2018年11月27日

 日本が自衛権を行使できる要件は、集団的自衛権行使の閣議決定があるまでは、昨日紹介した3つであった。とりわけ、「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」が大事な要件とされてきた。国連憲章がそう規定しているわけだから、自衛権の発動要件をそれ以上に広げることは無理だったのである。

 ところが、集団的自衛権の閣議決定によって、大きな変化が起きた。この閣議決定は、自衛権(個別的と集団的と)を行使する要件を次のようにしたのである。

 「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」

 一応、「武力攻撃が発生した」という言葉はある。しかし、自衛権発動に直接かかわる直接の要件は、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」とされている。人権侵害があった場合に、しかも実際の侵害ではなく、その「明白な危険」があるだけで、自衛権を発動できるようにされてしまったのである。

 もちろん、それまで自衛権発動の3要件を説明する際にも、人権概念が無縁だったわけではない。例えば、個別的自衛権に関する政府のもっとも伝統的な考え方は、以下のようなものであった(1972年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」より)。

 「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」

 自衛権が13条と関連づけられてはいる。実際、根本的なところを言えば、自衛権を発動するのは、国家には国民の人権を守るという義務があるからと言えるのだと思う。

 しかし、過去の憲法解釈は、憲法は国民の人権を何よりも大切にしているから、日本が武力攻撃された時には自衛権を発動できるという構造を持っていた。自衛権を発動できるのは、あくまで武力攻撃された時だったのである。それなのに、集団的自衛権行使の閣議決定というのは、くり返しになるが、直接の要件を「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」にしてしまったのである。
 
 国連憲章から言えば、ただ「アメリカが武力攻撃された時」とすれば良かったのだ。けれども、日本国民の心情というか、国民が慣れ親しんできた考え方からすると、アメリカが攻撃されてなぜ自衛権が発動できるのかという疑問を克服することはできない。それで国民に分かりやすくしようと考え、安倍首相があの閣議決定のあとの記者会見で述べたように、韓国に在住する日本国民の命が危うくなるとか、ペルシャ湾が封鎖されて石油が輸入できなくなり国民の生活が脅かされるとか、そんな事例で説明しようとした。

 しかも、閣議決定ではそれを個別的自衛権の根拠と同じところに持ってきたので、個別的自衛権も国民の人権が侵害されたら発動できるという構造になってしまったのである。ちょっと複雑かなあ。いずれにせよ、そのもたらした弊害は大きい。(続)