2018年5月24日

 本日、午前中は本社で会議。現在、東京に向かう新幹線のなか。ということで忙しいので、簡単なお知らせ。

 4月だったか、9条と自衛隊の共存を考える企画の開始って書いたけど、6月もいくつかある。その最初の企画のこと。

 6月16日午後1時半から、場所は愛知県の尾張旭の中央公民館です。チラシをご覧ください。

松竹伸幸チラシ④

 「憲法9条と自衛隊、どう考えたらいいのかな?」というテーマで私が講演するんですが、それに続くのが大事ですよね。立憲民主党の山尾志桜里さん、あいち九条の会世話人の太田義郎さんと対談します。さらにその後、「座談会」もあるというものです。ディープですね。

 チラシから、この会の趣旨を引いておきます。

 「憲法改正」が声高に叫ばれる昨今。でもわたしたち、正直憲法のことなんてちゃんと考えたことなかった…そんな方にも朗報です!松竹さんの講演から、憲法9条と自衛隊の関係を学び、整理することから始めよう!「改憲ありき」「時間制限つきの憲法議論」ではなく、時間をかけ、意見の違いを越えて、参加者も意見を出し合って日本の(あなたの)将来について、考えていきましょう。

 私の『改憲的護憲論』を読んだ愛知の方々が、偶然にも山尾志桜里さんの選挙区である7区の方々で、こんな成り行きになりました。ちょうど話が持ち込まれた頃、3月31日の日比谷図書文化館企画(伊藤真さん、伊勢崎賢治さん、山尾志桜里と私の討論会)を計画していて、山尾さんと連絡がとれる関係になっていたものですから、話がすいすいと進んだんです。

 みんないま、3000万人署名をやりながら悩んでいるのだと思います。先日、京都の福知山の方からも電話があって、署名を進めているけれど、「自衛隊を認めるのは当然でしょ」という反応が大半で困っているということでした。自衛隊と9条という話なら私にお願いするしかないということで、6月末、農作業があるけれど、昼間は暑くて休むので、その時間帯にということで呼ばれました。

 9条と自衛隊。これをどうするかということですね。いま語らなければならないのは。

 ということで、愛知のみなさん。どうぞおいでください。懇親会も含めると、1時半から9時までの超ロング企画になると思いますが。6月はもう一つ企画があるんですが、それは明日の記事で。

2018年5月23日

 さて、この本である。1984年に出版され、すぐに読むように言われた。本の著者が過去に在日朝鮮青年同盟の専従をしていたこともあり、そことは私が国際部長をしていた民青同盟として付き合いもあったので、必須の文献ということであった。

 ここ十数年、北朝鮮の実態を暴く本はたくさん出ているので、いまの時点でこの本を読んだ人が内容にびっくりすることはないかもしれない。しかし、30年以上前のことだから、その衝撃は表現ができないほど大きかった。

 いやもちろん、北朝鮮の関係者がいろいろ説明することに、うさんくささは感じていた。とりわけ個人崇拝の極端さは辟易するものだったので、そういう人たちがいくら北朝鮮の自慢話をしても、「地上の楽園」だと宣伝しても、それを鵜呑みにするようなことはなかった。

 しかし、そうはいっても、「腐っても鯛」という程度には見ていたように思う。ところが、この本の著者が表現しているように、「腐っても社会主義」というものではなく、社会主義とは正反対物の「専制的帝国」だということがリアルに伝わってきたのである。

 帰国運動で北朝鮮に渡った家族は見る影もないほどに老いさらばえ、自分の子どもなのに自分より老人に見えるほど。北朝鮮にずっと住んでいる人々も身体は小さく、目は死んでいる。一方で、金日成らは壮大な豪邸に多くの使用人を抱えて住んでおり、序列と格差だけがそこには存在する。社会主義は平等だと信じていたのに、その対極の社会がそこにあったわけである。

 この本を説得力あるものにしているのは、その叙述が、現在そこいらにあふれかえる類書とは異なり、糾弾調ではないこと。自分が愛していたものが崩壊していく心情を切々と訴えているのだ。

 数年後、国際会議が平壌であって、私も参加したのだが、事前にこの社会のことが分かっていて良かったと思う。平壌には優良分子しか住めなくて、他の地方とは人の体格まで違っていることなんて、平壌しか訪問できない外国人には理解できないことだからね。

 問題は、北朝鮮の社会が、その後も変化をしていないように見えることだ。国連では毎年、人権理事会が任命した特別報告者の報告が提出されるが、変化が指摘されるようなことはない。

 そして国際社会にとっての問題は、そういう支配体制を3代にわたって維持してきたような政権を相手に、非核化という大仕事をやらねばならないことだ。

 独裁政権を相手に外交ができないとは言わない。北朝鮮ほど深刻でなくても独裁政権はたくさんあるから。しかし、金正恩が突然いい人になって話が進んでいるわけではないことを肝に銘じて、どんな外交をするのかを考えていかねばならない。

 この本、現在も新版が出ていて入手できるし、私もキンドル版を買って再読した。朝鮮半島の非核化を真剣に願う人にとっては必読だと思う。

2018年5月22日

 若い頃、1980年代のことだが、民青同盟という青年団体の国際部長をしていた。共産党の「導き」を受ける組織ということで、いろいろ教えてもらって、それがいまの自分につながっているように思える。

 教えてもらったことの1つが「国際活動関係者の必読書」である。いわゆる「独習指定文献」のような公式のものではなくて、付き合いのある社会主義国の歴史と実態をリアルに知っておくための書物であった。

 例えばD.F.フレミングの『現代国際政治史』(全4巻)。あるいはフランソワ・フェイトの『スターリン時代の東欧』と『スターリン以降の東欧』などなど。

 公式の説明では、戦後の冷戦はアメリカが軍事同盟をつくり、それに対抗して社会主義の側も軍事同盟をつくることによって開始されたということになっていた。しかし、『現代国際政治史』は、それとはまったく別の、「どちらが悪い」というものとは異なるリアルな世界像を描いていた。

 あるいは、公式の説明では、東欧では戦後、人民民主主義革命を経て社会主義になったとされていた。しかし、『スターリン時代の東欧』と『スターリン以降の東欧』では、東欧を軍事占領したスターリンが、力の弱かった共産党にも政権に無理矢理参画させたのが「人民民主主義」で、暴力的に共産党一党支配の社会主義になっていく経過が描写されていた。

 なぜそんなものを読まされたのか。当時、共産党同士の付き合いがあって、相手に問題があるという場合も、それを公然と批判することはせず、内部で意見を述べるというやり方がとられていた。

 例えば、北朝鮮による青瓦台襲撃事件について、日本共産党が朝鮮労働党に対して批判的意見を述べていたことを知ったのは、両党関係が断絶して以降のことである。たとえ表だって意見をいう場合も穏やかなもので、このメッセージは北朝鮮の世襲制を批判したものだと説明されて読んでも、なかなかそうは読み取れないようなものであった。

 そういうことで、民青同盟とはいえ社会主義国の青年同盟を相手に仕事をしなければならないわけだから、オモテに出るだけのものを信じていてはちゃんと仕事ができないよということだったのだろう。実態をリアルに知っておけという「導き」だったと感じる。

 だから、若い頃から、社会主義というものに対して、あまり幻想を持たなかった。別の言い方をすれば、日本の共産党というものが、オモテに出ないところで、実はリアルに世界を捉えていることに関心もしたし、信頼もした。今にして思えば、本当なら、国際活動関係者ではなくても、読むべき文献として推奨したほうが良かったと思うけどね。

 なぜこんなことを書いているかというと、北朝鮮に関する本を書こうと思って、当時の「必読書」の1つだった『凍土の共和国』を再読しはじめたからである。その本については明日の記事で。

2018年5月21日

 先週までの連載の続きのようなもの。というか、米朝首脳会談まで何回も書くと思う。

 北朝鮮の「体制保障」が焦点となっている。連載でも書いたけれど、これが北朝鮮の体制を武力で倒すようなことはしないという意味なら、あまりにも当然のことであって、保障されるべきであろう。外部から体制転換を図るのは明白な内政干渉であって、許されることではない。

 しかしこれが金一族の支配体制の保障ということなら、それも別の意味での内政干渉になりかねない。ある国で誰が支配者になるかということは、その国の人びとが決めることであって、外部から干渉していいものではないからだ。

 ちょっと想像してみてほしい。あなたが北朝鮮の国民だとしたら、金正恩政権にどういう態度をとるのかということを。

 私だったらきっと、同志を募って革命政党をつくり、政権打倒をめざすと思う。もちろんそれは、私がこの日本で育ち、そういう思想を身につけているからであって、北朝鮮で生まれていたらどうなったかは分からないけれどね。

 だって、10万人を強制収容所に入れるような国なのだ。そんじょそこらの独裁政権とは比べものにならない。日本で「安倍辞めろ」とか「安倍打倒」と叫んでいるような人なら、北朝鮮に住んでいたとして、この体制を受け入れられるはずがない。

 その場合、革命運動が金一族の支配を脅かすまでに発展したとして、外国の人びとはどういう態度をとるべきだろうか。体制保障をするのかということだ。

 リビアでそういう事態になった時、アメリカはカダフィ大佐の側を空爆した。これは内政に対する重大な干渉であって、北朝鮮がそれを怖れるのは理解できる。

 しかしじゃあ、「体制保障」ということで、革命運動の側に対して空爆したとしたらどうか。それだって許されない内政干渉だろう。

 では、政権の側が革命運動に対する弾圧を強化し、強制収容所への政治犯の収容を倍加させたり、大量の流血の事態を引き起こしたりしたらどうなのか。それでも「体制保障」の約束に縛られるのかということだ。

 私が北朝鮮の革命政党の党首だったら、少なくとも「北朝鮮のことは北朝鮮の人びとに任せてほしい。経済援助で政権を延命させるのは内政干渉だ」という立場をとるのだと思う。まあ、程度の問題もあるだろうけれどね。

2018年5月18日

 米朝首脳会談をめぐる駆け引きが活発になってきた。残虐な支配体制の維持を究極の目標とする北朝鮮を相手にした交渉なのだから、物事が簡単に決着つかないのは当然であり、関係者の粘り強い努力を期待したい。

 それにしても第1外務次官の金桂冠がオモテに出てきたのはびっくりした。94年の枠組み合意、21世紀になってからの6か国協議が破綻する過程で、重要な役割を演じた人物ではないか。米朝会談が破綻したとしても北朝鮮の要求を貫くぞという決意を感じさせる。

 その金桂冠が、アメリカの大統領補佐官であるボルトンをやり玉に挙げていることは、今回の問題の裏側を象徴していると思う。とくにボルトンがリビア方式を求めているのを批判していることである。

 よく知られているように、リビアは核開発の初期段階にあったとされるが、2003年、核の即時・無条件の放棄を表明した。そして実際、核やミサイル関連の物質をアメリカに引き渡したのである。

 94年の米朝枠組み合意の際は、「行動」対「行動」の原則だった。そのため、ゆくゆくは核関連物質をアメリカに運び出すつもりだったが、その準備段階の「行動」としてアメリカが人を派遣して核物質をスチール缶に閉じ込め(危険な状態でおかれていたので安全を図るという目的もあった)、当面それを北朝鮮内に置いておくという方式をとったのである。ところが結局、その「行動」を北朝鮮が利用し、スチール缶内の核物質を取り出して核兵器を開発したのだから、リビア方式は譲れないところだと私も思う。

 北朝鮮が一番心配しているのは、リビアが核の放棄に応じたのに、最終的にはカダフィ大佐の支配体制が打倒されたことだろう。リビアの経過は詳しく分からない部分も多いが、欧米との関係を密接にしたことによって、自由を求める人民の運動が広がり(ジャスミン革命の影響もあったし、欧米が空爆して援助したこともあったが)、結局は、独裁体制が打倒されることになった。

 同じことが北朝鮮でも繰り返されたらたまらないということだ。一方、トランプさんは、リビアの体制を打倒するつもりはなかったのだと言っているようだ。

 しかし、トランプさんが金一族の支配体制を保障したところで、この連載で書いてきたように、北朝鮮が核開発を放棄し、欧米との関係を密接にすることは、結局は、金一族の支配体制を揺るがすような人びとの運動につながっていくのである。そのジレンマから北朝鮮が逃れようとしたら、核開発も続行し、残虐な支配も維持するという、現在のやり方にもどるしかない。しかしもはや、そういうやり方も永続するはずはないのだ。

 実は、トランプさんも、そこを深く読み切っているのかもしれない。体制の打倒などしないと保障しても、核開発を放棄させ、経済的な見返りを十分に与えたら、いずれは体制が崩壊するのだと分かってやっているのかもしれない。だとしたら、やはりノーベル平和賞級の業績になるかもね。

 流血の結末を避ける方法というか、金一族が助かる道は1つしかない。このまま米朝会談に応じて非核化を進め、まだ国際社会が成果を褒め称えている間に、そして人民の運動が高揚する前に(それを弾圧して欧米の世論が硬化する前に)、その微妙なすきまを見つけて受入国を見つけて亡命することである。

 北朝鮮をめぐる本を執筆したくなってきた。どの出版社か、いかがですか。(了)