2016年9月14日

 先日、中国近現代史が専門の大御所の先生とお会いし、3時間ほどお話を伺った。学校図書館向けの本の仕事だったのだが、関連して示唆に富むお話をたくさん聞かせていただいた。

 たとえば、日本の嫌中感情という問題。これって、なかなか難しいよね。先日、ある日本の共産党の人と話していたら、「中国の行動に問題がないと証明できたら、こんなに苦労しないのに」と言うわけ。私なんか、証明できないことを証明しようとするから、中国派だとみなされて、よけいに追い詰められるでしょと話したんだけどね。

 まあ、それは関係ないけど、日本の嫌中感情(中国の反日もだけど)は明治維新以来のものだと私は捉えていた。それが、日本の侵略につながり、いまはお互いを嫌う関係になって、日中軍事衝突の危険としてあらわれていると。

 だけど、その先生によると、聖徳太子以来のものだというんだよね。中国伝来の文化は受け入れるけれど、政治は受け入れないというのは、「日の出ずる国の天子……」ではじまって、江戸時代、本居宣長が学問的にもはっきりさせたものだと。そういえばそうですね。

 中国は多民族国家として政治体制をつくっているが、日本はそうではなく、「万世一系の……」の政治体制をつくりたいと考えた。だから、一貫して、中国の政治を嫌う考え方が日本の底流になる。同時に、それができたのは、韓国のように国境を接した第一周辺部と異なり(言うことを聞かざるを得ない)、日本は第二周辺部にあって、そういう選択が可能だったということもあるということだった。

 中国との関係がずっとそういうものだったと思えば、いまの嫌中感情なんか、あまり特殊なものではなくなるので、もっと相対化して、冷静に見ることができるかもしれない。そう思って、あまり焦らないようにしなければと感じた次第である。

 同時に、その先生がおっしゃるのは、日本がそういう狭い世界で生きていたため、世界に対して普遍的な原理を提示できていないということだ。世界のことを視野においた原理をつくるのではなく、日本の原理を普遍的だと考えていた。だから、中国や東南アジアを侵略したとき、神社をつくってそれを拝ませることに、なんの疑問も感じないでいた。

 そういうところから脱皮して、日本は国際公共財をつくれるのか。それが大事だという結論だった。日本の政治の世界では、国際公共財って「日米安保」のことを指しているんだよね。困ったことである。

 「中国史から見た日本史」のような意義のあるお話だった。何歳になっても、いろいろな人のお話を伺うのは大事だ。いろんな問題意識を持つことができた。

2016年9月13日

 盟友の伊勢崎賢治さんが、「赤旗」(9日付)に登場し、南スーダンの自衛隊の問題を論じている。「完全に憲法9条に抵触 内戦下で駐留 説明つかず」というタイトルで、記事の趣旨はそれに尽きていると思う。

 この記事が出た日、私は沖縄にむかったので、読んでいなかった。ところが、この記事で伊勢崎さんが「とはいえ、「自衛隊はいますぐ撤退を」という意見には賛成できません」と述べている部分があって、これをめぐって私が少しかかわりのある市民団体のなかで、「なぜ即時撤退はダメなのか」「おかしいじゃないか」という議論があることが伝えられ、「なぜ伊勢崎さんがそう考えるのか教えてよ」といわれのだ。

 まあ、盟友のことだからだいたいのことは推測できるけれども、「沖縄から戻って記事を読んでからね」ということにしていたわけ。見て、予想通りだったので、私は伊勢崎さんの代弁をする立場にはないけれども、お付き合いのなかで理解できることを書いてみる。

 その前に、こうやって「赤旗」が、共産党の主張と異なる意見を掲載していることに、大きな変化を感じたことをまず書いておく。池田晋記者、ご苦労様でした。

 さて、これは、一言で言って、立場の違いというしかないと思う。市民団体を代表する人たちと、紛争現場で問題を解決する立場の人の違いだ。

 市民団体は、殺すことも殺されることも拒否するというような、そういう立場で判断し、行動する。その立場からすると、現在の南スーダン情勢は極度の緊迫していて、即時撤退以外の選択肢はないということになる。市民団体の判断として、それ以外にはあり得ないので、そう主張すればいいと思うのだ。

 伊勢崎さんも、南スーダン情勢に関する判断は市民団体と同じで、それが日本のPKO五原則に違反する判断も同じだ。しかし、伊勢崎さんの立場は、人が殺し、殺される現場において、どうやって人を救うかというものである。

 情勢が緊迫しているということは、本当に人道的な危機が切迫して、そこにいる人を救わなければならないということでもある。だから、国連が先制的な武力行使を認める部隊を派遣することになったわけだ。それだけで問題が解決しないことも、それが長期がしたら悪循環に陥ることも承知の上で、緊急対応としてそう判断したわけだ。

 これは、歴史的に見ると、ルワンダで国連PKOがいながら武力行使が認められず、100万人が虐殺されたことを、南スーダンで再現してはならないという判断である。別に武力行使が好きなアメリカが主導して決めたわけではなく、人道危機が自国にも及ぶことを危惧する周辺のアフリカ諸国が決めたわけだ。

 そういうときに、現実に存在する自衛隊を即時撤退させるとなると、目の前の人道危機に目をつぶって逃げるということになる。ユーゴ紛争において、部隊を目の前に展開しながら、スレブレニツアでの虐殺を見逃したオランダが長く国際社会の批判にさらされることになったが、その再現である。

 だから伊勢崎さんは、国連の部隊が増強されたことによって、小康状態が生まれることが想定されるので、その局面をとらえて撤退しようというわけだ。同時に、この人道危機は小康状態があってもくり返されるだろうから、それに対して日本が何をするのかを明確にして(軍事監視のための非武装の自衛官を派遣するなどして)、それと引き替えに撤退しようということである。

 しかも、伊勢崎さんは、別の場所で、それを議論するための超党派の議論の場を提唱していた。それが大事だと思う。

 即時撤退といっても、撤退を実現させるとなると、安倍政権がそう判断しなければならない。南スーダンに自衛隊を派遣したのは民主党政権のときだが、民進党の賛成も得なければならない。「即時撤退に応じない自民党と民進党」という構図をつくりたいためだけなら、ただ即時撤退でいいわけだが、自民党や民進党に態度を変えさせるための論理、経路というものが必要になっている。

 緊迫しているから撤退という論理はあるけれど、それだけで安倍政権の態度を変えることは難しいように思える。国連の部隊が増強され小康状態が生まれたよね、自衛隊派遣の成果でもあるよね、いま以上に南スーダンを安定させようと思ったら、非武装の軍事監視団に自衛官が参加することがいいよね。そういう新しい論理をつくり、自民党や民進党に提示し、納得してもらおうということだと思う。

 それが市民団体の即時撤退要求と結びついて、事態を動かすことになるかもしれない。伊勢崎さん、そんなところでしょうか?

2016年9月12日

 沖縄から帰ってきて、テレビでニュースを見たら、民進党の代表選挙で普天間基地問題が取り上げられていた。蓮舫さんが確固として辺野古移設を主張し、前原さんと玉木さんは再検討を打ち出していた。

 左派の方々の多くは、野党共闘の継続を夢みて蓮舫さんに気持ちが傾いているのだろうけれど、政策協議のない枠組み論の問題点を、まざまざと見せつけられたよね。このままでは、代表選挙後、民進党が独自政策として辺野古移設を持ちだし、他の野党が反対し、共闘が行き詰まっていくのが目に見えるようだ。

 それにしても、蓮舫さんの頑なな態度は、何が原因だろうか。いま二重国籍問題で攻められていて、尖閣は自国のものだと主張する台湾、中国を前に、自分はそういう他国の利益代表でないことを強く示そうとして、抑止力で対抗するのだ、そのためにはアメリカの基地を強化しなければならないのだと強調しなければ、という感じだろうか。

 二重国籍問題は、法的には何の問題もない。だけど、そういう政治的な効果はあるのだと感じる。

 政治的にも、二重国籍だからといって、日本の国益を否定する人だということにならない。日本国籍だけの人だって、中国や台湾の利益代表だよねと思える人もいるわけだからね。それに、国会議員は、その政策を有権者が判断するわけだから、日本の国益を侵害する要素があると思えば、落選させればいいだけのことだ。二重国籍であれ、日本だけの国籍であれ、それは同じである。

 ただ、先ほど述べた「政治的効果」は問題だ。二重国籍であるというだけで、他国の利益も斟酌する人と思われ、それは国会議員にとって政治的にはマイナスなので、かえって右翼的な主張をするようになるという構造だ。

 そういえば、以前、前原さんも在日の方からの政治献金が問題になっていたよね。私なんか、それを聞いて、前原さんって在日の方からも慕われる人だと認識を新たにしたものだが、国益と国益がぶつかる政治の世界では、やはり外国との関係は微妙な問題であり、ちゃんとみずからを律しなければならないと思う。

 まあ、それでも、政治家や政党にとっていちばん大事なのは、主張、政策の内容が、どんな外国の利益をおもんばかっていると思われないことだ。中国に及び腰と思われているままでは、アメリカの利益を最優先する自民党政治の問題点への批判は、ぜんぜん効いてこないわけだしね。

2016年9月9日

 ということで、出発まであまり時間がないので、少しだけ。民進党代表選挙とからんで、野党共闘論が華やかだが、どうも違和感があるので。

 私は、野党共闘論者であるが、まずその枠組みありきという議論は、どうもついて行けない。前原さんが言うように、政策協議を進めることによって、共闘のフェーズをあげていくという考え方に親和性がある。

 だって、参議院選挙は、その結果がどうあっても、安倍政権が続くことが前提であったから、政策協議の位置づけは少し低かったように思える。反安倍だけで通用する面があった。

 だけど、衆議院選挙は、政権をかけた選挙である。そこで政権をとったとして、何をするのかが問われるわけだ。なのに、野党間では、基本政策での一致点があまりない。

 共産党が、日米安保廃棄、自衛隊解消という独自の基本政策を野党共闘に持ち込まないと言っているのは、それでいいのだ。だけど、それだけでは、野党共闘でできあがった政権が、安全保障政策にかかわってどんな政策を進めるのか、見えてこない。

 たとえば南スーダン。南スーダンの自衛隊を派遣したのは民主党政権である。野党共闘でできた政権は、この問題で何を一致点にするのか。新安保法制廃止の立場から、駆けつけ警護の任務を与えなければ、それでいいのか。民主党に気兼ねして南スーダンへの自衛隊派遣自体は継続するのか。それとも撤退を主張するのか。撤退に民主党がOKを言わない場合、連立は組まないのか、それともその程度だったら許容するのか。

 あるいは普天間基地。民主党は辺野古移転という政策を掲げている。野党共闘の政権はそれを許容するのか。許容するくらいなら共闘はしないのか。

 防衛予算問題。現行の思いやり予算協定は、民主党政権のときに(前原外務大臣)締結したものだ。それを延長するのか、廃止するのか。

 それらも含め、共産党や市民運動が掲げている要求を、野党共闘の政権はすべて取り入れるべきで、そうでないなら共闘はしないのか。取り入れられなくても仕方ないとあきらめて政権を取りに行くのか。

 そういう議論と覚悟がないまま、とにかく野党共闘だという議論は、はげしく違和感を感じる。ということで、行ってきます。

2016年9月8日

 先日までマレーシアで開かれていたアジア政党会議。5日(月)の「赤旗」を見て、びっくりした人も多かっただろう。なんと、日本共産党が中国共産党に対して、「闘争宣言」を出しているのだから。

 詳しくは「赤旗」で読んでほしい。要するに、この会議の最終宣言のなかで、当初、「核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始を呼びかける」というものが入っていたが、それが中国共産との横やりで削除されたことについて、新聞の1面から3面分までを使って批判しているというものだ。

 この間、世評では、日本共産党は中国共産党を批判できないと言われてきた。けっしてそう単純なものではなく、私は、「赤旗」のいろいろな記事や論評を取り上げ、「こんなことも言ってるよ」と紹介してきたのだが、そうはいっても「赤旗」に載ったのはホントに目にとまらないような小ささの時事や論評なので、おおかたの人は気づかなかったり、気づいても大事だとは思わなかったりしたのだと思う。

 今回は、その記事の大きさだけからも、「わあ、本格的だなあ」と思えるだろう。順番としては尖閣とか南シナ海が最初であってほしかったが、「闘争宣言」と位置づけられているらしく、今後も続くそうだから、関係者は楽しみにしてほしい。

 それにしても、中国共産党って、常軌を逸している政党だと思う。日本共産党と理論交流して、日本共産党を特別扱いしているみたいに思わせ、批判をにぶらせようとしたわけだよね。それでも日本共産党が部分的なものであってもあれこれ批判するようになると、とたんに態度を変えてくる。これまで何か大事な決定をしたあとなど、日本共産党が中国大使館に説明しにいっていたのだが、最近は来るのさえ拒むというようになっていたらしい。

 今回の最終宣言についていうと、この秋、国連総会で核兵器禁止条約の議論が開始される可能性があるので、それを拒絶するためにも、ここで文書にいれるわけにはいかないという判断だったのだろう。核兵器廃絶に背く政党なのである。そこをしっかりと見ておかねばならない。

 こんな政党はどこにでもある。だがそれが共産党を名乗っていたり、国の名前に社会主義を使ったりしているのだから、迷惑千万なのである。これをきっかけにして、中国共産党に対するあらゆる幻想がなくなることを願う。