2014年2月21日

 昨日付で発売になった『日本人のための「集団的自衛権」入門』。石破茂さんの本である。まだ途中だけど、石破さん、だいぶ進歩したね。

 この10年くらい、集団的自衛権を推進する立場から、いろいろな本が書かれ、報告が発表されたりした。そこには学ぶべき点もあったけど、大きな問題として指摘されなければならないのは、集団的自衛権の実態をスルーしていたことにある。

 集団的自衛権といえば、ソ連の例ではハンガリー事件とかチェコ事件、アフガン介入などである。アメリカでいえばベトナム戦争とかニカラグア介入などである。「自衛」という名称にもかかわらず、実は「侵略」の口実に使われてきたのである。

 そういう事実は、多少とも集団的自衛権を勉強したことのある人なら、周知のことである。ところが、6年前に安倍第一次政権肝いりで出された安保法制懇の第一次報告をみても、そういう事実にはいっさいふれていない。それどころか、戦後の世界政治の経験を通じて、どんどん認められてきた権利などという立場にたっている。北岡伸一さんとか、あるいは佐瀬昌盛さんとか、専門家が入っていながら、政治のために学問や真理をゆがめたものだった。

 私はだから、そういう実態を直視することが大事だと、いろんな本を書き、お話もしてきたのだ。そしてようやく石破さんが、その事実を認め、今回の本で記述するようになった。ベトナム戦争とかチェコ事件などをとりあげ、集団的自衛権が濫用されやすい権利であることを記述しているのだ。やればできるじゃん、石破さん。

 この事実を認めたということは、スルーしていることを批判されたら守勢に回るという判断もあっただろう。だけど同時に、認めた上でどう集団的自衛権推進論への国民の支持を集めるかということで、あらたな論立てに出るきっかけともなるだろう。闘いがいがでてきて、うれしい。

 まあ、でも石破さん、古いなあ。本の最初の方に、集団的自衛権がこれまでどう解釈されてきたかという論述があり、3つに区分けしているのだが、すべて冷戦時代の区分けなのだ。いわゆる軍事同盟の枠内で、位置づけのバリエーションである。

 だけど、集団的自衛権の大事なところは、冷戦が崩壊し、国連がオーソライズする種類のものがあらわれたことである。それをどう見るかが、いま大事なのだ。

 それなのに、安保法制懇のいまの議論とか、この石破さんの本とか、どうやってアメリカとの同盟を維持するかという角度しか頭にないようだ。安全保障を確固としたものにするのは、いまの世界政治の現実とか流れをリアルに捉えることが不可欠なのに、古い時代の知識でものごとを見ている。

 石破さん、進歩したけど、まだまだです。もっとがんばってね。

2014年2月20日

 安倍さんの靖国参拝をきっかけとしたアメリカと日本の衝突が、その後も話題になっている。安倍さんの歴史観とアメリカの歴史観には根本的に違いがあるのだから、当然のことだと思う。

 この問題では論点が多く、安倍さんを批判する材料には事欠かない。だけどここでは、あえてアメリカ側の問題点を指摘しておきたい。

 安倍さんがあんな行動に出ても対米関係は大丈夫だと判断したのは理由がある。歴代政権がつまずいていた普天間基地の名護移設問題をようやく動かしたからである。アメリカの要求に応えたのだから、これで多少のことは許されると考えたわけだ。

 安倍さんにとってみれば、日米同盟は至上の価値をもつ。その日米同盟の根幹である基地問題で仕事をしたということは、それほど意味のあることだという認識があるのだ。

 だけど、アメリカにとっては、歴史認識こそ「至上」のものだった。だって、自国の第二次大戦における役割にかかわるものだからだ。

 ソ連が存在していて、ソ連を「抑止」の対象としていたときなら、日本が多少はねあがっても黙認していたと思う。抑止とは、いざという時は相手を壊滅させることを明確にわからせることにより、相手に行動を思いとどまらせるという軍事戦略であり、政治や経済はそれに従属するものであって、相手を壊滅したら自国も困るというほどの密接な関係は築かないものである。それほどのことを死活をかけてやるのだから、同盟国の存在はかけがえのないものだった。

 安倍さんは、そういう時代と同じ感覚でいるのではないか。抑止の対象である中国の行動が目に余っていて、抑止力を高めるために自分が普天間問題で仕事をしているのだから、高い評価を受けると信じ切っているのだ。

 しかし、アメリカにとって中国はそのような関係にない。だって、経済的には切っても切り離せない関係である。お互いが、相手の壊滅を望むどころか、相手の繁栄を切望するという関係である。

 だから、本来なら抑止戦略はとらないという立場を明言し、現在の関係にふさわしい軍事戦略は何かを探るべきなのだ。ところが、アメリカは、「抑止力の維持」を繰り返す日本政府に対して、抑止を否定しないことが在日米軍の維持にとって好都合だと思っているからか、中国に対して抑止戦略はとらないことを言ってこなかった。

 そういうことがあるので、安倍さんが誤解もするわけである。抑止戦略をとらないと明言することは、いろいろと新しい問題を生むだろう。抑止一点張りでやってきた日本政府は、精神的にも支えを失うかもしれない。何のためにこれほどの在日米軍が必要なのかという根源的な問いに発展する可能性もある。普天間の名護移設など吹っ飛ぶだろう。

 だけど、もうはっきりさせるべきだ。いざという時には中国を壊滅させるために在日米軍が存在し、普天間を名護に移転するなどということでは、いまの時代にふさわしい米中関係を築けない。そんな単純なことが、いま求められていると感じる。

2014年2月19日

 会社公認のブログなので、会社の仕事のことも書かないとダメだよね。ということで、本日は、学校図書館向けに出している「町工場の底力」(全4巻、各2500円+税)について。

 これは、昨年、「工場の底力」のシリーズ4巻を出したのだが、タイトルを比較して分かるように、立ち位置をより鮮明にしたものである。まさに「町工場」(従業員が20名以下)に焦点をあてて、それが日本の経済を担っていることを紹介したものである。

 その最新作が最近できあがった。「町工場の底力 ④深海をめざす」である。少しだけ立ち読みもできるので、是非見ていただきたい。

 昨年末、東京の町工場が協力し合って、8000メートルの深海に探査機を送り込み、深海魚の見事な3D映像を撮影したニュースをご覧になった方もいるだろう。そう、「江戸っ子1号」のことである。

 これまで深海探査といえば、国や大企業の独壇場だった。だって、何億円もかかるのだから、当然だろう。だけど、大阪の町工場が人工衛星「まいど1号」をつくったことに触発され、東京の町工場の社長たちが、試行錯誤のうえ、2000万円でつくる見通しをつけ、みんなで協力しあって実現したのである。

 まだ、その経過は、一般の本にもなっていない。その段階で、学校図書館向けにこの本を出せたわけで、われながらすごいことだと思う(編集部のなかでは、一応、私が担当である)。

 これを読んでいると、日本の町工場の技術力の高さに驚く。8000メートルの深海では、指先に軽自動車を乗せるのと同じ水圧がかかるといわれ、それに耐えられる部品をつくるのは並大抵のことではない。そんなことが日本の町工場で可能なのだ。

 しかも、日本の町工場が営業の危機に陥るなかで、ある町工場は、自社技術を他の町工場にも公開し、いっしょにやっていこうとよびかけている。そんな連帯の精神も、この本から伝わってくる。

 アベノミクスだとか騒がれてきたけれど、結局、日本経済をなんとかしようと思えば、ここに焦点をあてていかねばならない。その点では、学校図書館向けのこのシリーズは、まさにうちの会社らしい出版活動である。

 学校図書館関係者には是非、注目してもらいたい。来年度、このシリーズの第2期も刊行する予定。

2014年2月18日

 国連人権理事会で設置された「北朝鮮の人権に関する国連調査委員会」(以下、委員会)が、注目すべき報告書を発表した。北朝鮮における人権侵害は「人道に対する犯罪」であるとして、国連安保理に対して、国際刑事裁判所(ICC)に付託するよう求めたという。

 ICCは、侵略、ジェノサイド、人道犯罪、戦争犯罪という4つの罪に責任のある個人を裁判にかけることになっている。今回はそのうちの「人道犯罪」にあたる。

 日本では、今回のことは、拉致問題との関係でのみ注目されている。委員会の報告のなかで拉致問題が正当に取り上げられているからだ。しかし、拉致問題を解決するという角度でみると、今回の措置に期待をかけることは疑問符がつく。

 まず、北朝鮮はICC加盟国ではないし、そういう国の指導者を訴追するには安保理の決定が必要だが、その場合、中国が反対するだろうからである。さらに、たとえ安保理が決めたとしても、北朝鮮の指導者をICCで裁判にかけるためには、北朝鮮が指導者をICCに引き渡さなければならない。北朝鮮がそんなことをするなんて、万が一にもないであろう。

 要するに、こういう裁判というのは、その国で国家体制が変わり、以前の指導者を引き渡すことを想定しているのだ。拉致問題でICCが裁判をおこなうのは、北朝鮮の現体制が打倒されたときだということである。

 もちろん、そこに拉致問題解決の望みを託すということもあるだろう。北朝鮮の人々だって、いまの体制がいいとは思っていないだろうし、われわれの目には見えず、何十年かかかるだろうけれど、変革への胎動がどこかにあるかもしれない。苦しんでいる北朝鮮の人々のことを考えれば、こういう解決方法が大事だと考える。

 だけど、日本で拉致問題の解決を望んでいる人は、そこまで先延ばしにするということでいいのだろうか。もっと早期に、被害者の家族が生きているうちに解決したいのではないのだろうか。

 そのためには、北朝鮮の国家体制打倒ではなく、北朝鮮との外交交渉に望みをかけるべきではないのだろうか。その交渉は、拉致問題の解決の見返りに、体制の維持を保証するものになるかもしれない。拉致問題の解決というのは、そういう余地のあるところが、とっても大事なのだ。

 安倍さんは、そういう妥協がいやだから、交渉せずに済ませようとしている。委員会が今回の報告書を発表し、運動関係者が沸き返ることは、交渉をきらう人々にとっては最高の結果だろう。

2014年2月17日

 Yahoo知恵袋ってあるじゃないですか。何でも質問項目をアップすると、何日間かを期限にして回答を募り、それをそのまま掲載するというものです。

 先日、何と、私がどんな人物かを尋ねる質問がアップされました。曰く、「松竹伸幸氏は左翼、右翼どちらなのですか? また、反日か親日かどちらですか?」ですって。

 いやあ、なんて言ったらいいんでしょうか。私が書いたものをチラッと見て、左翼か右翼か、反日か親日か分からないとしても、理解力が不足しているというわけではありません。理解を超えたことを書いているということでしょうから、大変名誉なことだと思います。いくつかの角度からそう思います。

 まず、世の中のいろいろなことは、そんな二分法で分かるほど単純ではありません。反日か親日かは、その代表ともいえるもので、ふつうの生活においても、愛するが故に批判することもあるわけで、批判の対象にならないのは関心の対象になっていないのと同じことだと思います。

 しかも、左翼や右翼を自認する人のなかでも、ふつうの国民のなかでも、左翼と右翼の区分けがあまりにも陳腐になっていると思います。自衛隊を否定するのが左翼で、肯定するのが右翼、というのに象徴されるでしょう。ドイツナチスの占領支配に対して、右翼が平和的に屈服したのに対して、左翼は武器をとって立ち上がったのであって、武力をもってしてでも独立と主権のために戦うのが、左翼本来のあり方なんです。

 さらに、国民がそれなりの支持をあたえる主張というのは、相反するように見えても、どこかに納得できるところがあります。たとえば、いま、原発をすぐになくすという主張でないと、市民派には受け容れられないという現実があります。だけど、国民多数が支持する段階的廃絶という主張がおかしいかというと、決してそんなことはありません。そういうとき、その両方の対話を促進し、協力関係をつくるのが、左翼本来のあり方だと思います。市民派に沿った主張をしているだけでは、市民運動がひとつ増えるだけであって、左翼の役割を果たすことにならない。

 ということで、私は個人的に、以前は「左翼内保守」とか「左翼内タカ派」とかも使っていましたけど、現在は「超左翼」だと自認しています。これは、私の個人的な信条であって、出版社としてはまた独自のスタンスですけれど。