2015年6月15日

5月25日号に掲載されたものです。

新ガイドラインのねらい
切れ目なく戦争する国へ安保条約の枠を取り払う

 安倍政権は五月一四日、新安保法制を閣議決定し、国会に審議のために提出した。今回の新安保法制の最大の特徴は、これまで憲法違反とされていた集団的自衛権を合憲だと解釈した上で、その具体化として提出されたことにある。したがって、憲法の本来的な解釈に立つならば、憲法に明確に違反するものになっていることは、いまさら論じるまでもないことである。

 同時に、新安保法制のもう一つの特徴は、日米安保条約でも説明できない地点に踏み込んだことにある。4月27日に日米が合意した軍事協力ガイドラインに則していえば、最初につくられた七八年のものは、安保条約第五条(日本有事)を具体化するものであり、九七年のものは、安保第六条の極東条項に対応していた。安保条約に賛成するか反対するかでは意見の違いがあっても、そういう事実認識は国民が共有するものであった。

 ところが、今回の安保法制でできあがる日米の軍事協力は、「(アジア)地域を超える」(ガイドライン)ものだと強調されているが、そういう協力関係が安保条約のどの条項に対応し、それをどう具体化するものだという説明はされていない。説明できないし、説明する気もないということだろう。

 その結果、日本の対米協力が飛躍的に拡大したことは、誰もが認めるところである。各分野で驚くべき内容になっている。
 国際平和協力の分野では、これまで、自衛隊の任務は道路の補修や給水などに限られ、活動場所は将来も戦闘が行われない「非戦闘地域」に限られていた。そのことが、自衛隊が海外で一人も殺さず、殺されずという実績を生み、日本の平和ブランドともいわれる状況をつくりだしてきた。しかし今回、「非戦闘地域」という概念が取り払われ、これから戦闘が行われる予定の場所であっても行けるようになり、任務には武器を使用するものが含まれることになった。日本のブランドが地に落ちる日は近い。

 日本の平和にかかわる分野も同様である。九七年のガイドラインにもとづく周辺事態法は、実際に想定されていたのは朝鮮半島有事であって、その際にどう対応するかでは意見が分かれても、日本も無縁でいられないことでは国民のなかにも共通の認識があった。ところが今回、「周辺」という規定がなくなって、「日本の平和と安全に重要な影響がある」というあいまいな定義をあてはめれば、世界のどこでも米軍を支援することができるようになる。

 しかも、そこに米軍の武器を防護できるという、自衛隊法九五条の改正がかぶさってくる。この九五条は、自衛隊の武器を守るための武力行使を認めたものだが、武力行使の判断をするのは現場の自衛官だとされている。治安が良くなかった時代に、暴徒が襲ってくるような事態を想定し、命令を待たないでも自分で判断してよいと定めたのである。しかし、公海上でアメリカの艦船(武器)を襲ってくるものがあるとしたら、それは国家意思で攻めてくるのであって、それとの交戦を現場の自衛官ができるとすれば、現場の判断で日本は戦争に突入することになる。その時点で日本は武力攻撃を受けていないので、現行法制では日本は組織的に武力行使をできないわけだが、今回の法制によって集団的自衛権の行使が認められるので、まさにシームレスに戦争へと突き進めることになる。

 これまで日米安保の特質を説明するのに、アメリカは血を流すけれども、日本は基地を提供するだけで、不平等だという人がいた。しかし、今回の新安保法制は、日本が各分野で血を流すことを宣言するものである。その一方、ガイドラインは、日本の領土である尖閣諸島の防衛は、日本が「主体的」にやるものだと鮮明にしている。アメリカは「補完」するだけなのだ。不平等とは、こういうことを指すのではないだろうか。