2015年3月12日

 集団的自衛権を行使するような場合を、いま準備中の安全保障法案でどう表現するのか。政府の迷走が続いている。

 だいぶ前、自民党が野党の頃につくった法案では、「集団的自衛事態」って、身もふたもないようなネーミングだった。これって、一番正確かもしれないけれど、いまでも集団的自衛権の評判はよくないから、あまり使いたくないのだろう。最近の議論では話題にもならない。

 昨年の閣議決定以降、「存立事態」とか「存立危機事態」というネーミングが使われ始めた。たしかに、閣議決定を何らかの言葉であらわそうとすると、そうならざるを得ないだろうと思って、私はよく使ってきた。

 だけど、最近は、その言葉は使われず、もっぱら「新事態」ということになってきている。おそらく、日本の有事で個別的自衛権を発動するのが「武力攻撃事態」で、集団的自衛権を発動するのが「存立危機事態」ということになると、日本の「存立」が「危機」になっている事態の方が、「武力攻撃事態」よりもっと日本が危ないというニュアンスになって、法的な整合性が保てないのかもしれない。

 だけど、これは、そう思わせることによって、集団的自衛権の閣議決定を強行したからだよね。自縄自縛に陥っているのは、自己責任だと言える。

 そして、「新事態」。「武力攻撃事態」でもなく、「周辺事態」でもなく、たしかにこれまで定義されたことのない事態なのだから、「新事態」ではある。だけど、これでは何かを表現したことにならない。問題の本質、重大性を覆い隠したい安倍さんにとって、都合のよい表現だということになるのだろうか。

 だけど、「新事態」でもいいかとも思う。だって、日本と世界の歴史上、はじめて出現する新しい事態ではあるのだから。

 これまで、そんな事態は、どこにも起こっていない。過去の集団的自衛権の発動事例だって、そんなものではなかった。

 たとえば、ソ連がハンガリーを助けるとして集団的自衛権を発動したとき、ハンガリーの事態がソ連の存立を危機に立たせるようなものだったかというと、そんなことはあり得ない。ソ連自身が、そんな説明はしていない。

 あるいは、アメリカがベトナムに介入したとき、ベトナムの事態がアメリカの存立を危機においやるから武力行使は当然なんて、誰も(アメリカも)思わなかった。いわゆるドミノということで、周辺諸国に共産主義が広がることがアメリカの懸念だったのだ。

 そう。だから「新事態」というネーミング、攻め方次第では使えるかもしれない。世界史上かつて発生したことのない「新事態」で、世界のどの国も経験したことのない「新事態」で、安倍さんは武力行使に踏みだそうとしているのだと。

 本日から東京出張。相変わらず忙しいです。