2016年8月19日

 『「日本会議」史観の乗り越え方』ですが、まだ書き上げていないのが、最後の箇所です。終章のタイトルは「現在の若者へ、靖国に祀られた若者へ」というのですが、そのうちの後者です。

 これは本当に難しい。一般に左翼、平和主義者は、日本が侵略して命を奪うことになったアジアの2000万人と言われる人や、日本人であっても広島、長崎、あるいは沖縄戦の犠牲者などには哀悼の気持ちを表明します。これに対して、アジアの人びとの命を直接に奪うことになった日本兵(靖国に祀られている)をどう捉えるのか、そもそも哀悼の対象にするのかについて、あまり合意がないように見えます。

 その日本兵は、たとえ本人の意思がどうあれ、2000万人のアジアの人の命を直接に奪ったわけです。2000万人のアジア人の命を追悼することと日本兵を追悼することは矛盾する(少なくともそのように見える)。そもそも両方を等しく弔えるのか、弔えるとしたら、どういう論理なのかがあまり見えてきません。

 遺族にとっては、自分の親、夫、子どもの死を無駄死にだとは捉えたくない。ましてや多大な犠牲を迷惑をもたらした死だったとは思いたくない。

 「日本会議」史観の人は、そこを捉えて次のように言うわけです(昨年8月に出された戦後70年見解)。安倍さんなどが靖国に参拝する時の論理と同じですが。 
 
 「国民が享受する今日の平和と繁栄は、先の大戦において祖国と同胞のために一命を捧げられたあまた英霊の尊い犠牲の上に築かれたことを忘れてはならない。この英霊への感謝の念こそ、この節目の年を迎えた日本国民が共有すべき歴史認識の第一であるべきである」

 英霊に感謝することによって、遺族や国民の気持ちに寄り添おうとするわけです。これを批判するのは簡単なんです。「国民が享受する今日の平和と繁栄」というのは、現在の平和と繁栄を尊いものだとすることが前提になっていますが、日本会議の現状認識は異なります。設立宣言では次のように述べています。

 「しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽くす気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向いつつある」

 だから、「英霊の尊い犠牲の上に築かれた」のは、なんと「ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会」だったと言わなければならないのに、そう言うと反発があるので、そこではいい社会が生まれたかのように装っている。ご都合主義なんですよ。

 だけど、そう言っても、靖国に祀られた若者に対し、どのようにすれば「あなたの死はこういう意味があった」と言えるのか、遺族の心に寄り添う言葉を発せられるのか、そこは見えてきません。9月1日の校了日まで悩み続けることにします。