党だって、社会的な国家を維持するという大目標には違いがないし、自由党が歴史上はじめて5%を割って議席を失ったのは、その市場原理主義への国民の批判が強かったからだ。また、与党はアメリカのシリア介入には反対していたし、原発ゼロを選択したのも与党である。

 こういう局面で、左翼党はどう動くのか。国民は、社会民主党が与党と大連立に動くことに対し、どう反応するのか。いろいろ教訓となることが多いと思うので、注意深く見守っていきたい。