2016年9月13日

 盟友の伊勢崎賢治さんが、「赤旗」(9日付)に登場し、南スーダンの自衛隊の問題を論じている。「完全に憲法9条に抵触 内戦下で駐留 説明つかず」というタイトルで、記事の趣旨はそれに尽きていると思う。

 この記事が出た日、私は沖縄にむかったので、読んでいなかった。ところが、この記事で伊勢崎さんが「とはいえ、「自衛隊はいますぐ撤退を」という意見には賛成できません」と述べている部分があって、これをめぐって私が少しかかわりのある市民団体のなかで、「なぜ即時撤退はダメなのか」「おかしいじゃないか」という議論があることが伝えられ、「なぜ伊勢崎さんがそう考えるのか教えてよ」といわれのだ。

 まあ、盟友のことだからだいたいのことは推測できるけれども、「沖縄から戻って記事を読んでからね」ということにしていたわけ。見て、予想通りだったので、私は伊勢崎さんの代弁をする立場にはないけれども、お付き合いのなかで理解できることを書いてみる。

 その前に、こうやって「赤旗」が、共産党の主張と異なる意見を掲載していることに、大きな変化を感じたことをまず書いておく。池田晋記者、ご苦労様でした。

 さて、これは、一言で言って、立場の違いというしかないと思う。市民団体を代表する人たちと、紛争現場で問題を解決する立場の人の違いだ。

 市民団体は、殺すことも殺されることも拒否するというような、そういう立場で判断し、行動する。その立場からすると、現在の南スーダン情勢は極度の緊迫していて、即時撤退以外の選択肢はないということになる。市民団体の判断として、それ以外にはあり得ないので、そう主張すればいいと思うのだ。

 伊勢崎さんも、南スーダン情勢に関する判断は市民団体と同じで、それが日本のPKO五原則に違反する判断も同じだ。しかし、伊勢崎さんの立場は、人が殺し、殺される現場において、どうやって人を救うかというものである。

 情勢が緊迫しているということは、本当に人道的な危機が切迫して、そこにいる人を救わなければならないということでもある。だから、国連が先制的な武力行使を認める部隊を派遣することになったわけだ。それだけで問題が解決しないことも、それが長期がしたら悪循環に陥ることも承知の上で、緊急対応としてそう判断したわけだ。

 これは、歴史的に見ると、ルワンダで国連PKOがいながら武力行使が認められず、100万人が虐殺されたことを、南スーダンで再現してはならないという判断である。別に武力行使が好きなアメリカが主導して決めたわけではなく、人道危機が自国にも及ぶことを危惧する周辺のアフリカ諸国が決めたわけだ。

 そういうときに、現実に存在する自衛隊を即時撤退させるとなると、目の前の人道危機に目をつぶって逃げるということになる。ユーゴ紛争において、部隊を目の前に展開しながら、スレブレニツアでの虐殺を見逃したオランダが長く国際社会の批判にさらされることになったが、その再現である。

 だから伊勢崎さんは、国連の部隊が増強されたことによって、小康状態が生まれることが想定されるので、その局面をとらえて撤退しようというわけだ。同時に、この人道危機は小康状態があってもくり返されるだろうから、それに対して日本が何をするのかを明確にして(軍事監視のための非武装の自衛官を派遣するなどして)、それと引き替えに撤退しようということである。

 しかも、伊勢崎さんは、別の場所で、それを議論するための超党派の議論の場を提唱していた。それが大事だと思う。

 即時撤退といっても、撤退を実現させるとなると、安倍政権がそう判断しなければならない。南スーダンに自衛隊を派遣したのは民主党政権のときだが、民進党の賛成も得なければならない。「即時撤退に応じない自民党と民進党」という構図をつくりたいためだけなら、ただ即時撤退でいいわけだが、自民党や民進党に態度を変えさせるための論理、経路というものが必要になっている。

 緊迫しているから撤退という論理はあるけれど、それだけで安倍政権の態度を変えることは難しいように思える。国連の部隊が増強され小康状態が生まれたよね、自衛隊派遣の成果でもあるよね、いま以上に南スーダンを安定させようと思ったら、非武装の軍事監視団に自衛官が参加することがいいよね。そういう新しい論理をつくり、自民党や民進党に提示し、納得してもらおうということだと思う。

 それが市民団体の即時撤退要求と結びついて、事態を動かすことになるかもしれない。伊勢崎さん、そんなところでしょうか?