2017年7月14日

 昨日の仕事の最後の2つでは、共通して安倍さんの加憲論のことが話題になった。私としても議論を通じて認識を深めることができた。

 そのなかから1つだけあげるとすると、憲法改正国民投票に臨むに当たっては、現行9条を55点、加憲案を45点と位置づけるくらいがふさわしいのではということである。どういうことか。

 加憲案に○か×かをというような形式で問うわけだから、えてして白か黒、善か悪、100点と0点みたいに位置づけやすい。しかし、今度問われるのは、そういうものではないように感じる。

 現行9条は何世紀もの先の理想としては100点かもしれない。しかし、現実の目の前の世界では矛盾が深すぎて、通用しないところが多すぎる。

 一方、加憲案は、たしかに護憲派が指摘するように、9条のいいところを崩す可能性はある。しかし、推進する側の人が、「現行9条の解釈を一ミリとも変えない」と言っていることも事実であり、たとえ可決されることがあっても、護憲派は「変えないと言っただろう」という立場で追及し、相手も(当面は)それを認めざるを得ない立場になる。

 そういう点で、55点と45点程度の対立ではないかと感じる。もちろん9条が維持されればうれしいとは思うだろうが、残される矛盾の大きさを思うと、手放しで喜ぶようなものにはならない。一方、加憲案が通っても、どうやって政府の手を縛っていくかということに気を遣うだろうけれど、はげしく落胆するようなものにもならないと感じる。

 この闘いでは、すでに安倍さんの側の論理は、解釈は変わらないのだから、安全保障を改善するという点についても変わらないことになる。他方、護憲の側も、現状を変えてはならないという立場である。すなわち、何も変えないことを主張する同士の闘いということになる。

 それならば、文面を変えるか変えないかで争うことに集中するのではなく、この議論を通じて実質的に何を獲得していくのかが大事だと思う。例えば、日本の安全保障をどうしていくのか、核抑止力に替わる防衛政策という選択肢を提示していくとか、その防衛政策の観点から言うと沖縄から米軍基地は撤退させるべきだとか、そういう議論をして、国民のなかで少しでも合意を高めていくことが大事なような気がする。

 加憲案が通るのであれ、現行9条が維持されるのであれ、そういう議論を通じて国民の認識が高まったかどうかが、国民投票が良かったかどうかのメルクマールになる。そんな位置づけで国民投票に臨みたいと考える。

2017年7月13日

 本日、午前中は会議。東京と京都の間でテレビ会議である。

 午後、3人の方とお会いするが、その最初は内藤功弁護士。自衛隊違憲判決の出た長沼訴訟をはじめ、自衛隊関連の訴訟では、常に内藤さんの名前が中心にある。弊社からも『憲法九条裁判闘争史』という名著を出しておられる。

http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ka/0575.html

 その本をつくったとき、不勉強を反省させられた。例えば長沼訴訟で自衛隊は憲法九条が保持しないとした「戦力」にあたるとされたわけであるが、内藤さんが弁護人として追及したのは、自衛隊がただの「戦力」だということではなかった。そうではなくて、自衛隊が米軍の事実上指揮下にあって、その作戦も米軍を補完するものであるということだった。

 つまり政府は、日本防衛のために必要最小限度の実力組織は「戦力」とはいえないという論理を組み立てていたわけだが、内藤さんは日本防衛のためであっても実力組織は違憲という論理で闘ったわけではなかったということだ。日本防衛のためのものになっていないことを追及したのだ。そのため、そういう発言をしていた空自の源田実氏などを法廷に呼び、証言してもらったというわけだ。

 イラク訴訟の名古屋高裁判決でも違憲とされたのは武装した米兵の輸送である。ということは、自衛隊の合憲論、違憲論さまざまあるが、日本防衛のための実力組織が違憲だということは、少なくとも裁判では焦点になってこなかった。実際、日本防衛もというか、日本国民の命や財産を守る行為を憲法違反だと認定するのって、いくら九条があってもそう簡単なことではないだろう。だから、みんないろいろ苦しんできたわけだし。

 それを知ったのが5年前で、それ以降、長沼裁判のことをもっと知りたいと思っていたけど、忙しくてなかなか時間がとれなかった。だけどいま書いている本のなかで、私としてはじめて自衛隊の憲法問題に踏み込むことにしたので、勉強することにした。

 そのため、すいれん舎から出ている「憲法9条事件資料集成 1」を読もうと思った。長沼訴訟の全記録である。これ以上の資料はないけれど、何と言っても値段が高い。15万円+税。とても買えない。これを置いている図書館を探して、関西にもいくつかあったのだけれど、図書館での利用はいろいろ制約もあるから、自宅でしばらく読み漁れるようにしたいと思ったわけ。それで内藤さんにお電話したら、予想通り、すいれん舎から贈呈を受けておられて、お借りできることになった。

 どれほどの分量なのか、予想もつかない。段ボール箱一つで足りるんだろうか。

2017年7月12日

 本日から東京。いろいろな方にお会いして、いろいろな分野で議論する。憲法改正国民投票までの1年半、どうやって勝負していくのかを、いまどき100万を超える読者を持つ雑誌の責任者と話し合う。某大メディアの編集幹部とは、それも含め政治全般の議論になるかな。いま書いている本のために、自衛隊違憲判決が下された長沼訴訟を勉強したくて、15万円で売られている全資料集を貸してもらうため、その弁護団の責任者だった方にお会いし、いろいろ伺うつもりもある。「広島の被爆と福島の被曝」の3回目の講座もあるし、来年のマルクス生誕200年ツアー関係もあるし、会議にも出る。来週も水曜日から東京出張だし、その後は原水爆禁止世界大会に突っ込んで行くし、余裕のない日々が続くことになる。

 で、本日の仕事のメインは、ロシア革命100年論をどう本にするかの議論だ。これが難しい。

 そもそも、ロシア革命100年が近づいているのに、何の議論にもならない。ソ連崩壊までは、それを肯定するにせよ否定するにせよ、議論があった。ソ連崩壊後は、それを全否定する立場からの議論が、ずっと続くことになった。だけどいまでは、メディアの主流からは「もう取り上げる価値もないずいぶん古い過去の歴史」になってしまっているし、社会主義をめざす潮流のなかでも、「学ぶべき価値のないできごと」とか「ロシア革命さえなかったら社会主義の価値はまだ輝いていたのに」で終わるようになっている。

 私が手にしているのは、なかなか斬新なロシア革命論である。是非、世に問いたい。しかし、現在の流れのなかでは、どんなに斬新なロシア革命論であっても、なかなか受け入れられることにならないと思われる。

 斬新というだけでは、おそらく読者は手にしない。いまでは、相手が社会主義に関心を持つ人であっても、ロシア革命を語る言葉は他人事に聞こえるのだから、相手に通用する言葉にしなければならない。

 そこが難しいわけだ。あと2〜3か月で完成させようとして無理すると、うまくいかないかもしれない。どうせなら、ロシア革命101年論のほうが、耳目を惹きやすいかもしれないと思うほどだ。

 ということで、悩みながら新幹線の乗ります。行ってきます。

2017年7月11日

 那覇市議選挙の結果は複雑ですね。先々週の沖縄訪問で一緒に飲んだ友だちを筆頭に共産党は議席を増やしましたが、その際にお会いした新風会(自民党を除名された保守のグループ)の方などは落選し、全体として改選前にはあった過半数を確保できないという結果に終わりました。この間、市長選挙でも連敗していますしね。現地でも「オール沖縄」の未来を心配する声が多かったという印象がありました。

 結論から言うと、本日の琉球新報が大きな見出しで書いているように、「保守層が「オール沖縄」離れ」ということだと思います。共産党は伸びているが、それと手を組む保守の議員は、保守層の支持を得られなくなっているということです。

 原因は明白でしょう。「オール沖縄」の主張から保守色が見えなくなっているということです。

 「オール沖縄」というのは、保守の翁長さんを革新が推すという形でスタートしました。その翁長さんは日米安保を維持する立場であって、革新との一致点は「辺野古の県内移設反対」だけと言ったら言いすぎですが、それが基本でした。

 ところが、沖縄では基地をめぐっていろいろ問題が起きます。この間で言うと、高江もありましたし、那覇軍港の問題もあります。そういう問題では、やはり政府のやり方に反対するという声が強くなりがちで、翁長さんが慎重に対応しようとすると反発が押し寄せるわけです。そして結局、革新の主張が通ることになるので、いまや「オール沖縄」に保守色を感じる人はどんどん減っている状況です。

 いま、沖縄の革新のなかには、「オール沖縄」への支持が減っているのは、高江などで知事の対応がぶれたからだとして、革新と同じような対応を求める声があります。どれだけ大きいか知りませんが。

 でもそうなると、もう「オール沖縄」とは呼べないかもしれません。ますます保守層は離れていく。来年1月に名護市長選挙、秋には知事選があるわけですが、なかなか大変な状況です。

 ここで翁長さんが保守色を出せるとしたら、やはり安全保障政策だと思います。自衛隊をどう使うのか、日米安保の機能をどう日本防衛に使うのか、政府が考えるべきことですが、沖縄からも声を発信していって、沖縄の保守というのは本土の保守と違って本格的だなと思ってもらえるようにすることです。新風会の方とは、そういう議論をしてきたんですが、市議選には間に合いませんでしたね。

 自衛隊を活かす会の9.30沖縄企画(「沖縄から模索する日本の新しい安全保障」)は、そういう位置づけで準備したいと思います。革新との間で多少のいざこざがあったとしても、やらなければならないと思いました。是非、本土からもご参加を。
 

2017年7月10日

 核兵器禁止条約に関する本ですが、「必ず原水爆禁止世界大会に間に合う」と、ようやく言えるようになりました。著者の冨田宏二さん(関西学院大学教授、原水禁世界大会起草委員長)のご奮闘、すごかったです。

 いつだったか、7月7日に条約が採択されるということが伝わってきたんです。その時、それなら頑張って準備したら8月6日に間に合うのではないかと準備を開始したわけです。

 普通なら、条約が採択されてから、本を書き始めますよね。その方法だと、どんなに努力しても、本ができるのは年内でしょう。

 でも、3月に国連会議の第一回会期が開催されるので、それで基本方向は見えるだろうから、その時点の到達で3時間程度の学習会をやってテープ起こしをして、それをもとに条約の議論の進行を踏まえ、原稿を整理していってもらおう。そういうやり方ならできるだろう。もし間に合わない場合でも、意味のある本になるよなと思っていました。

 この条約をつくろうと中心になった数十か国が同じ方向を向いていたから、基本方向でぶれることがなく、準備はそれなりに順調に進みました。条約草案が5月に公表されたので、その時点で条約にそって執筆してもらえることになったのもありがたかったです。

 しかし、簡単ではないこともありました。形式的にも内容的にもです。

 形式の点でいうと、7月7日の採択というのが何を意味するのか、最後までよくわからなかったことです。具体的に言うと、国連総会での委託を受けて準備が進んだわけですが、190を越える加盟国の内120数カ国が参加し、議論して採択するとして、それで終わりなのか、それとも国連総会での採択が求められるのかということです(朝日新聞は6月20日付の社説で最終的には国連総会で採択されると書いていました。社説の間違いは誤報とは言わないんでしょうか)。それによっては、7日に採択されてもまだ「案」のままということになり、本のタイトルを変えるか、正式な採択まで出せないかもしれなかったんです。

 まあ、こんな形式での条約の策定は、歴史上初めてのことで、誰もわからなかったんですね。最後の局面で、会議に参加している国々からも、同じような質問が出されたそうです。それでエレン・ホワイト議長が、「国連総会からマンデートを受けているのだから、会議で採択されれば確定するのだ」と答えたということで、こちらもホッとしたわけです。空約束と言われずに済んだのですから。

 内容面で言うと、このブログで書いたことですが、「核兵器による威嚇」の扱いです。これは核抑止力の中心をなす概念で(使うぞと言って威嚇することで相手が手を出さないようにするのが抑止力ですから)、スウェーデンなどが「「核の傘」にある国の条約参加を促すため威嚇は外そう」と提案し、その方向だったのです。実際、そのことで、NATOの一員であるオランダが会議に参加することになりました。しかし、オランダの懸念を振り切る形で、「威嚇」も禁止されることになったというわけです。

 この評価は簡単ではありませんが、いずれにせよこのことで、条約は「核抑止力」を否定するものとして成立することになりました。世界は、核抑止を否定して安全保障を考えようという100数十の国々と、核抑止を安全保障の基本におく核保有国とその同盟国に分かれたという状況です。

 結局、そういう分断を克服するには、この日本を含めて、核抑止に頼らない安全保障をどうするのかという問題を提起して、それを国民合意にするしかありません。そう簡単なことではありませんが、大事なことです。「自衛隊を活かす会」の役割がますます重要になっているということでしょうね。