2015年6月1日

 もともと戦後70年企画のツアーでしたし、日本ではリアルタイムでその問題が国会で議論されていたし、いろいろ考えることが多かったです。有意義でした。

 ドイツは反省したのに日本は反省していない。これってよく言われることですし、そういう要素があるのは事実ですが、そう簡単な話ではありません。

 こういう違いが生まれた一番大きな要素は、ドイツでは戦争に責任のあるヒトラー、ナチスが打ち倒されたのに、日本はそうならなかったということでしょう。ドイツで戦後政治を担ったのは、ナチスに市長の座を追われたアデナウアーとか、地下活動に入り、後に亡命して闘ったブラントだったりしたわけですが、日本の戦後政治は戦前と連続していたわけです。

 あの戦争が「侵略」だと言い切った初めての首相が、自民党が下野したのちにできた非自民政権の細川さんだったことは、その象徴だと言えるでしょう。自民党政治のもとでは、そういうことはできませんでした。そして、自民党が政権に復帰しても、当初は社会党の村山さんが首相であって、自民党は自由にはできなかった。その間、村山談話とか慰安婦問題の女性基金とかが進んでいくわけです。

 そういう時期のことが、実は自民党には許せなかったんでしょう。安倍さんなどを中心にして反撃が開始され、その反撃が絶頂を迎えて現在に至っているというのが現状です。

 この状況は、ただ自民党がつくったものではないというところに、大きな特徴があると思います。国民的な基盤があるということです。

 つまり、日本では、侵略の過去のある政権を、戦後、国民が支持してきたということです。ほとんどの期間、そうだったということです。

 ドイツでは、ナチスが打倒されたため、あの大虐殺とか戦争はナチスがやったことだと、国民が思うことができました。キリスト教民主同盟も社会民主党も、その他の勢力も、悪いことをやった連中はいなくなったので、ナチスの犯罪をどんなに追及しても、自分に跳ね返ってくるようなことはなかった。

 だけど日本では、戦前の責任を追及するということは、目の前の政権を追及するということでした。それは同時に、その政権を支持し、継続させている自分の責任を問うということでもあったと思います。それは簡単なことではありませんでした。

 だから、ドイツの指導者や国民が優れていて、日本のそれは低劣だということではないのだと思います。戦後、それぞれの国民が置かれた政治状況の違いというものを考慮し、それを考え抜いた戦争責任論というものを構築しないと、国民多数が納得する見方は出てこないかもしれません。(続)