2016年9月30日

 24日から発売の『「日本会議」史観の乗り越え方』、10月を待たずに増刷が決まりました。まあ、増刷というより、日本会議の本が少しブームになっているのに、初刷り部数を見誤ったというのが正確かもしれませんが。いずれにせようれしいことです。

 本を読んでいただいた池田香代子さんが、すごく褒めてくださって、そのメールを「帯文」で使わせていただきました。「原点にもどり徹底的に論理を展開して、コモンセンスに到達しようとする著者の知的営為はすごいと思います。」ですって。ありがとうございます。

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 本が書店に並んでいない段階から、講師依頼などもありました。日本会議って、本がブームになっていますけど、それをテーマにまとまってお話する人って、まだそんなんにいないんでしょうね。

 来年、1年を通して開かれる「友愛政治塾」でも、講師を務めることになりました。講師陣は以下のようなそうそうたるメンバーで、私だけ浮いている感じがしますけど、よろしければ申し込んでください。では、来週。

1月22日 西川伸一 明治大学教授       自民党の特徴と安倍政権
2月19日 進藤榮一 筑波大学名誉教授      アジア力が開く新世紀
3月19日 下斗米伸夫 法政大学教授      ロシア革命と宗教(古儀式派の存在)
4月16日 松竹伸幸 かもがわ出版編集長    日本会議をいかに批判すべきか
5月21日 丹羽宇一郎 元在中国日本大使    日本と中国の友愛外交の道
6月18日 伊波洋一 参議院議員        沖縄の歴史的位置と課題
7月16日 澤藤統一郎 弁護士         スラップ訴訟と表現の自由
9月17日 浅野純次 石橋湛山記念財団理事    マスコミの影響力と責任
10月15日 岡田 充 共同通信客員論説委員   日本・中国・台湾はどうなる
11月19日 孫崎 享 東アジア共同体研究所所長 日米関係の深層
12月17日 村岡 到 『フラタニティ』編集長  日本左翼運動の軌跡と意味

開講場所 東京都内
第3日曜日午後
受講料 通し1万円
 単回は無し(途中 からは別途割引)
 登録受講者が欠席の場合にはその友人が1人出席可能。
受講手続き:事前申 込必要→入金
時間配分 午後1時20分から 講義:90分  質疑討論:70分
主催:友愛政治塾 Fraternity School of Politics
 事務局:村岡到  住所:東京都文京区本郷2-6-11-301 ロゴスの会

2016年9月29日

 内田樹さんと石川康宏さんの往復書簡である『若者よ、マルクスを読もう』は、2010年に第1巻が、2014年に第2巻が刊行されました。まだ続刊の予定がありますが、『マルクスの心を聴く旅』は、その「番外編」です。

 タイトルの通り「旅」をしてきたんです。旅行社とタイアップして、合計で45名が参加する旅でした。

 行き先は、いうまでもなくマルクスが生まれたドイツ、そして『資本論』が誕生したイギリスです。マルクスのゆかりの地を訪ね、そこで感じたことをお話ししてもらい、さらにお二人の対談で問題を深めようという趣向。ドイツ文学者・翻訳家である池田香代子さんもくわわり、グリムとマルクスの交錯が語られるという、豪華企画なんです。

 これを思いついたのは、一つは、『若者よ、マルクスを読もう』の続刊を前に進めたいと考えたからです。第2巻で内田さんが書いておられますが、日本の政治が劣化してお二人が超忙しくなったこともあり、マルクスの書籍を取り上げ、本格的に論じ合うという本って、完成までのハードルが高くなっているんです。それで、お二人に刺激を感じてもらうようなものが必要だと感じていました。

 もう一つは、その刺激という点で、絶好の先例があったからです。それは『聖地巡礼』(東京書籍)でした。内田樹さんと釈徹宗さんが、宗教上の聖地を訪ね、そこで感じたことを語り合うという本です。読んでいると、その場に行かなければ生まれないインスピレーションが満載で、とっても刺激的なんです。マルクスが生まれた家を訪ねたり、『資本論』で描かれている紡績機械を見たりしたら、日本では得られない新しいものがつかめるのではないかと、期待したんです。事前に東京書籍の担当編集者とお会いし、本の作り方について、親切に教えていただきました。

 結果がどうだったかは、本を手にして、読者に判断してもらいたいと思います。編集者としては、期待以上の結果でした。

 ドイツで刺激的だったのは、歴史学者のヘレスさんのお話を聞けたことでした。マルクスとエンゲルスの書いたありとあらゆるものを発掘し、出版するという仕事にも携わっているヘレスさんが、その仕事を通じて得たものをお話ししてくださったのです。マルクスの理論って、その後、レーニンやらスターリンその他が独自に解釈して、それらが教科書的に伝わっていて、実はマルクスが言ってもいないことが、「これがマルクス主義」とされていることが少なくありません。『資本論』の編纂過程でエンゲルスがマルクスの真意を誤って解釈し、活字になっているというものもあります。

 そういうお話を聞いて、風邪を引いて倒れかけていた内田さんがムクムクと元気になり、ヘレスさんとも議論することに。その後も、本当にマルクスが言ったことと、その後にゆがめられたこととの関係とか、いろいろ議論になりました。

 イギリスでは、まず最初に訪れたマンチェスターの「科学産業博物館」が刺激的でした。ここにマルクスが生きていた時代の紡績機械が展示されていて、時々動かしてもくれるんです。紡績って、いまでは古い産業というイメージがありますが、当時は産業革命の中心を担った先端産業ですよね。これを見た内田さんは、経済合理性を無視した「ある種の狂気を感じるようなもの」と表現しましたが、これも実際に現地に行って、手に触れてみないと生まれない感想だと思います。

 そういう実感があったので、ロンドンでの内田さん、石川さんの2回目の対談も盛り上がりました。イギリスやドイツの資本主義と日本の資本主義はどこが違うのかという、これも刺激的な議論になったと思います。

 池田さんは、マルクスとグリムの交錯のお話です。この二人が交錯したなんて、普通、誰も想像しないですよね。でも、1848年のドイツ3月革命は、同時代を生きていた二人にとって、自分の人生をかけた闘いだったんですね。この革命のなかで、グリム(兄)が中心的な役割を果たしたフランクフルト憲法が誕生するのですが、池田さんは、マルクスによるこの憲法の評価について、「叱咤叱咤叱咤叱咤激励」と表現していました。そこにグリムとマルクスの関係性がよく表れていると思います。

 この8泊9日の旅の経過をそのまま本にしたもので、中身は刺激的で深いんですが、とっても読みやすいです。是非、お手にとってご覧ください。

2016年9月28日

 だいぶまえの記事で、6年後に高校の世界史と日本史が統合され、「歴史基礎」になることを紹介した。そこで、いまなら歴史書の出版社もかもがわ出版も同時スタートなので、講座「世界と日本の歴史」のようなものにチャレンジしてみようと思っていることを書いた。

 口だけにしてはいけないので、先日、著名な歴史学者にお会いして、ご相談した。某大学の学長を務めた方で、多くの若い研究者に慕われている方なので、ご協力が得られれば、一挙に話が進むとふんだのである。

 一挙にはならないが(もともと6年後に出版するわけだから)、問題意識がかなり一致して、今年中に各分野を横断した研究者に集まってもらい、議論しようということになった。議論した結果、面白いからやろうとなるか、難しいからやめようということになるか分からないけど、スタートは切れたよね。

 たぶん、やるとすると、年代は日本と東洋、西洋で異なるけれど(とりわけ古い時代は数世紀違う場合もある)、同じテーマを掲げることになるだろう。そして、そのテーマでは、世界はどんな特徴があり、日本はどんな特徴があるのかを書いていくものになるのかなあ。そして、違いを生みだしたものは何なのかを、総括的に書いていく感じかな。

 テーマを立てるとすると、こんな感じだろうか。興味のある方、ご意見をください。

第1巻 国家の形成
第2巻 貴族と奴隷 それぞれの特徴
第3巻 武士・騎士の時代の始まり
第4巻 騒乱・戦国の世
第5巻 封建制の時代
第6巻 国民国家と資本主義の勃興
第7巻 帝国主義への道
第8巻 第二次世界大戦とその結果
第9巻 第二次大戦後の世界と日本
                以上

2016年9月27日

 現行の軍事力を一切認めない憲法9条のもとでもここまで来るのだから、自衛隊の現実を認めるかたちで憲法を変えてしまったら、もっとヒドいことになってしまう。これは、多くの護憲派にとっての共通認識だと思われる。そして、実際にそういう面はあることを否定しない。

 だけど、そういう思考パターンというのは、安倍政権とかそれと同質の政権がずっと続くことを想定したものだ。改憲派が永遠に政権をとっていて、いろいろな口実を使って悪辣な戦争政策を進めるってことが前提になっている。

 逆に言えば、護憲派は少数にとどまって政権を手にすることができないということだ。だから、錦の御旗である憲法9条を守る以外、戦争政策が進むのを阻止する手段がないということだ。

 でも、それって、かなりおかしくないか。もし、3分の2を占めるにいたった自公による改憲を阻止できるとすれば、国民の半数の支持を得られることに確信を持っているのだろう。国民の半数の支持を得られるなら、野党にとどまることを前提にものを考えるのでなく、与党になることを想定して思考し、行動すべきだろう。

 そして、たとえ9条が変えられ、3項に自衛隊が明記されるようなことがあっても、護憲勢力が与党になるのなら、戦争政策なんて遂行しないでしょ。9条が変わったら戦争になるなんて、単純な話ではなくなるでしょ。

 あるいは、別の言い方をすれば、9条があっても戦争政策は進んでいくわけである。新安保法制に反対したのは、それを阻止したいがためであって、その法制が成立したからには、9条があろうがなかろうが、あまり関係ないのである。

 いや、9条に意味がないと言っているわけではない。実際に戦争が起きるかどうか、日本の政策がそういう方向に進むかどうかを決めるのは、9条ではなくて(それもゼロではないけど)、国民多数が「これなら戦争は起こらない」という安全保障政策に革新をもち、その政策を基盤にした政府ができるかどうかなのだと思う。

 そこを、9条の条文が変わるか変わらないかがメルクマールだというふうに言ってしまうと、少し(かなり)現実とズレてしまうような気がするのである。少なくとも、戦争法反対の闘争のなかで護憲派が言ってきたこと(この法律が通れば9条があっても戦争になる)と矛盾するので、説得力がないと思うのだ。

 ということで、今年の末あたりから、これをテーマにした本を書いてみたい。『改憲と護憲は対義語ではない』あるいは『改憲派も護憲派も仲間だ』。どうでしょ。

2016年9月26日

 一昨日から東京。本日、朝から夜中まで、びっしりとスケジュールが詰まっているので、朝のうちの記事をアップ。

 9条3項に自衛隊や自衛権を書き込むという改憲案が出てきたとき、護憲派はどう対応すべきだろうか。前回も書いたように、「難しい」という自覚が必要だ。いまも新9条論が出て来ると、それを危険視する考え方がただちに有名な護憲派からも出て来るが、そんな簡単に決められることなのか。

 いや、もちろん、護憲派なのだから、いまの9条を少しでも変えるという考え方が出てきたとき、それに反対するという立場をとるのは構わないのだ。だけど、自衛隊や自衛権は国民が支持するものであって(ほとんどの護憲派だって支持している)、それを憲法に書き込むという考え方に対してただ反対するというのは、そういう国民を敵にまわす可能性があることを念頭に置くことが不可欠だ。

 護憲派の少なくない部分は、改憲というと、平和主義と対立物のように捉えることが少なくない。だけど、9条を変えたいと思う人びとと実際に接して、ちゃんと話し合えば分かることだが、改憲派の多くも、日本の平和のためにそれが必要だと思っているのである。そういう人びとは、もともと護憲派の仲間なのである。新9条論や加憲論を批判することは、仲間を失うことにつながる。

 専守防衛の自衛隊くらい認めないと、中国の拡張主義に対抗して、日本の平和を守れないと思うのは、普通の感情だろう。あの中国を前にして、自衛隊がないほうがいいと主張していたら、護憲派は滅亡の危機だ。

 あるいは、戦力を否定するから日本の平和をアメリカに頼ることになり、ちゃんとした自主外交もできなくなるから改憲だという人も少なくない。これも、本来なら、護憲派と通じる考え方なのだ。 

 くり返しになるが、改憲を主張する人の心のうちを見ると、護憲派と同じく、日本の平和を念願しているわけである。もちろん、そうでない特殊な一部の人がいることは否定しないが、われわれが説得の対象にする人の多くは、そういう人びとである。

 そして、説得とか対話というのは、心がどこかで通じ合う人びとの間でされるものである。相手を敵だと位置づけたら、もう対話は成立しない。敵と味方を分けるせんを、9条の条文を一字一句変えるかどうかに置いてしまっては、たくさんの人が敵になってしまい、対話は成立しない。

 だから、護憲派にとって何よりも大事なことは、自衛隊のことを9条に書き込もうとか、新9条が必要だという人を前にして、「あなたは間違っている」と言うことではない。そうではなくて、「あなたは私の仲間だ」と言うことだ。(続)