2015年3月20日

 今朝のNHKニュースで、若者が安全保障法制について考え、議論する様子を放映していた。安全保障の問題は、とりわけ若者にとって他人事ではなくなっているわけで、その現状が反映しているのだと思う。

 そこで、「グレーゾーンって言われても、ピンとこない」という発言が紹介されていた。そうだよなと思う。私だって分からない。

 もともとは、集団的自衛権と個別的自衛権の間にある事態ということで、この言葉を使い始めたのかと思っていた。日本防衛に限りなく近いということで、世論の支持を得やすくなるからね。

 でも、そうでもないようだ。この間の使われ方を見ると、日本有事か平時かの間にある事態ということみたいな感じだ。

 「切れ目のない法制」ということで、あいまいなところを整理しようとするわけだろう。だけど、そうすると、余計に分からなくなる。

 だって、現在でも、そういう事態はグレーではない。明確に定義されている。

 離島に武装した漁民が上陸するという事態が想定されているわけだが、これは原則として警察が対処すべき事態である。相手が国家の意思として離島に上陸するならば、それはもう有事ということになって自衛隊の出番になるのだけれど、一般的に武装した漁民ということだけでは、そういう判断はできないだろうからね。

 それだったら、相手が強大な武器をもっていて、警察では対処できない場合はどうするのかと心配する方もいるだろう。だけど、そんな場合、自衛隊が警察権の範囲で治安出動できることが定められている(自衛隊法90条1項3号)。ぜんぜんグレーではないのだ。

 相手が強大な武器をもっているだけでなく、実は国家意思の発動として離島を占拠する場合はどうなのだと、不安に思われる方もいるかもしれない。しかし、その場合は自衛隊が出動するわけであって、何の問題もない。

 同時に、この問題で大事なことは、警察が対処する場合も、警察権で自衛隊が出動する場合も、それは平時における対応だということだ。一方、自衛隊が出動する場合、それは有事だ(相手国と戦争するのだ)と判断を下すということなのだ。

 その平時と有事の間には、明確な切れ目がある。いろいろな情報をもとに、離島の占拠を国家によるものだと判断し、その国家と戦争するという決断をするわけだから、質的に異なる段階に入るのだ。

 そういうものなのに、その段階を「グレー」だと言ってあいまいなものに見せかけたり、あるいはシームレスと言って少しずつ有事への階段を上がっていくもののように装ったりするのは、危険きわまりないことである。「気がついたら有事になっていた」みたいな無責任なことになりかねない。

 平時か有事かを決めるのは、ときの内閣なのである。安倍さんなのである。その間に中間項はない。