2017年4月7日

 今週は無茶苦茶仕事しました。鳩山さんと柳澤さんの対談本がようやく高い山を越えたところです。自分の本を書くときは感じませんが、別の著者の本の原稿を整理するときって、吐きそうになるほど緊張します。それと平行して、いろいろなそれなりに手間と時間のかかる仕事もありましたし。

 来週の週末は、「日本会議」について、2回も講演しなければなりません。しかも、そのうちの1回は、名だたる政治学者や宗教学者など、大学の先生が10数人も集まる場ですので、来週も気が抜けません。がんばらなくちゃ。

 ということで、本日は、明日開催される講演会のお知らせです。画像を見ていただければ分かるように、テーマは「核兵器禁止条約に向けて──国連での交渉会議の到達点と今後の展望」。

2017.03.02

 お話は、冨田宏治先生。関西学院大学の政治学の先生で、原水爆禁止世界大会の起草委員長(その前の委員長は安斎育郎先生でした)。核問題が学問の対象だというだけでなく、実践の対象でもあるわけですね。マルクスみたい。

 弊社は「協賛」ということになっていますが、もちろん、これを本にして、8月の世界大会に間に合わせます。7月7日に条約が確定するということですので、本には、確定した条約の日本語訳も出せるでしょう。お楽しみに。
 
 原水爆禁止運動では長い間この条約を求めてきましたが、非現実的だということで、なかなか焦点になってきませんでした。ところが最近、この条約については、NHKなどでも何回も取り上げられましたよね。世界政治の焦点に突然浮上したのですから、当然でしょう。

 ただ、運動に長く携わってきた人にとっては、これまでこの条約に抱いてきたイメージからは、かなり変わったところもあるように思えます。そのあたりも、是非、お話ししていただこうと思います。

 では、関西の方、明日、お会いしましょう。私は司会をしています。

2017年4月6日

 昨日、取材を受けました。この号で、「穂村弘in京都ワンダーランド」(仮)というカラー30ページの企画が進んでいるらしく、その一環だということです。

 京都のワンダーな飲食店、書店などを紹介するそうですが、出版社も対象になっているんですね。それで、「京都の出版社が勧めるワンダーな本」ということで、私が取材を受けた次第です。

 なぜ弊社が対象になったのか、よく分かりません。取材に来たライターの方も、「ホームページを拝見すると、真面目な本を出している出版社ですよね」とおっしゃっていたので、「ワンダー」を基準にした企画の対象とは正反対の存在だと思うんですけどね。

 まあ、「御社はどんな本に力を入れておられて、今後どんな本を制作していくのか」と事前質問にあったので、今後も含めて「ワンダー」と言えるなら、これしかないと思って説明しました。『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも国外」』(鳩山由紀夫×柳澤協二)です。

 この本、帯文は、こうしようと思っているのです。「2010年、普天間基地をめぐり、「学べば学ぶほど」の言葉で県内移設に回帰した元総理の鳩山氏、それを批判することで論壇デビューした元防衛官僚の柳澤氏。7年の時を経て初めて相まみえ、問題の所在を根底から議論し合った。

 鳩山さん、対談でもおっしゃっていましたが、この7年前のできごとは、できるなら思い出したくない過去に属するんですね。それでも、この問題を反省的に総括することなしに、沖縄の基地問題の解決に寄与することもできないし、それがご自分の人生にとっても不可欠だということで、応じてくださったわけです。

 昨日の取材では、なぜ私がこんな本をつくるようになったのかということを、入社以来の経過も含めて、いろいろお話ししました。ま、波瀾万丈というか、十分に「ワンダー」だったようです。

 それでも、『ダ・ヴィンチ』の読者は、30代中心ということで、政治とか左翼とかは親和性がないそうです。でも、その中に、イデオロギーではなく、人と人をつなぐ言葉のありようを感じ取っていただいたらしく、そこで勝負するような記事になりそうです。

 5月6日発売。ご期待下さい。

 なお、少し前に、沖縄ウィークのことを書きました。ツアーは9月28日出発で10月1日までの3泊4日。28日に沖縄の局面を学習した後、やんばるへ。翌日の昼間、辺野古で鳩山由紀夫さんとの交流、夕方から那覇で鳩山さんと柳澤協二さんとの対談。30日の午前は自由行動で、午後は「自衛隊を活かす会」のシンポ「沖縄に海兵隊は必要か」に参加し、夜は打ち上げを兼ねて伊勢崎賢治ジャズセッション。出発日は午前中に南部の戦跡巡りという感じでしょうか。伊丹出発便も用意したいな。

2017年4月5日

 森友学園をめぐっても、稲田氏の信頼性欠如が問われている。いわゆる虚偽答弁の数々で窮地に立たされているのである。撤回や修正に追い込まれた発言には以下のようなものがある。

・「籠池氏から法律相談を受けたこともなければ、実際に裁判を行ったことはない」、
・「これまで私は、光明会(稲田氏が夫とともに立ち上げた弁護士法人)の代表となったことはない」、
・「(籠池氏とは)ここ10年来はお会いしていない」、
・「夫からは本件土地売却には全く関与していないことをぜひ説明してほしいと言われている」

 国会で問題になっているのは、これらの「虚偽」である。自分の「記憶」がそうだったのだとして稲田氏は合理化したわけだが、友だち同士の会話ではないのだから、「記憶が違っていた」では済まないことは明白だ。

 ただ、私が問題だと感じるのは、稲田氏がウソをついていたかどうかではない。そのウソの付き方である。そこに、人間として、上司としてそれでいいのかという、まさに信頼性に疑問を感じさせるものがあるからだ。

 誰が見ても、稲田氏と籠池氏との間には、イデオロギー上の親密な関係があったことは明らかだ。教育勅語を大事にすることなどで共感し合い、それが稲田氏が弁護士として籠池氏を支援し、籠池氏が政治家である稲田氏を応援する関係を築く基盤となったことは疑いようがない。安倍首相と昭恵夫人に至っては、その親密な籠池氏との関係が最近まで続いていたことも明白である。

 ところが、森友学園のことが政治問題となり、自分の政治家としての立場に悪影響を及ぼすようになると、稲田氏は(安倍氏も)突然、籠池氏との間には何の関係もなかったかのように立場を翻した。人間と人間の関係はそういうものなのだろうか。例え親しくしていても、自分にとって不利な人間になったら即座に切り捨てるというのは、人のありようとしてどうなのだろうか。

 そういう疑念を感じさせることが、私だけでなく、稲田氏に対する世論の冷たい視線の背景になっているように思える(安倍内閣の支持率低下も同じだ)。そしてそれが、「戦闘」や「日報」をめぐって、自衛官から信頼を勝ち得ていないのではないかという危惧と重なってくるのだ。

 稲田氏にとって大事なのは、いったい何なのか。自分の部下、仲間、同志なのか、それとも自分の政治的経歴なのか。そこが問われているだけに、現在の苦境から抜け出すのは簡単ではないだろう。

 憲法九条のもとでの防衛大臣の仕事には特有の難しさがつきまとうが、だからこそ苦労のしがいがあると感じる。防衛大臣たるもの、自分の身を捨ててでも、職務に邁進してほしい。それができないなら、潔く身を引くべきではないか。(了)

 これ、いつもの産経新聞デジタルiRONNAへの投稿だったんですが、私がつけたタイトルは「信頼されない防衛大臣の進退」だったのに、そちらではこんなに過激になっています。右派が画策する稲田追い落としに加担しちゃったかな。
〈自衛官の「矛盾」を放置し信頼を失った稲田氏は潔く身を引くべきだ〉

2017年4月4日

 そういう稲田氏と自衛官の間には緊張関係が存在していると思われ、「日報」をめぐる問題も、そこから生まれているように見える。自衛隊の隠ぺい体質その他いろいろあるのだろうが、本質的なことは稲田氏と自衛隊の間の信頼関係の欠如にあるのではないか。

 よく知られていることだが、南スーダンの自衛隊が「日報」を作成し、報告していることをつかんだジャーナリストの布施祐仁氏が、昨年9月30日、防衛省にその情報公開請求を行った。直前の7月に首都のジュバで150人以上が死亡する大規模な戦闘が発生していたので、現地の自衛隊は事態をどう見ており、どう動いたのかを知りたいと思ったわけだ。

 情報公開請求を行うと、通常は30日以内に、その情報を開示するかしないかが通知される。ところが、30日を経た10月30日に布施氏のもとに届いたのは、「開示決定にかかわる事務処理や調整に時間を要する」ので、期限を延長するというものだった。そしてようやく12月2日になって連絡が来てみたら、「日報はすでに廃棄しており不存在」、すなわち廃棄したので公開しようがないというものだったのだ。しかしその後、統合幕僚監部のコンピューター内に保管されているのが見つかり、今年2月7日に発表されたというのが経過である。

 驚くべきは、統合幕僚監部が「日報」を発見したのが昨年12月26日だとされるのに、1か月も経った今年1月27日まで稲田氏に報告されなかったということである。南スーダンで大規模な戦闘が起きている中で、現地の部隊が事態をどう見ているかは、決定的に重要な情報である。「戦闘」の二文字が入った「日報」を見せたら、稲田氏が撤退を言いだすのを心配したのか、それとも国会答弁にブレが出るのを心配したのか、それは分からない。しかし、統合幕僚監部は、いま自衛官がおかれているもっともシビアーな問題をめぐって、情報を真っ先に共有する相手として防衛大臣を位置づけていなかったということである。

 しかも、2月15日になると、この「日報」は陸上自衛隊にも保管されており、統合幕僚監部の幹部の指示で消去していたことなどが次々に報道されることになる。これも自衛隊内部からの情報だとされている。大臣を信頼しなかった統合幕僚監部も、現場の自衛官から信頼されていなかったということだ。

 さらにこの3月17日、陸上自衛隊の3等陸佐が「身に覚えのない内部文書の漏えいを疑われ、省内で違法な捜査を受けた」として、国に慰謝料500万円を求める国家賠償請求訴訟を起こした。河野克俊統合幕僚長が2014年に訪米した際、「安保法制は15年夏までに成立する」と米軍首脳に約束していたとする内部文書を共産党が入手し、新安保法制を審議していた国会(2015年)で政府を追及したのだが、その文書をめぐる問題である。当時、防衛省は、そういう文書は存在しないと言い張っていたが、訴状によると、文書が国会で暴露された翌日、統合幕僚監部がその文書を秘密指定し、各職員に削除を命じたとされる。それと平行して、その3等陸佐を存在しないはずの文書を流出させた犯人扱いし、厳しく責任を追及するとともに、高度な情報を扱う部署から閑職へ異動させたという。

 現職の自衛官が国を訴えるのは異例である。「日報」問題も含めて考えると、稲田大臣のもとで、防衛省・自衛隊の間で信頼関係が揺らぐ事態が生まれ、実力組織である自衛隊の統制上、深刻な問題が起きていると言わざるを得ない。

2017年4月3日

 稲田氏の発言に問題があったとすれば、自衛官が遭遇する危険について、自分のこととして捉えていないように思えたことだ。PKOの現実も、自衛隊に付与される任務も、歴代政権の頃とは様変わりしており、過去の延長線上でものごとを考えてはならなくなっているのに、そのことへの想像力がほとんど働かず、これまでの答弁を繰り返しておけばいいという怠慢が見えたことだ。

 日本がPKO法を制定した90年代半ば、PKOを特徴づけていたのは、紛争当事者の停戦合意と受け入れ合意があり、紛争当事者に中立的な立場をとることであった。しかし、現在のPKOは、住民を保護するためには武力の行使をいとわないものとなっている。南スーダンPKOも同じである。海外で武力行使をしないという日本国憲法とは完全に矛盾するようになったのだ。

 その矛盾を解消するため、新安保法制では、武器使用の権限を国際水準に近づける方向で法改正が行われた。しかし、そのことにより、自衛官はさらに大きな矛盾の中で活動することを余儀なくされるようになった。

 例えば、自己防衛のためなどに限られていた武器使用は、警護をはじめ任務遂行のためにも可能なようになった。しかし、その武器使用の仕方は、国際水準と異なって正当防衛などの場合(相手が最初に撃ってきた時など)に限られるので、他国の兵士と比べて自衛官の危険は格段に増している。にもかかわらず、憲法上の制約があることにより、日本による交戦権の行使ではなく、個々人による武器使用だとされるため、自衛官には国際的な交戦法規が適用されず、捕虜にもなれないとされている。さらに、国家として命令し、部隊として行動しているのに、誤って民間人を殺傷した場合、自衛官個人の刑事責任が問われることになる。しかも、その自衛官を裁くのは軍事法廷ではなく、軍事問題の知識も経験もない一般の裁判所である。

 自衛官の多くは、そのような矛盾に苦しんでいる。同時に、国家の命令で派遣されたからには、立派に任務を果たさなければならないという使命感を抱いている。防衛大臣に求められているのは、その矛盾から自衛官を救い出すために努力することだろう。任務を立派に果たせるよう法制面その他での整備をちゃんとするのか、憲法との矛盾をキッパリと認めて自衛隊の海外派遣そのものを見直すのか、どちらの方向に進むにせよだ。

 「憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」──稲田氏の言葉を何回テレビで聞いても、心配りの対象は国会であって、自衛官ではないのだと感じるものでしかなかった。20万を超える自衛官は、この防衛大臣を信頼し、その命令を受けて任務を遂行できるのかと、不安を抱かせるものだった。

 自衛隊はこの5月、南スーダンから撤退することになった。しかし、「南スーダンは安定している」という虚構に最後まで固執し続けたため、PKOの現場で自衛官が抱える矛盾は放置されたままである。稲田氏の罪は重い。