2016年8月3日

 毎年恒例の原水禁大会です。18歳で初参加して以来、何回かを除いて出席してきました。いちおう、長崎の生まれですし。

 今年の注目点は、核兵器を法的に禁止・廃絶するための国際条約の締結交渉がもしかしたら開始されるかもしれないという、その新しい局面にありますよね。ずっとジュネーブで議論されていますが、核保有国とその同盟国を除くと、世界の圧倒的多数の国がそれを支持する局面が生まれています。

 もちろん、交渉開始に至るにも簡単じゃないでしょうし、それがうまくいって条約ができても、核保有国が参加しない場合、とりあえず実効性はないわけです。だけど、対人地雷廃絶条約だって、最初は地雷の有効性を主張する国を抜きにしてつくられたけれど、人道性の観点からの批判が強まり、最大の保有国のひとつであるアメリカが、一昨年、ようやく条約への加盟を表明しました。表明だけで、まだ加盟していないので、トランプさんになるとどうなるか分かりませんが。

 核兵器の場合、それ以上の困難が待ち受けていることでしょう。同時に、核保有国の核を手放さないという意思が強いのに比例するように、核保有国の横暴に対する非核保有国の怒りも強くて、今後、国際政治の場では、はげしい闘いになっていきそうです。

 問題は核抑止力をどう扱うかです。反核運動という視点からは、核抑止力を完全否定して、「だから禁止・廃絶だ」ということになる。

 ところが、国際政治の場では、核抑止力信仰が強いわけです。それをどう克服していくのかが課題です。

 運動は、核抑止力を否定するし、条約ではおそらく「○○年後に核廃絶」と決めるわけですから、核保有国が参加するには、○○年後には核抑止力は不要という見地に立つことが求められます。しかし、そこまでに○○年間が必要だということは、ただ何万発もあるから技術的に時間がかかるというだけでなく、安全保障上の考慮があるということを意味しています。

 きっと、核抑止力を否定する考えと、○○年間は全否定しない考えとの間で、これまでの核軍縮交渉とは異なる論理、考え方が必要になってくるんでしょうね。誰か、この分野で本を書ける人、いるでしょうか。

 そういえば最近、オバマ政権が、核先制使用の方針(相手が通常兵器で攻撃してくる場合でも必要なら核兵器を使用する方針)の見直しに踏みだすという報道が駆け巡りました(数年前から示唆していたわけですが)。核保有国だって、これまでとは異なる考え方をとる可能性があります。

 従属国の特徴は、東欧諸国もそうでしたが、自分の頭で考える能力がなくなることです。他国が方針を決めるので、そうならざるを得ない。

 日本は、アメリカがいろいろ考えているのに、自分では考えず、アメリカの方針転換があったらまた考えもなしに従うことになるんでしょうが、せめて核兵器の問題くらいは、少しの独自性がほしいですよね。ねえ、岸田さん。