2018年11月26日

 日本国憲法は自衛権を認めているのか。その根拠はどこにあるのか。この問題は、集団的自衛権行使の閣議決定後、少し混乱が見られるので書いておきたい。

 私自身にとっては、憲法が自衛権を認めているということは、ずっと自明のことであった。世界のどの国にも自衛権はある。ただ、どんな場合も、どんな武力行使も自衛権で正当化できるものではない。国際慣習法で以下の3要件が必要とされており、日本もそれに従う限り、自衛権は保有しているという考え方である。

 1つは、「我が国に対する急迫不正の侵害があること」で(違法性の原則)、これは現在の国連憲章のもとでは「武力攻撃が発生すること」とされている。2つは、「武力攻撃を排除するために他の適当な手段がないこと」(必要性の原則)で、まず外交的な解決をめざすが、それでもダメな場合に限られることである。3つは、「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」(均衡性または相当性の原則)で、相手の武力攻撃をはるかに超える反撃をくわえてはならないという意味である。

 もちろん、国際法で権利が認められていても、国内法でその権利を放棄することはあり得る。国際法上の義務については、国内法で「その義務は果たしません」と書いても認められるものではないが(人を殺しても裁判される義務を果たしませんと言っても通用しない)、権利を放棄しても他国は困らないわけであり、そういうことになるわけだ。

 そして、日本国憲法は、どの条項を見ても、「自衛権」を放棄する明示的文面はない。正直なところを言えば、交戦権を放棄した9条2項は、そういう意味合いをもって導入されたのだろうし、だからこそ憲法学者の中では「憲法は自衛権を放棄した」と解釈する人も多いのだけれど、私は、憲法をもっと政治的文脈で解釈する立場であり、自衛権がないとなってしまえば、侵略にたいする抵抗手段がなくなり、国家の体をなさなくなるので、そういう立場で解釈することを優先してきた。

 つまり、自衛権の根拠として13条を持ち出す人もいるが、それも含めて憲法の他の条項に書いているとか、そういうことではない。侵略されれば国家も崩壊するし、日本が第二次大戦後の占領で体験したように、憲法だって変えられる。新しく押し付けられる憲法では、9条がなくなるかもしれない。それなのに、9条が自分を否定することになる自衛権放棄を規定しているなどと考えてはいけないという立場である。これは、ほとんど戦後の内閣法制局と同じような立場であろう。

 ところが、集団的自衛権の行使が容認された閣議決定により、自衛権の根拠が大きく変わった。13条が根拠になったのである。そのもたらした混乱は小さくない。(続)