2015年5月31日

 ポーランド、ドイツから帰ってきました。明日から、出版社としての仕事へ、本格的に復帰です。

 とはいえ、6月は講演会等々、個人的なスケジュールも少なくありません。明日(6月1日)は、滋賀県弁護士会でお話しします。18時10分より、大津駅から徒歩数分の弁護士会館だということです。入場料無料ということなので、関心のある方は、お気軽にお越しください。

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 講演テーマは、「集団的自衛権は歴史上どのように行使されてきたのか」。いいテーマですね。

 新安保法制が国会で議論されています。海外にいたので、リアルタイムで国会中継を見たわけではありませんが、報道を見る限り、少し不満です。なぜかというと、核心的な問題の議論が不足しているように思えるからです。

 今回の法制の新しさであり、核心でもあるのは、集団的自衛権を行使するということです。戦後ずっとつづいてきた憲法解釈を変えてまでこれを実現するというのが、今回の法制なのです。

 ところが、国会で議論されているのは、97年のガイドライン・周辺事態法以来、この20年近く何回も議論されていることが中心であるように思えます。「周辺事態→重要影響事態」の概念とか、非戦闘地域の概念とか、後方支援とか。いずれも、国際法の日本的な解釈においては、日本が武力の行使をするという集団的自衛権とは直接は関係がない問題です(実際は関係するのですが、難しい論理が必要なので、ここでは省く)。

 おそらく、いま取り上げられている概念の方が、「危険性」が浮き彫りになるという思惑からだと思います。何と言っても、自衛隊が戦闘現場に近づいていくという問題ですから。自衛隊の安全確保義務を法律に書き込まざるを得ないほどの事態を想定しているわけで、質問者が重視するのも当然だと思います。

 これと対照的に、集団的自衛権の行使事例としてあげられているのは、ホルムズ海峡での機雷掃海のみです。これって、海に浮かんでいる機雷を破壊するということですから、相手国の人を殺傷することもなく、自衛隊が殺されることもないので、「危険性」という枠で考えていると、質問で取り上げる重要性がないように思えるのではないでしょうか。

 けれど、こうやって、集団的自衛権の問題は、ほとんど議論されないまま、この新安保法制が通過に向かうというのも、問題が大きいと思います。

 明日のお話は、直接には、集団的自衛権の歴史的な行使事例をどうみるのかということがテーマです。それを通じて、今回の新安保法制の問題点を明らかにしたいと思っています。

2015年5月27日

 田舎に行くって書きましたが、失礼でしたね。グリム兄弟博物館のあるカッセルという街に来ているんですが、人口は19万なのに、戦後、ボンやフランクフルトとともに、首都の候補の一つになったような、いわばドイツの中心地のひとつだということでした。

 さて、この旅、戦後70年の戦争と平和をテーマにした部分は終了し、最後の二日間はテーマが変わります。グリム童話の訳者としても知られる(というか、それが本業である)池田香代子さんと訪ねるメルヒェン街道の旅なんです。

 まあ、私としては、グリムと言われてもあまりピンと来ない部分はありました。でも、前半が充実していそうだし、最後は少し気楽になれるのもいいかと、ぼんやりと考えていたんです。

 だけど、池田さんが用意した資料を出発の前日に読んで、ガラッと印象が変わりました。グリムが身近になったと言えばいいでしょうか。

 その資料で、グリムが、1846年のフランクフルト会議で議長を務めたとあったんですよ。それ以前のドイツは、30いくつかの小さな公国などに分かれていて、それをどう統一するかが焦点になっていたんですが、その統一ドイツの範囲をどうするかとか、公国ごとに分かれていた言葉をどうするかとかが、文学者や哲学者などの間でも議論になっていて、有名な学者が集まって開かれたのが、この会議。そこで誰を議長にするかが紛糾したときに、それならグリムしかいないということになったそうなんですね。

 で、フランクフルト会議と言われてすぐに思い出すのは、その2年後の1848年に開かれたフランクフルト議会ですよね。統一ドイツの憲法をつくるため、公国などからの代表が集まった議会です。

 マルクスやエンゲルスが参加した1848年のドイツ革命の産物として、この議会が開かれ、マルクスなどもこれが成功することを願っていたわけです。結局、革命の敗北とともに、公国が民主的に統一されたドイツの憲法というかたちではなく、強大なプロイセンが自国の憲法にもとづいてドイツを統一するということになっていくわけですけど。

 グリムは、童話を通じて、統一ドイツの国民的な価値観の形成に寄与するわけです。童話の中身がそうなっているのだと、池田さんが昨日の講義で語っておられました。

 そういうことで、グリムとマルクスが同じ時代に生きて、共通するものもあったのだということで、童話としてしか捉えていなかったものが、急に身近になったというわけです。食わず嫌いはだめですよね。

2015年5月26日

 いろいろ書くべきことはありますが、本日から田舎の方に行って、ネットがつながらない可能性があるので、仕事に関係することを先にアップしておきます。以下、弊社のメルマガに書いた記事です。

 6月より、「シリーズ・さよなら安倍政権」を刊行します。第2次安倍政権が発足したちょうど1年半前、「安倍新政権の論点」と題して、合計8冊のシリーズを刊行しましたが、それにつづくものです。

 安倍政権の強権政治への不安と批判が高まっていますが、それとどう闘うのかについて、展望を示すのは簡単ではありません。批判が高まっているといいながら、選挙をやってみると、安倍自民党が圧勝したわけです。だから、その批判というのは、もしかしたら仲間内だけで通用し、盛り上がっていただけなのかもしれません。多くの人の心には届いていない可能性があります。

 では、どうしたらいいのか。安倍政権打倒を願う人々の気持ちを叶えるシリーズをつくれるのか。

 もちろん、その内容が、安倍政権が進める路線に対して、深い批判をオルタナティブを提示しているということが大事なことは、いうまでもありません。今回のシリーズでは、目の前の国会で大問題になる新安保法制問題(柳澤協二『新安保法制は日本をどこに導くか』)はもちろんのこと、アベノミクス2年間を総括した対案の提示(友寄英隆『アベノミクスの終焉、ピケティの反乱、マルクスの逆襲』)を最初に刊行した上で、年金問題、農業と地方創生問題、沖縄基地問題、歴史認識と安倍談話問題などの個別課題でも、あるいは安倍首相そもそも論など包括的な問題でも、一流の筆者が登場します。

 同時に、ただ筆者と内容がいいというだけでは、安倍政権を打倒する展望は生まれません。「一強多弱」と言われるように、安倍政権への批判の気持ちがあっても、それに代わって政権を託す勢力が見えないので、「安倍政権でもいいか」という状況を生みだしているわけです。

 ですから、今回のシリーズでは、安倍政権に反対するために、党派を超えた協力を実現するぞということを打ちだしたいと思いました。それが実っていると思います。

 ご存じのように、最初に出すふたつの本の筆者は、「自共」です。『新安保法制は日本をどこに導くか』を書く柳澤協二さんは、40年間も防衛官僚の道を歩み、内閣官房副長官補として小泉、安倍(第一次)、福田、麻生という自民党首相に仕えた方です。『アベノミクスの終焉、ピケティの反乱、マルクスの逆襲』の友寄英隆さんは、ご存じの方も多いと思いますが、すでに定年退職されていますが、共産党の経済政策委員会スタッフ、「赤旗」論説委員としての経歴が有名な方です。

 それだけではありません。無党派の方はもちろんのこと、民主党の国会議員の方、誰がみても社民党の方も登場します。そうなんです。安倍政権を退場させたいと願う方々が、党派を超えて協力して刊行しようというのが、このシリーズなのです。

 そういう本を出したからといって、安倍政権を打倒するための協力、共同ができるなんて思いません。だけど、そのための世論づくりへ、少しでも貢献できたらいいなと希望します。

2015年5月25日

 池田香代子さんと訪ねる戦後70年の旅ですが、アウシュビッツの後はドイツです。ドイツの最初はベルリンで、そこで最初に訪ねたのは、日本でいま話題になっているポツダム宣言がつくられた場所でした(ツェツィーリエンホーフ宮殿、写真)。

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 偶然って、あるものですね。いや、安倍さんが談話を出すというほど戦後70年のことが話題になっていて、そういう戦後70年にあわせてツアーが計画されたのだから、当然と言えば当然なのかもしれません。

 そういう偶然なのだから、国会で話題になって最初に訪れるグループかなと思ったら、そうではありませんでした。日本人のツアー、昨日も5団体ほど入っているとか。この会談場所は観光地なんですね。

 その場所を見学して感じたことはいくつかあります。当たり前のことかもしれませんがもしここが、ただ日本の降伏案をつくった場所だということだけだったら、観光地にはなっていかなったんですね。どこかにポツダム宣言の原文でも展示してあるかと思ったら、そんなものどころか、宣言にふれた説明もひとつもありませんでした。

 それは、ポツダム会談の本筋は別のところにあったからです。この会談はソ連が占領した場所で、スターリンが準備し、アメリカとイギリスを招いて開かれたわけですが、会談の中心はドイツ占領政策の作成だったわけです。ここでの展示も、だからそういうものが中心となっています。

 一方、日本の降伏方針の作成は、日本と戦争している当事国がつくるものであって、ソ連は関係ありません。したがって、ポツダム宣言自体は、会談を準備したスターリンは加わらない公式日程以外を使って、アメリカを中心に準備され、イギリスと中国(蒋介石)が署名して発出されたというわけです。

 ということで、この場所では、ポツダム宣言のことが展示されていないどころか、長く日本に関する記述さえ、ほとんど存在しない状態だったそうです。せいぜい、年表のなかに日本の降伏の日(8月15日という「天皇のご英断」を示す日ではなく、ミズーリ号上で米兵に囲まれて降伏文書に調印した9月2日で、この日付は大事ですよね)。

 だけど、ガイドしてくれた方によると、数年前から日本に関する展示が加わりました。それは写真で、広島と長崎に原爆が落とされたことを紹介するというものでした(キノコ雲とか、ファットマンとリトルボーイなど)。

 少し複雑な気持ちになりました。ポツダム宣言を記念する場所の展示が原爆とは。

 もちろん、この会談の最中、アメリカが原爆実験に成功し、それをトルーマンがスターリンに伝えたりとか、この場所と原爆は関係があるんです。だけど、それは公式日程には出てこない話です。ポツダム宣言の中にも出てこない。

 先日の記事で書きましたが、ロシアでは、安倍さんが敗戦の結果を認めないなら、領土問題もないことにしようという動きが出ているとか。もしかしたら、そういう風潮は世界に広がっていて、日本に敗戦の事実を受け入れさせよう、それを思い出させる原爆投下の意義を強調しようなんてことになっているのではないかと、不安になりました。どうなんでしょうかね。

 本日の夜は、旅の前半部分の締めくくりで、池田香代子さんへのインタビューをしなければなりません。どんなお話をしてもらおうかな。
 

2015年5月22日

 昨日、関空を出て、クラクフに到着。いま朝で、本日、アウシュビッツを訪問する。その後に何か書けるかどうか分からないので、今のうちに日本のことを少し。

 NPT再検討会議で、中国が各国首脳の広島、長崎訪問を勧める内容に反対し、それが削除された問題。あまりにも非常識で、日本からニューヨークを訪れている人たちには是非、中国代表のオルグをやってほしいと思っていた。そうしたら、共産党の緒方副委員長が中国大使館の参事官と会い、削除要求の撤回を求めたとのことだった。

 当然のことである。これでよしとせず、NPTに行っている人にも、やはり中国代表と会い、要請するなり抗議するなりしてほしい。そういうレベルが日本の国民レベルで通用せず、「反中感情」にもつながるのだということを、少しでも多くの中国政府・党幹部に伝わるようにすることが、今後の日中関係にとっても大事だと思うので。

 その翌日だったか、国会で久しぶりに党首討論があり、共産党の志位さんが戦後70年談話の問題を取り上げていた。これ、聞いていた人の関心は、安倍さんがポツダム宣言の内容を知っていたか知らなかったかに集中しているようだが、大事なのはそこではない。

 安倍さんは、「侵略」の事実を認めた細川首相以来の首相とは異なり、それ以前に首相に逆戻りして、「後世の歴史家が判断する」と逃げたわけである。日本が引き起こした戦争の評価についてね。後になって新しい資料が発掘されて、歴史の評価が変わることもあるのだとのべて。

 そういうことって、歴史学の領域ではよくあることだ。日本の近現代史をどう評価するかということでも、成田龍一さんなんかは、その歴史が何回も書き換えられたことを強調しておられる。

 だけど、政治の世界では、そういうことは許されないのだ。なぜなら、目の前で戦争が起こり、それに対応することが求められるからだ。支持するとかしないとか、参加するとかしないとか。

 とりわけ安倍さんは、いまの国会に新安保法制を提出している。今後、アメリカの戦争を後方支援するのか、あるいは集団的自衛権を発動して日本も参戦するのかいろいろな判断が求められる。

 その際、アメリカの戦争が正当なものだ、これは侵略ではないのだと判断できないと、支持することも参加することもできないだろう。それは「後世の歴史家が判断する」ことで、もしかしたら「侵略」だと判断されるだろうが、日本は参加するというような態度はとれないことは明白だ。その戦争が正当なものだと何らかの判断をして参加するのである。

 つまり、安倍さんは、70年前の戦争の正否を判断できないのに、目の前の戦争の成否は判断できると言っているに等しい。なぜ、70年前のものは判断できないのに、目の前のものは判断できるのか。その根拠を安倍さんに問いただしていくことは、今国会の大きな仕事になるであろう。なってほしい。