2016年9月27日

 現行の軍事力を一切認めない憲法9条のもとでもここまで来るのだから、自衛隊の現実を認めるかたちで憲法を変えてしまったら、もっとヒドいことになってしまう。これは、多くの護憲派にとっての共通認識だと思われる。そして、実際にそういう面はあることを否定しない。

 だけど、そういう思考パターンというのは、安倍政権とかそれと同質の政権がずっと続くことを想定したものだ。改憲派が永遠に政権をとっていて、いろいろな口実を使って悪辣な戦争政策を進めるってことが前提になっている。

 逆に言えば、護憲派は少数にとどまって政権を手にすることができないということだ。だから、錦の御旗である憲法9条を守る以外、戦争政策が進むのを阻止する手段がないということだ。

 でも、それって、かなりおかしくないか。もし、3分の2を占めるにいたった自公による改憲を阻止できるとすれば、国民の半数の支持を得られることに確信を持っているのだろう。国民の半数の支持を得られるなら、野党にとどまることを前提にものを考えるのでなく、与党になることを想定して思考し、行動すべきだろう。

 そして、たとえ9条が変えられ、3項に自衛隊が明記されるようなことがあっても、護憲勢力が与党になるのなら、戦争政策なんて遂行しないでしょ。9条が変わったら戦争になるなんて、単純な話ではなくなるでしょ。

 あるいは、別の言い方をすれば、9条があっても戦争政策は進んでいくわけである。新安保法制に反対したのは、それを阻止したいがためであって、その法制が成立したからには、9条があろうがなかろうが、あまり関係ないのである。

 いや、9条に意味がないと言っているわけではない。実際に戦争が起きるかどうか、日本の政策がそういう方向に進むかどうかを決めるのは、9条ではなくて(それもゼロではないけど)、国民多数が「これなら戦争は起こらない」という安全保障政策に革新をもち、その政策を基盤にした政府ができるかどうかなのだと思う。

 そこを、9条の条文が変わるか変わらないかがメルクマールだというふうに言ってしまうと、少し(かなり)現実とズレてしまうような気がするのである。少なくとも、戦争法反対の闘争のなかで護憲派が言ってきたこと(この法律が通れば9条があっても戦争になる)と矛盾するので、説得力がないと思うのだ。

 ということで、今年の末あたりから、これをテーマにした本を書いてみたい。『改憲と護憲は対義語ではない』あるいは『改憲派も護憲派も仲間だ』。どうでしょ。