2018年11月16日

「自衛隊」と「9条」。これが対立するものであること、少なくとも矛盾するものであることは誰もが認めるところである。それをどう解決するかということで、これまで改憲論と護憲論からアプローチがあった。

 改憲論でいうと、2種類あった。1つは解釈改憲であって、「必要最小限度」の実力組織は憲法でいう「戦力」にあたらないというものである。もう1つは、それでは無理があるので、憲法を現実に合わせようという明文改憲論がある。

 護憲論は、明文改憲論と同じく、矛盾は解決しなければならないという立場に立ってきたが、逆に現実を憲法に合わせようというものであった。これが護憲論の代表的なものであり、護憲論の論理的な枠組みはその中で生まれ、発展してきたものである。

 この護憲論の論理的枠組みが通用しなくなっている。まず、それを自覚することなしに、護憲論の発展はあり得ない。

 例えば、伊勢崎賢治さんがよく言うことの1つに、国際人道法を自衛隊に適用する法的枠組みがないという問題がある。自衛隊が民間人殺害など国際人道法を犯しても、それを裁くための法体系がないではないかということだ(その原因が9条2項にあるから欠陥条項だという議論の評価は別のところで書く)。

 これは、戦前のように軍隊を法の枠外におくのではなく、より厳格に法を適用しようとする議論である。だから、いわゆる護憲派にとって、悩ましい問題になる。自衛隊に関する新たな法的措置をとらないと実現しないわけだが、そうすると自衛隊の存在を認めることになって、「現実を憲法に合わせる=自衛隊をなくす」という考え方と矛盾することになるからだ。

 半年ほど前だったろうか、共産党の志位さんが何かの記者会見をやり、その後の質疑で、この伊勢崎さん的な立場からの質問が記者から出された。それに対して志位さんは、正確に引用できないので申し訳ないが、「最終的には自衛隊を解消する立場だから、そういう新しい法的枠組みは考えない」と答えておられた。

 従来の護憲という立場からは、それ以外の答えはないだろう。法的なことだけではない。例えば自衛隊に関する予算を増やすということも、「解消する」という方向と逆行するから、護憲派にとって認められる問題ではないと思われる。

 そういう議論は以前から存在していたが、そういう立場を表明してもあまり問題にならなかったのは理由がある。社会党が存在していて、護憲派が国会議席の3分の1以上を占めていたので、「自衛隊を解消する」ということにそれなりのリアリティがあったからだ。伊勢崎さんはそれでも「法の空白」は短時間であっても許されないと言うだろうが、少なくとも護憲派にとっては「短時間」であることが想定されていて、国民のある部分もそれを許容していたと思う。

 現在はそこが異なる。自衛隊解消と言っているのは共産党だけであり、国会議席は衆議院で3分の1でも30分の1でもなく、2.5%に過ぎない40分の1(衆議院)である。国民全体を見渡すと、自衛隊解消を支持するのは、2.5%よりさらに少ないと思われる。

 そういう状況下で、自衛隊解消を当然の前提とした議論が通用するのか、どこまで通用するのか。護憲派が考えなければならないのは、そこである。(続)