2014年7月17日

 共産党の小池さんが、アメリカがこれまで違法な戦争をやってきたことを紹介しつつ、「このままでは日本の若者が無法な侵略戦争で血を流すことになる」と追及したことは、とても大事な論点だと思う。

 それに対して、安倍さんは「侵略戦争に加担することは絶対にない」と答弁した。小池さんは、安倍さんが「侵略の定義は定まっていない」とかつて明言したことをとりあげ、「何が侵略戦争かもわかならい人が「侵略戦争に加担しない」と言っても、誰も信用できない」と切り返していたが、少なくともネットの世界ではこの部分がいちばん好評だったと感じる。

 平和国家の日本では、平和運動において、どんな戦争もダメという概念がかなり支配的であって、そこに正義の概念が入り込む余地が大きくない。正義というのは、国際法上許されるのか、国際法に違反するのかという概念のことである。

 平和運動とは無縁の安倍さんにしても、正義か不正義かという角度の思考はほとんどない。それを痛感させられたのが、集団的自衛権の閣議決定の日の記者会見だった。あの日、安倍さんは、「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません」とのべたのだ。

 私が何を問題にしたいか、分かるだろうか。湾岸戦争とイラク戦争は、まったく性質の異なる戦争ではないかということである。それを並列的にとらえるのが、安倍的思考だということである。

 湾岸戦争においては、いろいろな経過と議論はあったが、国連安保理が決議を採択し、武力の行使を加盟国に授権した。その決議にもとづき多国籍軍が組織されたわけである。つまり国連が認めた合法的な戦争である。

 一方のイラク戦争は、安保理を構成する各国の反対に遭い、国連の支持がないまま突っ走った戦争である。国連が認めた戦争ではなく、あるいは国連憲章にある集団的自衛権を合法的に発動した戦争でもないのだ。

 湾岸戦争はそういう性格のものだったから、「どんな戦争も反対」という人々は反戦を貫いたが、国際的にも国内的にも「支持」する雰囲気がひろがる。イスラム諸国の多数も容認であったり、多国籍軍に協力した。他方、イラク戦争では、イスラム諸国も反対し、世界中で反戦運動がもりあがり、そして現在のイラクの混迷にみられるように、当時反対が広がったことに道理があったことが証明されているわけだ。

 ところが安倍さんにはその両者の区別がつかない。いや、ついているのかもしれない。
侵略かどうかは「国と国との関係でどちらから見るかで違う」という安倍さんの発言は、相手の国の側にとっては「侵略」であっても、日本にとっては「自衛」となりうると読むべきものかもしれない。

 実際、過去の集団的自衛権の発動事例も、実際には侵略であったのに、アメリカやソ連は「集団的自衛」だと言って戦争したのである。それと同じ認識をもつ首相に集団的自衛権を行使する権限を与えたのが、閣議決定なのである。