2018年11月28日

 人権は大切だけれど、それが侵害されたら即、自衛権を発動できることになったら、世界は無茶苦茶になる。世界であれ日本であれ、日本国民の人権が侵害されたら、侵害している相手を自衛隊が攻撃できることになるのだから。これって、拉致されたから北朝鮮を攻撃せよというのと同じ論理になっていく。

 しかし、よく考えてみると、集団的自衛権行使の閣議決定というのは、その水準のものだったわけだ。しかも、人権侵害の「明白な危険」があれば自衛権を行使するというのだから、よけいに無茶苦茶である。

 だから、本来的にいえば、人権を理由に自衛権を行使してはならないという主張は、この閣議決定を批判するために使われるべきなのだ。ところが、ここに倒錯が生まれてきた。

 憲法学者の木村草太さんが、個別的自衛権の根拠は13条にあると言いだした。昨日も書いたが、もともとは13条にある人権を大切にするためにも、それを侵害するような武力攻撃があったら自衛権を行使できるというのが本来のあり方だったのに、直接に人権を根拠とした自衛権行使と捉えられた。

 さらに、木村さんの主張は、集団的自衛権行使を合理化する日本政府の主張を引いているものなので、余計にややこしくなった。木村さんの主張がそのまま集団的自衛権合憲論になりかねないのである。そういう意味で、人権を直接の根拠とする個別的自衛権合憲論は危うい側面を持つ。

 さらに、さらに、より複雑なのは、じゃあ人権問題では絶対に武力行使できないのかという、別の問題が重なってくるからだ。これを単純化すると、ナチスによるユダヤ人虐殺に匹敵するようなことがあっても、世界はただただ黙って見ているべきだということになってしまう。

 重大で組織的な人権侵害がある場合、世界は介入すべきであるというのが、国際法の到達である。ただし、各国が勝手に行使する自衛権の枠組みではなくて、国連安保理による授権があった場合に限るわけであるが。

 さらに、さらに、さらに、もっと複雑なのは、国連人権理事会が任命した北朝鮮人権問題特別委員会の結論は、北朝鮮の人権問題はまさに安保理による介入を求めていることである。しかも、拉致問題についても、それと同じ性格の問題だと位置づけているということである。

 ただ、これは自衛権の問題ではないので、この連載ではこれ以上深入りしない。明日からは、自衛権と自衛隊の問題に移っていく。(続)