2018年11月29日

 別テーマに移ろうと思ったけれど、質問があったので再論。自衛権発動の要件にかかわる問題だ。

 国際法上の自衛権の3要件のトップは「急迫不正の侵害があること」とされてきた。これって、見ただけで分かるけれど、「武力攻撃が発生したこと」という現在の要件とはだいぶ印象が異なる。これでは人権侵害なのか領土侵害なのか区別していないように見えるからだ。

 実際、古い3要件時代、自衛権は幅広く解釈されてきた。「野蛮な国」で商売している自国民の生命が脅かされているなどとして、自衛権名目で軍隊を送ったりしていたわけだ。

 ここを転換したのが国連憲章である。51条により「武力攻撃が発生したこと」が要件とされ、それが長い時間をかけて定着してきたわけである。

 国連憲章の草案の段階では、このような規定はなかった。ラテンアメリカ諸国から、個別自衛権だけでなく集団的自衛権も認めるような文言にすべきだという提案があり、これに対してアメリカが当初、集団的自衛権だけには「武力攻撃が発生したこと」を要件とする修正を提示する。集団的自衛権の濫用を警戒したアメリカが、個別的自衛権よりきびしい要件にしようとしたわけである。

 「侵害」だけでは武力による侵害とはならないが(人権侵害でも自衛権が発動できるように読めるが)、「武力攻撃(armed attack)」だとあくまで軍隊による攻撃を指すことが明確になるからである(逆に言うと、この時点では、個別的自衛権は人権侵害でも発動できるという暗黙の了解があったということでもある)。左翼の世界では、集団的自衛権というのは戦後世界での覇権をめざしたアメリカの策動で挿入されたことになっているが、実はアメリカは集団的自衛権を抑制する立場に立っていたわけだ(この経緯は森肇志の名著『自衛権の基層』に詳しい)。

 ところが、経緯はあまり明らかにされていないのだが、修正議論の過程で、個別的自衛権と集団的自衛権の要件がともに「武力攻撃が発生したこと」とされるに至る。その結果、自衛権の要件は「武力攻撃が発生したこと」と確定した。古い「急迫不正の侵害があること」を持ちだし、「マイナー自衛権の発動はこれで良い」とする議論もあったが、戦後の戦争をめぐる国際政治における議論のなかで克服されてきた。

 だから、やはり人権侵害があれば自衛権を発動できるという議論は、根本的に間違っているわけだ。武力攻撃があろうとなかろうと人権は大切にされなければならず、そのために努力もしなければならないが、自衛権を発動して対処するのは、あくまで「武力攻撃が発生したこと」が要件になるということだ。

 しかも、人権を理由にした自衛権の合理化というのは、政府の集団的自衛権行使の合理化に使われた論理なので、そこに引きずられる可能性があるという点でも、認めてはならないと思う。ただ、武力攻撃に対して自衛権を行使するのは、大きく言えば武力攻撃によって国民の人権が犯されるからではある。それにしても、自衛権を発動できるのは「武力攻撃の発生」が確認されてからということだ。(続)