2014年12月24日

 まだ全文は読んでいませんが、どうなんでしょうか。朝日が再生するきっかけになるんでしょうか。

 この問題での私の見方の全体は、来年出す本で書くつもりですから、ここでは少しだけです。だけど、自分の仕事のことを考えても、いろいろ教訓になることはありますよね。

 朝日は結局、「強制連行」にこだわったわけです。慰安婦問題というのは、日本の国家権力の命令により、朝鮮半島のいやがる少女を無理矢理に慰安所に連れて行って、悲惨な暮らしを強いたものだと。

 吉田証言というのは、そういう朝日の考えにピッタリとはまるものだったわけです。その考えにはまるかはまらないかが、記事を書く基準になるわけですよね。

 最初に名のり出た慰安婦が、親に売られて慰安婦になったと証言しているのに、その部分は報道せず、あたかも強制連行されたかのように描いたのも、そう書かないと、自分の考えと矛盾がでてくるからでしょう。吉田証言の取り消しに時間がかかったのも、それ以外に、同様の証言が日本側から出てこないからだった。そんな感じだったのだと思います。

 そうはいっても、慰安婦たちの証言のなかには、強制連行されたというものがあります。軍人が連行したという証言もあれば、朝鮮人に連行されたという証言もある。強制連行にあてはまらない証言もある。さらに、強制的に連れてこいという政府や軍の文書はひとつも出てこない。

 そういう、矛盾した状況があるなかで、ふつうは、「なぜなんだろう」と思うわけですよね。「強制連行」はひとつの側面としてあるけれども、それだけでは一面的かもしれないって。

 ところが朝日は、そう思わなかったわけでしょうね。目の前にある事実を事実として受けとめず、「強制連行」という都合のいい部分だけを記事にしていくというか、そういう取材だけをしていくというか。

 報道するのに「立場」ってあっていいと思うんです。被害者である慰安婦に寄り添う姿勢も必要です。

 だけど、事実は事実として受けとめなければいけない。矛盾した事実をすべて受けとめ、なぜそうなるんだろうと考え抜いた先に、きっと慰安婦問題の本質があるのだと思います。そこができなかったことが、朝日の最大の問題点だと思います。

 第三者委員会の検証は、そういう肝心なところが抜け落ちていると思います。じゃあ、慰安婦問題とは何なのかが伝わってこない。まあ、それは第三者委員会の仕事ではないのだと思いますけどね。