2014年7月2日

 新幹線で移動中だったので見なかったのだけど、安倍さんの記者会見、高揚していたみたいだね。とくに、吉田首相が自衛隊を創設したことや、岸首相が安保条約を改定したことにふれ、その時も戦争になるという批判が寄せられたがそうならなかっただろうという部分は、かなり影響力があるという方もいる(吉田さん、岸さんに並んで名を残す首相になれたという高揚感に包まれていたんだろうけど)。

 でも、そこが違うんだよね。自衛隊が創設されたのは、まさに個別的自衛権を行使するためだった。安保条約の改定も、日本が行使するのは個別的自衛権という前提のものだった。そこを根本転換するということが問われているのに、個別的自衛権のことを持ちだしても、説得力に欠けるよね。

 だってね、当然のことを言うだけだから偉そうなことではないんだけど、個別的自衛権に徹している場合は、日本が武力攻撃されない限り、戦争にはならないわけだ。そして、戦争にならなかったというのは、その日本への武力攻撃が、戦後69年、1回もなかったということだ。

 一方、「他国への武力攻撃」ならば、戦後、100数十回あった。戦後、毎年2回ほどの戦争が発生しているのである。そして、アメリカがその戦争を自分の戦争だととらえ、戦い抜くという決意をし、日本に参加せよと求めてきたら、日本の戦争参加が現実のものとなるわけである。

 安倍さんが会見のなかで、湾岸戦争やイラク戦争のような戦争には参加しないと明言したのも、とっても象徴的だった。逆に言うと、アフガン戦争には言及を避けたことである。

 原理的なことを考えても、あれはアメリカに対する武力攻撃が発生したとき(9.11テロ)、アメリカが個別的自衛権を発動し、NATOが集団的自衛権で参戦したわけだ。だから、そういう場合に日本も参加できるようにするというのは、当然、安倍さんの頭のなかに存在する想定であろう。

 しかも現在、テロ集団が勢いを増して、イラクをはじめとする中東情勢が緊迫している。そして、中東の石油は、日本の存立にとって欠かせないからとして(新3要件)、この間、ホルムズ海峡での機雷掃海が、ひとつの事例として提示されてきた。「他国への武力攻撃」が要件となる限り、日本の戦争参加は現実味が増してくるわけである。

 ということで、対テロ戦争をどう捉え、日本がそれにどう関わるかは、集団的自衛権の発動を許すか許さないかの焦点になる可能性がある。「自衛隊を活かす会」は、今月26日(土)午後、「対テロ戦争における日本の役割と自衛隊」と題して、第2回シンポジウムを開催する(千代田区立日比谷図書文化館)。酒井啓子さんとか、テロ問題を専門とする防衛大学の教授も参加予定。

 近く、「会」のホームページで内容を公開し、参加の募集を始めるので、是非、ご参加ください。また、スタッフとして手伝いたいという方は、私宛にメールをください。終了後、講師の先生方と懇親会もあります。前回の懇親会も、元幹部自衛官と従来からの護憲派が、尖閣防衛などをめぐって熱く語り合いました。

2014年7月1日

 いよいよ閣議決定だ。なぜこれだけの世論があるのに、安倍さんを追い詰めるまでにならないのか。いろんな議論があったよね。

 先日の毎日新聞に、『永続敗戦論』の白井聡さんが出ていた。そこで、自衛隊を認めたのも解釈改憲なので、いまさら解釈改憲反対と言っても、同じ手法じゃないかということになり、反対論には説得力がないのだと指摘していた。

 まあ、そう感じる人もいるだろうとは思う。だけど、個別的自衛権と集団的自衛権の解釈改憲論には、本質的な違いがある。

 個別的自衛権というのは、まさに近代国家の成立以来、ずっと常識だった。だから、憲法が明文で自衛権を否定していない以上、日本も自衛権があるのだという論理は、国民のなかにすっと入ってきたわけである。

 一方、集団的自衛権というのは、国連憲章ではじめて「権利」とされたものだ。しかも、武力攻撃された国を助けるという点では、それなりに常識的なものであるが、その実態は、このブログで何回も論じてきたように、ソ連のチェコ、アフガン侵略、アメリカのベトナム、ニカラグア侵略にあたって集団的自衛権が発動されたことに見られるように、「自衛」とは関係なく発動されてきた。非常識な権利というのが実態なのである。

 与党協議がはじまって、世論の目は、いわゆる15事例に惹きつけられてしまい、集団的自衛権の本質的な部分の議論がなおざりにされた。与党協議がはじまる前は、国会の予算委員会で、そういう実態が提示され、議論される短い期間があった。

 岸田外相は、集団的自衛権が侵略のために使われたことについて、「自分は有権解釈できない」と逃げた。安倍さんは、「安保法制懇では、ベトナム侵略とかアフガン侵略のことは議論されていない」と、堂々と?答弁した。

 だけど、集団的自衛権が実際に発動された14事例が、ほとんど侵略と同義語であって、すべて世界の平和にとって有害だったことが大事なのである。そういう実態面での違いがあるから、そこを広く知らせていけばいいのだと思う。世論というのは、実態によって形成されるものであって、いくら政府与党が世論をミスリードしようとしても、実態が侵略であるならば、それを「自衛」だと思い込ませることはできないのだから。

 ということで、はい、これからが本番です。がんばります。