2016年8月9日

 私の尊敬する歴史学者の一人に吉田裕先生がいる。第二次大戦にいたる日本の戦争史に関して多くの業績をあげておられる。

 その吉田先生が、10年ほど前から相次いで出版された岩波講座『アジア・太平洋戦争』の第一巻に、「戦争責任論の現在」という論考を書いておられる。ここで先生が言いたい中心点は以下の引用で明らかである。

 「戦後歴史学は、戦争責任問題の解明という点では確かに大きな研究成果をあげた。しかし、国際的契機に触発される形で研究テーマを戦争責任問題に移行させることによって、それまでに積みあげられてきた重要な論点の継承を怠ったこと、戦争責任問題、特に戦争犯罪研究に没入することによって、方法論的な問い直しを棚上げにしたことなど、戦争責任問題への向き合い方自体の内に、重要な問題点がはらまれていたことも事実である。戦争責任問題を歴史学の課題としていっそう深めてゆくためには、この問題の解明を中心的に担ってきた戦後歴史学そのもののあり方が、今あらためて、批判的に考察されなければならないのだと思う」

 慎重な言い回しだし、直接の面識はないので(吉田先生の前に「日本近現代史」を一橋大学で教えていた藤原彰先生の授業は受講していた。といっても、学生運動に没入していた私は授業には一度も出席せず、試験だけ受けて単位をもらったのである。恥ずかしい)、私の解釈は間違っているかもしれない。だけど、大事な指摘だと感じている。なぜか。

 そう、戦後歴史学は、大きな研究成果をおさめたのである。ところが、戦後50年に向かう過程で、慰安婦問題その他、「国際的契機に触発される形で」、「戦争犯罪研究に没入することになった。その結果、「方法論的な問い直しを棚上げ」してしまったという、悔恨に満ちた提起である。

 実際、戦後歴史学といえば、たとえば「明治維新論」での遠山茂樹先生とか井上清先生とか芝原拓自先生の研究など、いくつも成果を指摘することができる。現在の日本につながる明治維新というものの性格付けなど、本当に方法論に充ち満ちた成果だったと思う。学生時代、とっても刺激を受けた記憶がある。

 しかし、吉田先生が指摘するように、戦後50年を前後して、歴史学ってずいぶんと変わっていったように思える。「日本の戦争犯罪」がほとんどすべてを規律するようになってしまった。

 仕方のない面はあるのだ。だって、「日本は間違っていなかった」「侵略じゃなく自衛だった」「アジアの人びとに残虐なことはせず、歓迎された」という主張が蔓延し、それに対する反論をするわけだから、日本の残虐性を示す証拠を発掘し、提示することが、一つの重要な方法になったのである。

 けれども、そういう見地のみで明治維新以来の歴史を見てしまうと、日本の歴史は「侵略と犯罪の歴史」ということになってしまう。ポジティブなものは切り捨てられ、日本は全体として評価することのできない歴史を持つ国、ただただ反省を表明すべき国ということになってしまう。

 90年代半ば以降、その隙を突くことによって、いわゆる「歴史修正主義」がのさばってきた。ネガティブな日本像を提示する戦後歴史学、ポジティブな日本像を提示する歴史修正主義という単純な構図では、ポジティブなほうが国民に受けが良くなるのは当然である。歴史修正主義が広がる土壌は、戦後歴史学のありようのなかにも存在したのだと思う。

 だから、歴史修正主義を批判する上では、こちらは「方法論」を持って対峙することが不可欠だと感じる。その見地で書いた『「日本会議」史観の乗り越え方』を、来月中旬、弊社から出版します。いや、もっとゆっくりと出すつもりだったけど、「日本会議」をテーマにした本が書店で好評みたいなので。