2016年8月25日

 若い頃、国連憲章51条って、悪の権化のようなものだと教えられた。いうまでもなく、51条って、集団的自衛権を規定したものだ。

 この51条を根拠にして、戦後、NATOやワルシャワ条約機構や、当然、日米安保条約もつくられた。それぞれの条約の前文では、国連憲章51条にもとづいてこの条約をつくるのだと宣言されている。安保や軍事同盟を諸悪の根源とみなす考え方のもので、そういう51条観が生まれるのは当然だったと思う。

 51条がなければ、国連憲章で許される軍事行動は、安保理が決定して制裁するものだけとなる。各国が勝手に個別的自衛権や集団的自衛権を発動する根拠がなくなる。せっかく理想的な国連憲章ができたのに、51条があるせいで、憲章の理念は浸食されたというのが、左翼的な理解だったと思う。

 そんな51条だから、つくった経過も問題にされた。よく知られているように、国連憲章の草案には、この条項がなかった。いま述べたように、何かあれば各国は勝手に軍事行動できず、安保理が一致して対処することになっていた。

 ところが憲章を確定するためのサンフランシスコ会議で、ラテンアメリカ諸国が、米州機構で独自に軍事行動をしようと思っても、ソ連の反対で動けなくなるのは困ると主張した。それを受けて、アメリカが案をつくり、51条が誕生したのである。

 こうやってラテンアメリカ諸国が求めたのに、案をつくったのが左翼が主敵とするアメリカだったから、もともとアメリカが戦後に軍事同盟をつくろうと思っていて、その意図を貫くためにラテンアメリカ諸国の主張を利用したのだ、なんて言い方がずっとされてきた。

 51条がどうやって誕生したかと言っても、ほとんどが秘密会議の議論だったので、実際にどうだったかは闇に包まれていた。80年代に入って、その会議録が公開されはじめ、真実に接近することが可能になった。

 新しく分かった事実は、アメリカの陰謀みたいな考え方に修正を迫るものだった。しかし、「51条=悪」論が幅を利かす左翼的世界ではあまり目にとめられることもなかった。アメリカは頑張ったんだよねということが分かるような事実は、なかなか左翼に受け入れられないんだよね。

 右翼は理論的関心がなかった。その結果、ずっと注目されないでいた。

 だけど、大事だと思うので、いま書いている『「日本会議」史観の乗り越え方』では、概要を紹介することにした。ということで、明日は、その概要のまた概要をちょこっとだけ書くことにする。