2018年11月14日

 9条の会とか3000万署名の推進母体とか、この間、そういう所から講演に呼ばれることが急に増えてきた。しかも、テーマは共通していて、「自衛隊と9条」である。呼ばれる理由も共通していて、「署名を訴える際、自衛隊をどう語るかを考えたい」というものだ。

 これは予想されたことである。安倍さんがやろうとしているのは「自衛隊」を憲法に明記することだから、自衛隊を自分はどう思っていて、どうしたいのかと語ること抜きに議論は進まない。

 一方、署名用紙のなかで「自衛隊」が出てくるのは、「(安倍首相が)新たに憲法9条に自衛隊の存在を書き込む」と述べているという事実関係だけで、自衛隊の評価は出てこない。「請願事項」は、「9条を変えないでください」ということであり、「自衛隊の存在を書き込まないでください」ということではない。

 つまり、この署名用紙に沿って訴えている限り、「自衛隊」をこちらから語る機会はないのである。9条に自衛隊を明記する案を拒否しようというのに、相手が疑問を出してくる場合だけ、自衛隊が議論されるという構造になっているのだ。

 これは仕方のないことでもある。だって、9条の会にせよ、署名推進団体にせよ、自衛隊に対する見解の違いを超えて、その評価を脇に置いて、団結している団体なのだから。肯定的な評価にせよ、否定的な評価にせよ、一致した見解は出せないのである。

 ところが、署名の現場では、自衛隊について語らないわけにはいかない。いや、自分のまわりの人に訴えている分にはいいのだが、過半数が目標になっているわけで、知らない人に署名をお願いすると、「なぜ自衛隊を明記してはいけないのか」と聞かれるので、何も言わないで済ませることは無理なのである。

 だから、この署名を本格的に進めようとしたら、9条の会は自衛隊をどう位置づけ、どう語るのかから目を背けてはならない。各地の9条の会もそうだが、全国的にも自衛隊をどう語るかの経験交流とかしていかないと、過半数の署名を集めるなど無理だろうし、改憲を阻止することもできないと思う。

 そこに気づいた会が、「そういえば、9条と自衛隊について変わったことを言っているヤツがいた」ということで、私を呼んでくれているのであろう。ありがたいことだが、そんな細々とした取り組みでは、影響力もたかがしれている。

 自衛隊と9条については、伝統的な語り方があった。おそらく多くの人がそういう経験則で語っているのだろう。だけど、それでは通用しないということが、署名が広がるなかで分かってきていると感じる。それがこの連載の主題である。(続)