2018年3月15日

 5月にトランプと金正恩の首脳会談が実施されることになった。歓迎ムードがある一方、懸念も強い。結果次第で日本に与える影響が大きいので、政府は真剣な準備が必要だし、国民も心の準備が必要だと感じる。

 昨年、米本土に到達する能力のあるICBM発射実験があり、金正恩が「核事業の完成」を宣言した時、このブログで対話の可能性が生まれたことを指摘した。実際に完成しているかどうかは別にして、力を背景にした交渉という、現在の国際政治の力学ではふつうのことが可能になったわけだ。

 首脳会談は私も歓迎するけれど、不安もある。首脳同士の会談というのは、それが最後の決め手であるだけに、失敗すればあとがないからだ。外相会談なら決裂しても首脳が乗り出すという選択肢があるけれど、首脳会談にはそれがない。

 しかも、国務省の頭越しに首脳会談が決まり、何の準備もされていない。ティラーソン氏がそのことを指摘し、本格的に準備をしようとしたら、今回の解任劇である。他にも外交的解決を主張してきた国務省関係者が辞め、新国務長官は金正恩の排除を示唆したとされる人物だ。

 そして会談に臨むのがトランプ氏。13日に投開票のあったペンシルバニアの下院補欠選挙で、大統領選挙では圧勝した地域なのに共和党が敗れ、政権内から異論を取り除いたトランプ氏はますますご機嫌取りの政策へと進んでいくと見るのが常識だ。支持率の低迷に苦しんでいたブッシュ大統領が、イラク戦争に踏み切って大幅に支持率を上げた過去を思い出すのは私だけではなかろう。

 それやこれやで、首脳会談がやられるからただただ歓迎だというのでは、何の説得力もない。この局面で日本外交に求められているのは何だろうか。

 一つは、首脳会談が決裂したとしても、二回目、三回目があるという論理づくりだろう。会談の中身で評価できる部分があるなら、それを生み出したトランプの努力を讃えて次につなげるということもあろう。圧力によって会談までこぎ着けたのだから、成果が出るまでにはさらなる圧力が必要だという論理でもいい。とにかく対話と圧力を継続するという論理である。

 もう一つは、首脳会談が部分的に成功したとして、その成果を日本が分担するかどうかの準備である。94年の米朝枠組み合意では、日本は相談もされないで軽水炉の建設費用を分担させられた。それが可能だったのは、当時はまだ小泉氏の訪朝以前であって、拉致問題の位置づけが現在とは異なっていたからである。

 しかし現在、拉致問題が何の動きもないのに、核問題が少し動いたからといって、日本が責任を担うという選択肢があるのか。日本の世論が分裂しかねない問題だから、真剣に検討しなければならない(しなければならないのは政府だけではないけれど)。

 しかも、非核化が口約束にとどまるとか、ICBMは開発しないがテポドンは現状維持にとどまるような場合、日本がどうするのかという問題もある。最大級の難しさだ。

 だからこそ、米朝枠組み合意は六か国協議に精通した外交専門家の関与が不可欠なのに、トランプさんが行き当たりばったりの会談に臨もうとしているみたいで、不安だけが増幅する。

2018年3月14日

 今年になって、いくつかの市民団体から、「幹部自衛官を呼んでお話を伺いたい」という依頼を受けるようになりました。憲法九条に自衛隊が加憲されるというのに、その自衛隊について抽象的にしか知らないことを自覚し、慌てているという要素もあると思います。

 まあ、そういう自覚が生まれているだけでもいいことですので、できるだけご紹介するようにしております。しかし、率直に言って、最低限守ってほしいルールみたいなものはあります。

 ここ数年、泥さんなどが活躍したので、「自衛官がかつての態度を変えて、護憲の仲間になった」みたいに思っている人がいます。しかし、泥さんのお話をちゃんと聞けば分かるように、泥さんは護憲派ですが、自衛隊は日本の国防にとって不可欠な存在だと考えており、積極的な自衛隊合憲論者でもありました。泥さん自身の考えは、自衛官の時代からずっと一貫していたのです。

 ましてやいま呼ばれているのは幹部自衛官です。日本の防衛のためには生命を賭すこともいとわないという立場で、現場の自衛官を訓練し、指揮してきた人びとです。自衛隊の使命を深く自覚している人ばかりです。そこはずっと変わっていないし、誇りも持ちつづけています。

 さらに言えば、戦争を回避したいという気持ちを、もっとも強く持っている人たちだとも言えるでしょう。だって、戦争になって死ぬのは自分たちなのですから。

 自衛官を前にして、市民運動の人が持論を表明するのは構いません。「F35は憲法違反だ」とか、「ミサイル防衛はアメリカのためのものだ」とか。

 でも、日本のために尽くすという使命感を持っていることへの敬意を払ってほしいとは思います。アメリカと在日米軍に自衛隊が関わるのも、それが日本防衛に必要だという気持ちからのものだとは知ってほしい。それを間違いだと考えるのはいいですが、自衛官の論理をよく分かっていないと、国民を前にして説得力のある宣伝もできないわけで、よく理解するために話を聞くというのが基本であってほしい。自分とは意見が異なると表明するのはいいけれど、日本を危険にさらすために何十年も自衛隊に所属してきたみたいな物言いは避けてほしいと思います。

 また、幹部自衛官のなかには、九条のままでいいという人もいます。しかし、だからといって、それを護憲運動に利用しようというのは止めてほしい。護憲の場合も、みんな苦しいんです。市民運動の人から「違憲だ」と批判され続けた記憶も消えていません。また、仲間のなかには憲法に自衛隊が位置づけられることを喜ぶ人が多くて、ただでさえ肩身の狭い思いをしている人もいます。

 それなのに、「この幹部自衛官も護憲なのだから、君たちも護憲派に加われ」みたいな使い方をされたら、二度とそういう場には出てこないでしょう。そういう人が護憲という立場を表明するだけで大変なのだということを自覚し、静かに聞いてほしいなと思います。
 

2018年3月13日

 麻生さんのことは、そんなに嫌いじゃありません。いや、もちろん、「謝罪する」と言いながら頭を下げないところとか、人の上に立つことが当然という育ち方をしてきたわけで、「私とは違うよな」と感じることだらけではあります。

 しかし、「金持ち、ケンカせず」という言葉にあるように、下のものには余裕で接するというところがあって、その余裕の部分は楽しんで見ていられるところがあったと思います。上から目線なので、それでも嫌いだという人は多いでしょうが。

 官僚との関係も、これまでそれが有効に働いていたと思います。「良きに計らえ」方式と言えばいいんでしょうか、官僚にまかせるわけです。

 昔、「大事な問題なので官僚に答弁させる」と述べた労働大臣がいましたが、基本、それと同じで官僚を信頼する。というか、自分で国政にかかわる政策をつくる能力はないので、任せるしかないわけですけどね。まあ、その労働大臣と比べれば、中身を消化して自分で答弁する力はあるんだでしょう。官僚が間違うこともあるんでしょうが、そこは鷹揚にかばったりして、さらに官僚との関係を密にしてきたように思えます。

 それで今回のことです。麻生さんはどこで失敗したのか。

 一つは、もう財務省は、以前の大蔵省時代とは異なって、あまり優秀ではなくなっているのに気づかなかったことでしょうね。優秀というのは、単に頭がいいというだけでなく、それなりに国家、国民のために尽くすという姿勢を持っているということです。それが衰えている。

 もちろん、どの時代でも、官僚には(民間人だってそうだし、私もそうですが)「保身」を考える要素はあるでしょう。特定の人びとの利益のために多少は融通を利かせるという姿は、私も国会で秘書をしていましたから、時々は目にしてきました。でも、それらは微妙だけれど裁量の範囲内だと思わせるもので、国会で大問題にするわけにはいかないものも多かったのです。

 それなのに、現在の財務官僚は、特定政権の利益のために国益を侵害し、法律違反までするのですからね。その変化を麻生さんは見抜けなかった。いや、そうでない官僚もいっぱいいるから、こうやって改ざんが日の目を見たことも言っておかねばなりません。ただ、政治主導が現在の政治の合い言葉になっているし、現在は野党を含むすべての政党が政治主導でやっていくことをうたっているので、官僚はどんどんその方向に向かっているのかもしれませんが。

 もう一つは、官僚に信頼を寄せている自分の姿を明確にすることでその官僚の信頼を得るという、従来型のやり方をとったことです。一つ目と裏腹の関係にあることですけれどね。

 麻生さん、佐川さんのことを「極めて有能」とかばい続けました。それで官僚の信頼を得ることになると、従来型の思考に陥っていたわけです。

 しかし、財務官僚にとって見れば、目の前で決裁文書の改ざんが進行しているのに、それに手を染める官僚を「極めて有能」と持ち上げてきたことになるわけです。つまり、麻生さんは「(改ざんを)知らなかった」と言っていますが、事実上はずっと、改ざんを叱咤激励してきたようなものなのです。

 それなのに、「責任は考えていない」はあり得ないでしょう。壮大な勘違いをしてきただけだとしても、責任は免れません。

 その上、結局、官僚を守ることもできなかったどころか、官僚だけに責任を押しつけようとしているわけです。官僚との蜜月が終わり、麻生さんの影響力は地に落ちることになるでしょう。

2018年3月12日

 7年目の福島ツアーが終わり、昨夜、東京から新幹線に乗ろうとしたら事故で大幅な遅れ。京都駅までは戻れても、家にたどり着けないことが明白だったので、東京に泊まって、いま新幹線のなかです。

 ツアーの間に、日本の政治は大変動ですね。これは安倍さん、終わりでしょうね。

 これまでは、いろいろ追及されても、安倍さんが関わって法律違反を犯したというものではなかった。政治の責任という範囲のことだから、その政治を国民が支持していれば、堂々と乗り切ることができました。

 しかし今回は公文書の改ざんという、紛れもない法律違反です。しかも、直接にそれを指示したのは財務省の幹部であっても、その目的は、削除された用語である「本件の特殊性」を生み出した官邸の関与にあることは、もはや言い逃れできないでしょう。安倍さんは「自分は関与していない」と言いつつづけてきていて、それ自体は事実かもしれないけれど、「関与していない」という安倍さんの言明を疑問の余地のないものにするために文書が改ざんされたわけですから、官僚に法律違反行為をさせた責任は免れないのだと思います。

 それよりも何よりも、安倍さんを首相に抱き続ける限り、この問題も抱え続けるということになり、「安倍さんでは選挙が闘えない」という声が自民党内で大きくなってくるだろうということです。石破さんや小泉さんの最近の発言は、そこを捉えている感じがしますよね。

 安倍さんがそれでも改憲をやり抜きたいとすれば、道は一つしかない。25日の自民党大会で改憲案を決めたら、退陣すると宣言して、改憲案を推進すると明言する人に総理の座を禅譲することです。

 岸田さんが手を挙げたら、「安倍政権のもとでの改憲反対」で盛り上がっていた世論の一角はもろくもくずれるでしょう。岸田さんが、自民党大会の決定に離反してでも改憲しないという旗を掲げることができるなら、「オール沖縄」の全国版が誕生する可能性だって否定できないかもしれません。まあ、岸田さんにそれほどの覚悟はないでしょうし、護憲派にもないでしょうけど。

 政治の動きから目が離せませんね、今週は。私は本日は出勤しませんが。

2018年3月9日

 伊勢崎賢治さんは3.11の直後、お一人で原発から数キロという地点に行き、線量を計った上で、自分がかかわる国際紛争のNGOを福島に派遣した。当時、岩手や宮城にはボランティアがあふれていたが、福島には誰も行かなかった。伊勢崎さんは、自分で線量を計ることで、「行ける場所がある」ことを確信したわけだ。それにしても、いのちの危険に立ち向かう覚悟のあるNGOしか、当時は行かなかったのである。

 その数年前、伊勢崎さんの本をつくっていた。『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』、続いて『アフガン戦争を憲法九条と非武装自衛隊で終わらせる』というタイトル。身体を張って紛争を終わらせる日本人がいるんだという感動がつくらせた。私の息子も感激して伊勢崎ゼミに入ることになる。いついのちが断たれるかもしれないという状況が、伊勢崎さんをプロのジャズトランペッターの道に向かわせる。

 1年目の3.11。現地の人に伊勢崎さんのジャズセッションをやりたいと申し出た。残っている人は高齢者が多く、「?」という受け止めだったけど、相馬高校出身のジャズメンも協力してくれたり、その相馬高校の吹奏楽部も出演しれくれたり、とっても盛り上がることになる。

 翌年、その伊勢崎さんが、福島高校に招かれ、高校生を相手に国際紛争論の講義をすることになる(悔しいが、他社から『本当の戦争の話をしよう』という本になっている)。その場で、日本の高校のなかで唯一、福島高校にジャズ研があることを知った伊勢崎さんが戻ってきて、「いっしょにセッションをしたい」というわがままを言いだす。

 そこで、3年目の3.11ツアーでは、わがままを聞いてあげた。半年ほど前に福島高校に行って、ジャズ研の顧問の先生(と校長先生)にお会いし、頭を下げて出演許可を得たのである。

 ジャズ研の顧問をしていたのが、初代部長の大森真さん。当時はテレビユー福島の報道局長で、あらたなつながりができた。第三代目の部長が、あまちゃんの音楽で有名な大友良英さんだということを聞き、当時、生業訴訟の裁判の度に原告団を相手に実施していた講演会にお呼びすることを計画した。大森さんが仲介してくれたので、二つ返事で引きうけてもらえることになる。大友さん、昨日のNHKの「アサイチ」にも出ていましたね。

 本日、大友さんは、福島地裁前でお昼頃に開かれる生業訴訟の第二次提訴行動に参加していただける。その後、原告団長の中島さんとの対談があり、夜の福島ツアーのご一行の懇親会にも参加してくれることになっている。生業訴訟のなかで生まれた『福島が日本を超える日』を読んだ札幌から参加するツアーの人が、「どうしても大友さんと会いたい」と、これもわがままを私に言ってきたので、心を鬼にして頼んだ結果である。本当にありがとうございました。

 明日は飯舘村を経て浜通りに向かう。飯舘村では、テレビ局を退職して村の職員になった大森さんが出迎えてくれる。給与は半分になったけど、そこに生きがいを見いだしたんだね。いろんな人生があって、私も、これからの人生をどうするのか、いろいろな可能性に挑戦していきたいと感じる。

 伊勢崎さんとはその後もずっと付き合っているので、「自衛隊を活かす会」につながっているんだよね。その伊勢崎さんと山尾志桜里さんとの関係が生まれたので、今月31日の公開討論「安倍加憲論への対抗軸を探る」も実施できたんだよね(これは申込が多くて、あと数日で締め切りになりそうです)。秘密ですが、いま空想の段階から現実に移せる段階になったのは、伊勢崎さんのジャズセッションを国連会議場でやる企画です。

 もう今年で7年目だし、10年目は会社を退職していてツアーは実施できないので、今年で終わりかなと感じてきた。でも、こんなことを続けていると、人のつながりがどんどん増えてきて、来年はこんな挑戦をしたいなと思わせてくれるものもあるんだよね。さあ、どうしましょうか。