2018年11月19日

 自衛隊違憲論の護憲派が「自衛隊は解消するという立場だから」ということで、自衛隊に関する新たな法整備、予算増等を認めないということになると、いろいろ困った事態に直面することになる。誰が困るかというと、護憲派自身である。

 自衛隊違憲論は堂々と述べれば良い。持論なのだから隠さなくていいし、隠すとかえって逃げているように思われるだろう。

 しかし、自衛隊違憲論というのは、あくまで自衛隊の存在が憲法の文面に反しているかどうかという角度からの議論である。自衛隊が必要かどうかの判断とは次元が異なる。

 別の事例になるけれど、私学助成が憲法89条に違反しているのではないかという指摘は、ずっと存在してきた。89条が、「公金その他の公の財産は、……公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と明文で規定しているからだ。

 だけど、私学助成は誰もが必要だと考えている。とはいえ、憲法改正まで私学助成が実現しないとなると大変だからということで、私立学校も「公の支配」に服しているという「論理」を見つけだし、助成を実現してきたわけである。

 つまり、そこに憲法に違反する事態があったとしても、それが必要なものだと国民が思っていれば、憲法を杓子定規に適用しようという判断はしない。自分にとって必要なものなら、改正して実現するか、解釈改憲で実現するかということになっていくのである。

 そして、何回も言うように、国民の多数おそらく99%は、自衛隊を廃止するなど考えたこともなく、必要だと考えている。その結果、自衛隊違憲論が説得力を持てば持つほど、多くの人は、「じゃあ、改憲して自衛隊の存在を明記しなければならないね」という思考回路にはまっていくわけである。護憲派の思惑が崩れるのである。

 その護憲派が、「自衛隊は違憲だが、自衛隊員が国防や災害派遣でがんばってほしいのだ。そのために必要な法律や予算は当然だ」という立場であれば、違憲論が浸透しても、そういう思考回路に陥ることにならないかもしれない。だけど、国民の多くは、護憲派が「法律もダメ」「予算もダメ」というのをあわせて聞くことになるので、「護憲は自衛隊の必要性を否定すること」と思うことになり、違憲論が広がるほどが改憲派が増えていくという構図が生まれるということなのだ。(続)