2015年6月10日

 本日の朝刊では集団的自衛権に関する政府の合憲解釈見解が見出しに踊っているが、論評に値しないので、無視。というか、来週、本格的に論じたることとして、本日は個人的に楽しい話をしたい。

 このブログで紹介したが、来年3月末(23日から31日)、弊社主催で「マルクスの旅」をやる。内田樹さん、石川康宏さんと訪ねるドイツ、イギリスの旅である。そのなかのどこを訪れるのか、毎日、いろいろ検討中だ。

 ドイツでは、マルクスの生家(トリーア)、1848年2月革命の現場(ケルン)に行くことは書いた。調べたところ、ケルンの古文書館には「新ライン新聞」へのマルクスの寄稿が残されているそうで、是非、見てみたい。

 くわえて、フランクフルトのパウルス教会を候補に挙げておきたい。これって、いまでもゲーテ賞の授賞式の会場ともなっているようだが、48年から49年にかけて、いわゆるフランクフルト憲法が審議された場所である。

 ドイツはそれまで30くらいの小さな公国などに分かれていたのだが、2月革命を契機に各地から代表が集まり、統一ドイツの憲法をつくったのだ。しかし、強大な力を持っていたプロイセンがそれを押しつぶし、自分の憲法を押しつけるかたちでドイツの統一を成し遂げていく。まあ、だから、2月革命の終焉の場所のようなものだ。

 イギリスでは、まず、エンゲルスが経営した工場があったマンチェスターに行く。もちろん、その工場は存在しないだろうけれど、ここでは『イギリスにおける労働者階級の状態』で描写されている当時の紡績工場を再現した博物館を訪ねる。

 それからロンドン。マルクスのお墓と『資本論』を執筆した大英博物館図書室がお目当てだったけれど、ただ研究に没頭していたのではなく、革命運動も必死にやっていたことを知らないと、大きな欠落が生まれる。だから、国際労働者協会の歴史を追っかけていたら、これが創立されたセント・マーティンズ・ホールが、原型はとどめていないだろうけど、名前を変え(クイーンズシアター)て残っているんだね。

 大英博物館図書室についても調べていたら、マルクスが座っていた席も特定されているそうだ。他の人が座ろうとすると、係員が、「そこはいつもマルクスさんが座る席だから」と言って空けていたとか。

 その席番号が「G-7」。いまでも特定できるかたちで残っているのかなあ?

 日本の革命運動に役立てるためにマルクスの学説を血肉にするのではなく、ただマルクスに関する知識をあさるようなやり方は、いまでもときとして見かけるけれど、「マルクス学」と呼ばれて軽蔑される。だけど、旅行を楽しいものにするためには、「マルクス学」も深めなくちゃね。