2015年4月16日

 NHKとテレビ朝日が自民党に呼ばれたことが話題になっている。自民党は「報道機関に圧力をかけるつもりはない」と言っているが、そうじゃないということで。これに限らず、安倍政権のもとで報道機関が自粛していることを指摘する声も少なくない。

 私は、自民党の動きについて、当然、賛成しているわけではない。だけど、いい言葉が浮かばないけれど、言論報道の自由のためには通過しなければならない過程が進行している、という感じの見方である。

 言論・報道の自由って、どの国においても、政府権力との闘いの中で勝ち取られてきたものだ。アメリカだって、合衆国憲法修正第1条で「言論・報道の自由」が保障されているけれども、だからといって自由な報道がずっと保障されてきたわけではない。

 その象徴と言えるのが、言わずと知れたウォーターゲート事件だった。政府権力は、ニクソン大統領を追及するワシントン・ポスト紙に対して、いろんな圧力をかけてきたわけだが、それに屈しないで闘ったことによって、言論・報道の自由が実質的な意味を持つものになっていくわけである。

 産経新聞の報道で知ったのだけれど、ワシントン・ポスト紙の編集主幹だったベン・ブラッドリー氏は、「報道は国益を害する」と迫る政権関係者に対して、「何が真の国益であるかは、われわれが判断する」と一喝したそうだ。同時に、政権を追及する以上、正確さが格段に求められるのは当然のことで、「裏付けが取れない間は、記事の掲載を認めない」という立場で編集にあたったそうである。

 日本でも憲法で言論の自由は認められ、報道の自由も、表現の自由を保障した第21条のもとで保障されているとされる。だけれども、これらの自由や権利は、言論機関が闘って勝ち取ってきたというものではない。戦後の憲法によって上から与えられたものである。

 第二次大戦のとき、マスコミは、政府権力のいいなりだった。戦後、いろいろ反省めいたことは言ったわけだが、それが真実のものであるかどうかは、まだ実践では試されていない。ふつうのマスコミなら通過する権力との闘いは、日本の場合、これからなのである。

 そういう意味で、NHKやテレビ朝日がどういう立場をとるのか、何をするのか、注目している。自分の闘いで言論・報道の自由を勝ち取ってほしい。矜持があるなら見せてほしい。