2017年9月6日

 はい、何回か書いてきた本に関連するイベントです。画像にあるように、来週16日(土)の午後6時30分より、会場は阪急西院駅近くにあるラボール京都のホールです。

koenkai916

 いえ、著者の冨田先生がどんどんメジャーになりつつありますよね。これまでも関西ではそうだったんですが、全国区になりつつあります。8月以降年内だけで30回くらいの講演会が入ってきているそうですから。先ほども電話があって、講演を頼みたいので連絡先を教えてほしいということでした。事情をお話しして、年内は難しいですよとお伝えしましたけど。日本原水協も本を扱ってくれるということですし、かなりの初刷り部数でスタートしたんですが、増刷も見えてきたかなあ。

 それで、京都での講演会もずいぶん組まれてきていて、16日に参加を予定していた方がそちらに回るんじゃないかと、主催団体の事務局担当者が心配するものですから、このブログでも紹介しました。私は司会をやります。どうぞご参加下さい。

 どこかで書いたかもしれませんが、弊社が冨田先生の本を出すのは2回目です。1回目はオバマさんが大統領になり、プラハで核兵器のない世界をめざすという演説をしたとき(2009年4月5日)です。今回と同様、夏の原水禁大会に間に合わせようと頑張り、『核兵器はなくせるか  Yes We Can!』という本を出しました。

 今回は7月7日の国連会議で採択された条約に関する本を間に合わせたんですから、超超人的だったんです。いろんな方のご協力なしにはできませんでした。条約の草案をご提供いただいたり、それが修正される度に教えてくださったり、協力してくださったワシントンや東京の方々に感謝します。

 もう1つ、これが可能になったのは、冨田先生と私との一体化ですね。前回の本づくりをとおして、先生が何を言いたいか、考えているか、だいぶつかめるようになったので、「ここはこうしたら先生の言いたいことを表現できるのでは」とか、提案できるようになりました。だから、先日に京都郊外で私が講演したとき、この本をもっている方がいて、「松竹さんも関わっているんだろうからサインしてよ」と頼まれ、サインしてしまいました。

 でも、私にとっての冨田先生というのは、原水禁世界大会の起草委員長じゃないんです。もともと、専門の政治思想史で本の執筆をお願いしていて、それが完成するまでは一体となってがんばるんです。

 具体的に何かというと、丸山眞男論です。それが先生の専門なんですね。私が共産党に勤めていた時、丸山批判の大キャンペーンがされていて、ずっと違和感があったのですよ。それで本格的なものを冨田先生にお願いしている次第です。あと数年はかかるかなあ。

2017年9月5日

 自民党の竹下亘さんの発言が波紋を呼んでいる。「東北だったから良かった」という発言と同列視して批判する人もいる。

 しかし、言葉の使い方に問題なしとは言わないが、言っていることは兵術的には正しいのではないか。もし北朝鮮が日本にミサイルを発射するとしたら、島根を標的にしていても意味がないというのは、当然のことだろう。

 これと関連することだが、北朝鮮が原発をねらってきたら日本はひとたまりもないのだからとして、日本の原発政策を批判する人がいる。原発にミサイルが落ちたら大変なことは事実であり、煽りとしては意味があるかもしれないが、だからといって北朝鮮が原発をねらうかというと、それも兵術的には成り立たない。

 現代の戦争は、まず初戦で、相手の航空基地、レーダーサイトなどを一気に破壊するのが常識である。そうしておけば、相手からの反撃を招かないで、攻撃に専念することができるからだ。だから、北朝鮮がミサイルを日本に撃ってくるとすると、在日米軍基地と航空自衛隊の基地が標的ということになる。原発をピンポイントでねらえるほどの精度があるなら、かならずそうする。

 もちろん、米軍は本土から来援し、北朝鮮を「全滅」させるだろう。しかし、その来援までの時間を稼いで、韓国を火の海にするというのが、北朝鮮の作戦の核心になるはずである。

 だから北朝鮮は島根のことは念頭にない。そういう意味で、竹下さんの発言は地方軽視というようなものではない。島根出身の竹下さんが、その種の発言をするわけがないのだ。

 そういえば、長崎出身の久間さんが、「原爆は仕方がなかった」と発言して問題になったことがあった。あれも原爆投下を擁護する文脈で捉えられて問題になったのだが、久間さんの真意は、日本の侵略がそもそもの根源だというものであって、その文脈でとらえるべき発言だったと思う。

 元に戻って、竹下さんの発言の問題は、兵術的なことまで考え抜いて、「島根には意味がない」としたことではない。その発言は、「広島は人口がいるけど」に続くもので、人口が多いところが標的になると竹下さんは考えている。兵術的に考えた発言ではないということだ。原発がねらわれるというのと同レベルということだ。

 その程度の思考レベルだと、島根にも原発があるのだから、しかも日本で唯一、県庁所在地(松江市)にある原発だから、竹下さんを責めたい人は、そこを突いていけば、追い詰めていくことができるかもね。広島に原発はないのだし。

2017年9月4日

 北朝鮮の「労働新聞」(電子版)の本日付(4日)では、労働党の副委員長が談話を寄せているらしい。そこでは、「水爆の爆発は、地球上から米国という大陸を永久になくそうとする千万軍民の強い信念が込められている」とされているそうだ。すごいね。

 この問題で軍事的な解決は避けなければならないということは、国際社会のほぼ共通の信念だろう。しかし、ではどうやったら平和的に外交で解決できるのかというと、そこをまったく見通せないことが問題を複雑にしている。無条件で対話を開始したとして、一時期は緊張が収まるだろうが、決裂してしまうと、「もう軍事しかない」となってしまいかねないからだ。

 というか、90年以降これまでは、北朝鮮に核ミサイル開発を放棄させ、核兵器を廃棄させることを目標にして、それに対する見返りをどうするかが外交交渉の焦点だった。しかし、今後は、北朝鮮が核ミサイルを放棄することはないという前提で、それでも何を求め、何を譲るのかが焦点になってくるのかもしれない。そこに難しさがある。

 94年の米朝枠組み合意。核兵器に転用可能なプルトニウムを生み出す黒鉛減速炉を無効化し、代わりに軽水炉を提供すること、その完成までの間、重油を50万トン供与することが合意内容だった。米朝間の合意だが、日本も歓迎し、軽水炉の提供費用のかなりの部分を負担した。北朝鮮の核施設の無力化作業が実施され、IAEAの査察官も常駐していた。2002年には拉致問題で小泉首相が訪朝し、平壌宣言を結んだ。将来は明るいように見えていた。

 だが、その2002年の末には、北朝鮮が隠れて高濃縮ウラン製造に取り組んでいたことが判明する。国際社会には核施設の無力化に取り組んでいると装いつつ、ウラでは核開発に全力をあげていたわけである。枠組み合意は崩壊し、北朝鮮はIAEAの査察官を追放するとともに、NPTからの脱退を宣言する。

 その後、米朝に日、中、韓、ロを加えた6か国協議の枠組みがつくられる。2003年から2007年まで、いろいろな提案と議論がくり返された。そのなかでアメリカは、北朝鮮に対して、「脅威を与える意図はなく、侵略あるいは攻撃する意図もなく、体制変更を求める意図もない、という3つのNO」を提示したこともある。ブッシュ大統領が記者会見の席で、金正日国防委員長を「ミスター」の敬称を付けて呼ぶなど、工夫もした。

 いったんは六か国が北朝鮮の核兵器の放棄に合意、共同声明を発表したこともある。ところがその後、協議が続いているのに、北朝鮮は弾道ミサイルを発射し、核実験も実施した。それでも協議はしばらく続いたけれど、2007年を最後に行われていない。

 これまでの協議は、米朝であれ六か国であれ、最終的には北朝鮮が核兵器を放棄することが目標だった。そこは一致するけれど、それに至るまでは時間がかかることも明白なので、ではまず最初の段階で、北朝鮮には何を求め、他の国は何を譲るのかがなかなかまとまらなかったのである。

 しかし、この間の経緯が明らかにしているのは、北朝鮮にはそういう気持ちは皆無だということである。アメリカ本土に確実に届く核ミサイルの保有こそが自国の体制維持を保障するのだと心の底から考えている国にとって、それは当然なのだろう。また、たとえ「ある」と表明したとしても信用できないことは明白だ。

 そういう国と何を目標にして交渉するのか。そこが考えどころではないのか。日本は平壌宣言で、核・ミサイルと拉致の包括的解決を合意しているが、核ミサイル問題の解決がないとすると、国交正常化もないという仕組みになっている。それだと、いつまでたっても拉致問題も解決しないことになる。根底から考え直すべき時が来ているように思える。

2017年9月1日

 民進党の代表選挙は予想通りの結果に終わった(枝野さんの得票が意外に多かった)。野党共闘路線に期待をかけている人にとってはがっかりなのかもしれないが、私は「前原さん、ガンバレ」という立場だ。

 この間、共産党との共闘に否定的な議員が、次々と民進党を離党していった。枝野さんが代表になったら、それがさらに加速することになったと思われる。そうやって、民進党が共産党との共闘に前向きな人ばかりになるのは、率直に言って歓迎できない。

 選挙で安倍政権を追い詰めることができるとすると、野党がどれだけ保守的な人々に支持されるかが焦点だ。保守的な議員が抜けてしまって、ただリベラルというだけに見える民進党は、そしてそういう民進党を含む野党共闘は、保守的な人々の支持をつなぎ止めることができない。

 それに、基本政策が違う場合、政権共闘はできないという前原さんの主張は、間違ってはいない。野党共闘路線に転換するまでは、その主張は共産党のものだった。だから、護憲の一致点で統一候補を出そうという働きかけがあっても、安保廃棄の基本政策で異なるから出来ないというのが、共産党の立場であった。いま前原さんが、安保や自衛隊の基本政策で異なるから政権共闘はできないというのは、共産党と同じことを言っているわけで、真っ当な主張なのである。

 そこをどう考えるかの議論抜きに、ただ野党共闘が大事といっても、説得力がない。その議論を本格的にやるためにも、前原さんは適任だと思う。

 基本政策が異なれば政権共闘はしないという立場は正しいか。いや、安倍政権打倒のためには、これまでの立場を変えて、基本政策が異なっても政権共闘すべきなのか。あるいは、何を基本政策と位置づけるかが大事で、安保や自衛隊は基本政策ではないのか。それとも、侵略されたら自衛隊を使うのが基本政策だと、共産とが踏み込むことができるのか。そこまでは言えないから、政権共闘はめざさず、閣外協力に止めるのか。

 そのあたりの議論の活発化が必要である。そういう大きな枠組みの議論があって、考え方が整理され、その上で個々の共通政策を作成するという手順が求められると思う。前原さんが、野党共闘は前提から見直すと言っているのは、そういうことを指しているのではないだろうか。前原さんをはじめ保守系議員だって、共産党の票はほしいわけだし、共産党に応援してもらう大義名分をどうつくるかが、今後の焦点になっていくと感じる次第である。