2016年8月29日

 個別的自衛権は侵略に対して発動できるが、他国を助けるための軍事行動は武力攻撃が発生したときだけ。それがアメリカ草案でした。侵略というのは、武力攻撃を含むもっと幅広い概念だったわけです。

 ところが、それに対してイギリスが反対します。侵略を定義することもできないのに、侵略という用語を使って規定しても意味がないというものでした。

 このままではまとまらないということで、アメリカが準備したのが、現行の51条の規程でした。でも、それって、自衛権についての当時の理解からすると、変ですよね。

 だって、51条のようにすると、個別的自衛権を発動できるのも、武力攻撃が発生した時だけ、みたいになるじゃないですか。経済侵略に対して個別的自衛権を発動できるという解釈をする国もあるのに、その考え方を封じることになりかねない。

 だけど、アメリカはこれで草案をいったんまとめます。まだ会議は続いているから、今後も修正できるだろうって、審議を打ち切るんです。ところが、その後もどこからも修正は提起されず、そのまま通っちゃったというわけです。

 以上の経過は、いまから十数年前、東京都立大学(当時)で国際法を教えていた森肇志さんが、大学の紀要に発表されました。すごい研究だとびっくりした記憶があります。いまでは、『自衛権の基層』という本に収録されています。7000円以上するから、手を出しにくいですけど。

 なぜそんなことになったのかについては、この本を読んでもよく分かりません。私の推測は二つあります。

 一つ。これはあくまでただの国連憲章であって、それまで武力紛争を起立していた慣習国際法は厳然と別に存在しているので、たとえ憲章の規定があったとしても、個別的自衛権を制約することにはならないと、多くの国が考えたのだと思います。

 二つ。それよりも何よりも、日独伊三国同盟の問題を体験した直後でもあり、集団的な軍事行動を制約するというところに、各国の主な関心があったということでしょう。「経済侵略に対して個別的自衛権を発動できる」と解釈できるような規定を残しちゃえば、日本の戦争も「自存自衛」だと言ってるみたいになってしかねないですしね。

 ところが、こうやって国連憲章ができて、戦後、いろいろ戦争が起きて、各国が「自分たちの戦争は正当だ」とか「いや、間違っている」と議論が展開されると、決まって援用されるのは国連憲章でした。「自衛権を発動できるのは51条で武力攻撃が発生した時だけと書いているのに、まだ発生していない段階で軍事行動を起こすのは国際法違反だ」みたいになってくる。何と言っても明文として存在するのは国連憲章だけなので、そうならざるを得ない。

 それが積み重なって、だんだん、国連憲章こそが武力紛争を規律するもっとも大事な考え方みたいになるわけですね。個別的自衛権の発動も武力攻撃が発生した時に限られると解釈されてくる。

 国連憲章全体の草案をつくったのは、アメリカの国務長官だったコーデル・ハルです。あの有名な「ハル・ノート」のハルです。51条の挿入の時は、病気で辞任していたので直接には関与していないのですが、「経済封鎖で自衛権など許されるか」という精神がアメリカ代表団にも大きな影響を及ぼしていたんでしょうね。

 だから、これまで左翼の世界では否定的にだけ捉えられがちな51条ですが、見直しが必要だと思います。もっと積極的な意味を与えることも必要ではないでしょうかね。