2018年2月21日

 裁量労働制をめぐる国会の議論が過熱しているので、何か書こうと思ったけど、そういえばかなり昔、この問題で『労働運動』という雑誌に寄稿したことを思い出した。調べたら1993年7月号で、24年も前のことだったけど、いまにつながる問題もあるので、上中下で再掲する。当時は現在と異なって、裁量労働で長時間労働が増える点について、ちゃんと調査はされていたんだね。安倍さん、真面目にやらなきゃ。

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 今国会で審議された労働基準法改正案は、多くの重大な問題をふくんでいたが、その一つが裁量労働みなし時間制の拡大の問題であった。「みなし時間制」というのは、労使協定で一日の労働時間を何時間と決めれば、実際の労働時間がどうあれ、協定で決められたものを労働時間とみなす制度である。

 現行法ではこれは二つの分野で認められている。一つは事業場外労働、つまり外勤の営業職をはじめ仕事の一部または全部を外でおこなうため、労働時間の算定が困難な労働である。もう一つが裁量労働であり、法律を引用すれば「業務の性質上その遂行の方法を大幅に当該業務に従事する労働者の裁量にゆだねる必要があるため当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難な」労働ということになる。

一、ホワイトカラーヘの拡大の危険

 裁量労働制の内容上の問題に入るまえに、これが人ごとではないことに注意を促しておきたい。これまでは、裁量労働制は「研究開発の業務その他の業務」でのみ認められていた。研究開発に類似する業務に限るというのが政府の解釈であった。これをうけた労働省の通達は、裁量労働制を適用してよい業種として、1、新商品又は新技術の研究開発等の業務、2、情報処理システムの分析又は設計の業務、3、記事の取材又は編集の業務、4、デザイナーの業務、5、プロデューサー又はディレクターの業務、の5つを例示していた。

 今回の労基法改正によって、「研究開発の業務その他の業務」という限定が削除された。これは労働省の労働基準法研究会が、昨年9月に労働大臣に提出した報告のなかで、「ホワイトカラーについては、裁量労働制による対応が考えられる」と提起したことを受けたものである。

 今後、裁量労働制が認められる業種は、公益、使用者、労働者の三者で構成される中央労働基準審議会の諮問をへたうえで、労働省の命令で定められることになる。このなかで、対象業種が無制限にひろがる危険性は、つねにつきまとっている。

 第一に、三者構成の審議会の諮問といっても、中小企業の労働者の週44時間制への今年4月からの移行という以前の決定を、自民党の横やりによって公益、使用者のみの出席でくつがえした最近の例にみられるように、労働者の利益を守る保障とはならない。

 第二に、立法過程で明示されたホワイトカラーへの適用という考えは、今後の命令を定めるなかでも、一つの基準とされる。労働省はホワイトカラーの正確な定義はないという。しかし、労働省所管の特殊法人である日本労働研究機構は、ホワイトカラーとは「(総務庁の)日本標準職業分類でいう『専門的・技術的職業従事者』『管理的職業従事者』『事務従事者』『販売従事者』の4つの職種」と言い切っている(『仕事の裁量性に関する調査研究』)。この4つの職種は、今年9月に公表予定の90年国勢調査によれば、3081万9900人、就業人口総数の49・9%にもなることが予想されている(標本の20%抽出による推計)。労働者の半数にかかわる開題となりかねないのである。

 第三に、宮沢内閣の「生活大国5ヵ年計画」は、「裁量労働制の普及につとめる」ことを目標にしている。この方針のもとで、研究開発に類似する業務に限定したこれまでの労基法のもとでも、オリンパス光学工業は「(研究職より)事務部門の方が裁量の幅が大きい」(「毎日」4月11日)として、研究開発とはほどとおい事務部門にまで裁量労働制を適用している。この問題を追及した日本共産党の金子満広衆議院議員にたいし、政府は事務部門への適用が法律違反であるとは認めなかった。業務の限定をはずした新しい法律のもとでどうなるかは、推して知るべしであろう。

 こうして裁量労働制がひろがる危険があるだけに、この制度の本質を見抜き、無制限な拡大を許さないたたかいをつよめる必要がある。(続)

2018年2月20日

 昨日、公明党の太田昭宏さんが『改憲的護憲論』の書評してくれたことを書いたので、関連して雑記しておきましょう。安倍さんの加憲案をどう捉えるか、内にも外にも議論を広げたいというお話です。

 年末にいろいろな方に献本しましたが、その内もっとも右の方で反応があったのは、日本会議代表委員の長谷川三千子さん。年賀状で謝意が寄せられ、「また異見交換したいですね」と書かれていました。それで、産経新聞の知り合いに、二人の「異見交換」を提案しているんですけど、まだ実現する気配は見えていません。

 読売新聞のナベツネさんにもある人を介してお送りしました。立場は大きく異なるでしょうが、国民投票に向かう議論のなかで左翼の防衛政策を鍛えることができれば、「国士」として本望ではないかと添え書きをつけて。さて、これはどうなるか。

 この本では現在主流の護憲運動のあり方とか共産党の政策を論評しているので、九条の会などには呼ばれなくなるかなと思っていました。実際、本の発売日の翌日に「読みました」と最初にかかってきた電話は、「共産党系が呼ぶのは難しいので、オール○○の会」でいかがでしょうかというものでした。これは、幹部自衛官といっしょに出演するという企画として進行中です。

 先日、ある県で九条の会に関わっている方が、新幹線に乗って3人も京都まで来られました。九条の会では呼べないけれど、そのほうが本音でじっくりと話し合えるかもしれないということで、実行委員会形式で催しをするそうです。山尾志桜里さんもお呼びしたいということなので、これは私が仲介することにしました。

 やっぱり九条の会は無理かなと思っていたら、そうでもありませんでした。九条の会として正式に呼びたいというところもあらわれ、週末に打合せをします。自衛隊と九条がテーマです。そうですよね、「自衛隊」を憲法に明記するかしないかが議論されるのに、九条の会は自衛隊の評価を脇において団結しているので、このままでは自衛隊に関する議論が深まらないまま国民投票が実施されることになりかねませんからね。

 ということで、内にも外にも議論を広げたいと、真剣に思います。以前、ここで書いた山尾志桜里さん、伊藤真さん、伊勢崎賢治さんと私の公開討論企画は、主催者を含め月末に全容が公表されます。乞うご期待。

2018年2月19日

 いやあ、びっくりしました。公明党の太田昭宏さんが、私の『改憲的護憲論』の書評をご自分のブログに書いておられます。短いので、まず全文を。

 「専守防衛の自衛隊を認める圧倒的多数の国民が、同時に憲法9条を守りたいと考えている」――。つまり「9条と専守防衛の自衛隊の共存」だ。そして「すべての政党が、侵略の際には自衛隊に頑張ってもらうという立場に立っているということは、護憲派の多くも『9条と専守防衛の自衛隊の共存』を受けて入れているということです」という。
 護憲派できた著者が「護憲による矛盾は護憲派で引き受ける」「自衛隊の違憲・合憲論を乗り越える」と提起する。

 太田さんって、大臣をされたこともありますが、山口那津男さんの前まで公明党の代表をされていた方です。ブログを見た時、目を疑い、思わず「えっ!」て声が出ちゃいました。だって、ちょっと調べれば私の政治的立場は分かるし、いやいや、本のなかにだって私の氏素性は包み隠さずに書いているんですから、分かってて書評をしてくださっているわけです。

 びっくりしたまま、本の帯で推薦文を書いてくださった池田香代子さんにメールでお知らせしたら、「興奮しました」として、次のような返信が出張?先の徳島から。

 「松竹さんの議論こそが、公明党(創価学会?)が求めていたものだったのか?!」

 そうか。そういうことかもしれません。

 どこかで書いたことがありますが、この本を書く最初のきっかけになったのは、十数年前、愛読していた「公明新聞」で「加憲論」が大々的に打ち出されたことでした。この加憲論は国民の心に届くかもしれない、護憲派は負けるかもしれないと、当時思ったのです。

 その後の十数年は、私にとって、どうやったら加憲論を克服できるかという葛藤と模索の日々でした。その集大成が『改憲的護憲論』なんです。

 安倍首相は現在、その公明党の加憲論を利用して、「これなら公明党も反対できないだろう」と攻勢を強めているわけです。公明党は自分が言いだしたことを逆手に取られて、困っているんでしょうね。

 でも、私の本は、公明党の加憲論に共鳴しつつ、どうやったらそれを克服できるかという、十数年間のそれなりの努力が反映したものになっているはずだから、公明党が安倍さんの加憲論に異議を唱えるとすると、役に立つ素材はあるのだと思います。それで太田さんが、公明党や創価学会の方々に推薦してくれたのかもしれません。

 うれしいなあ。もし公明党や創価学会の集まりに呼んでいただけるなら、どこにでも参上します。交通費と宿泊費と夜の懇親会費用を持ってもらえるならですけどね。

2018年2月16日

 共産党にとっても支持者にとっても、他の問題では譲れても、「これは譲れない」という一線があるとすると、野党連合政権が核抑止力に依存するものとなるかどうかではないか。いざという時には周辺諸国に対して核兵器を投下してもいいのだという核抑止力まで支持するとは、共産党としては絶対に言えないだろう。

 民主党も民進党も、公式に核抑止力依存を掲げていた。立憲民主党はできたばかりで、そこをはっきりとさせていないし、核兵器禁止条約についても、政府のように「反対」とまでは言っていない。しかし、北朝鮮の核の脅威があるから核抑止を否定できないこと、その点から核兵器禁止条約に賛成とは言えない状態であることは、時として言明している。

 そこをクリアーするために、政権のための政策協議にいおいては、そこを曖昧にしたまま何らかの合意をするという考え方もあるようだ。例えば、「核兵器廃絶をめざす」というような合意である。それに意味がないとは言わない。

 しかし、政策協議でそれで合意しても、政権を手にしたあとのことを考えれば、それは容易に崩壊する。例えば、年に1回の「防衛白書」では核抑止力依存が公然とうたわれているが(民主党政権のときもそうだった)、その文言を残すのか削除するのかが問われる。曖昧な合意の生命力もそこで尽きることになる。

 それよりも何よりも、唯一の戦争被爆国の日本で、ずっと原水爆禁止運動とともにあった共産党が、他の国に核兵器を使用する政策を維持するかどうかで、曖昧な態度をとることは許されないのではないか。トランプ政権のNPRが出され、再び日本への核持ち込みの可否が一つの焦点となろうとしているが、この問題の一番のポイントは、やはり核使用である。日本への核持ち込みがなければ、日本防衛のために核兵器を使うという核抑止はOKなのか、そこが問われているのだ。

 ここは、「核抑止なき日米安保」「核抑止なき専守防衛」を打ち出し、本格的にみずからの防衛政策を鍛えるべき時期ではないか。それを掲げて野党との政策協議に積極的な提案をしていくべきではないか。

 これを論じると思い出すのは、ニュージーランドの非核政策である。核持ち込みを拒否するところからはじまって、「核なきアメリカとの同盟」という考え方を打ち出すことになり、次第に同盟そのものが機能しなくなった。ニュージーランドは南太平洋非核地帯条約に入っており、オーストラリアも含めたアメリカとの軍事同盟の名前は残っているが、ニュージーランドの加盟は有名無実になっている。

 もちろん、目の前に中国があり、北朝鮮があり、ニュージーランドと何もかも同じで行くことには、世論の動きは微妙であろう。しかし、挑戦しがいのある課題であることは確かだ。こうして自前の防衛戦略を持つことができれば、アメリカとの関係で卑屈になることもなくなり、地位協定の改定や思いやり予算の抜本的な見直しなども視野に入ってくるだろう。

 1998年、この連載で何回もふれたけど、政策が真逆な政党間の連合政権構想論が不破さんによって出され、2000年に自衛隊活用論が提唱されることにより、安全保障分野でもそういう野党間の政策協議の土台が共産党の側から生まれることになった。政策協議を積み重ねて政権協議につなげるという可能性があった。

 しかし、その共産党が自衛隊活用論をすぐに封印することにより、その後、十数年にわたって足踏みが続いたわけだ。十数年前にちゃんと対応できていれば、現在、野党間の政権問題がこれほどこじれることはなかっただろう。現在、政権政党をめざすなら、最後のチャンスとでも言うべき時だ。これに失敗したら、共産党は、国会にも代表議席を持つ平和主義の市民運動団体のような存在として、今後は生きながらえることになるだろう。支持者の多くは、共産党が現実的になるより、その道を選びたいのかもしれないけれど。

 ということで、明日、この連載のタイトルで、人前で講演してくる。共産党関係者も何十名も来るみたいで、緊張しちゃうな。よく議論してこなくちゃ。(了)
 

2018年2月15日

 日米安保は日本と世界の平和を乱す根元的な要因であるという現在の共産党の認識のまま、日米安保が平和のために必要だという他の野党と政権共闘ができるのか。これは相当に難しいという自覚がまず必要である。自衛隊問題のように、将来は真逆だがいまは一致できるというのではなく、いまも将来も真逆なのだから。

 前原さんが安全保障政策での違いを理由に共産党との共闘を拒否し、希望との連携に走ったが、おそらく前原さんの記憶に残っているのは、民主党政権の外務大臣をやっていた際、思いやり予算特別協定の延長案件を国会に出したのに対して、共産党が猛烈にくってかかったことだろう。そんな共産党と政権をともにするなんて、とても考えられなかったに違いない。その気持ちは理解できる。

 ではどうしたらいいのか。100点満点の回答は見つからないし、存在もしないだろう。私としても選択肢を提示できる程度だ。

 一つは、新安保法制を廃止する以外は、それ以前の自民党政権の安全保障政策を受け継ぐという選択肢だ。細川政権が発足に際して「国の基本政策を引き継ぐ」としたり、村山自社さ政権も自民党と同じ安全保障政策だったが、それと同じやり方である。立憲民主党も現在、新安保法制廃止以外は自民党と同じなので、これなら一致できる。

 この場合、思いやり予算だって、細かい問題は別にして賛成することになるだろう。もともと共産党が野党との共闘で政権を取りに行くことを決めた際、新安保法制以外の法律と条約の枠内で対応することを打ち出したわけだから、織り込み済みということになるのではないか。

 問題は、それに共産党員や支持者が納得できるかだ。でもそれは、共産党が覚悟を決めて説得する以外にない。

 安全保障分野で現実的な政策をとる際、共産党が覚悟を決めて内部を説得できるかどうかは、かなり難しい問題だ。自衛隊の活用を最初に決めた2000年の党大会の際も、はげしい批判が共産党には寄せられた。それに対して正面から応えて説得するのではなく、自衛隊活用は将来の段階だと棚上げし、自衛隊活用論という言葉も使わなくなり、自衛隊解消論と名前を変え、活用はそのなかの一コマみたいな位置づけになって、10年余にわたって封印されることになった。そのため、党員や支持者からの批判は寄せられなくなり、余計な努力はせずに済んだ。今回も、選挙の時だけ連合政権では自衛隊や安保を認めるとのべたが、そこだけにとどまって本気を見せないなら、2000年のあとと同様、みんな「一時の気の迷いで終わった」と安心してしまって、何も変わらないだろう。

 しかし、野党連合を本気でめざすならら、そういうワケにはいかない。今回こそ、軍事力の必要性という問題を本気で議論し、定着させていく好機なのだと感じる。

 ただ、それにしても、安保は平和を乱す元凶だが政権取りのために認めるというのでは、党員や支持者が納得しないだけでなく、他の野党だっていっしょになろうと思わないだろう。国民からの理解も広がらない。

 少なくとも、共産党も含む野党政権のもとでは、日米安保を日本の平和のために運用できる可能性があるくらいの考え方は不可欠だろう。自分が政権をとっても安保が侵略の道具として機能するのは変えられないというのでは、新安保法制が廃止されるという利点はあっても、政権入りの意味はほとんどないことにならないか。その上で、この段階においては、日米安保を国際法を遵守したものにしようとする野党政権側と、これを侵略のために使おうともするアメリカとの緊張は避けられないとして、将来は廃止するという態度を明確にするのはどうだろうか。これなら、野党間で態度が真逆でも、なんとか連立は維持できると思う。

 だけど同時に、自分が態度を変えるというだけでなく、いのちをかけて他の野党に政策変更を求めることが必要な分野もある。それが受け入れられないと政権はいっしょにできないというくらい大きな問題だ。明日はそれを論じたい。(続)